過去をふりかえり、過去のできごとを現在の時点で意味づけることができるようになる。
それが、中学生以上の年齢になるとできるようになります。
過去の自分を、今の時点で、あたかも他人が見ているかのように客観視できるようになるのです。
「あの頃は悲しかったなあ」「あのできごとは辛かったなあ」という思い出だけでなく、てきごとに含まれるものごとの諸関係を冷静にとらえなおす。
このとき、その子にはひとまわり大きくなったという人格的な成長をみることができます。
悲しみやイヤな思い出という感情に浸りきっていない、屈託のない前に向いている人の能動性を見ることができます。
ある女子生徒は、お父さんの仕事の関係で、箕面から関東に小学生のとき引っ越しました。
しかし、関東でお父さんは、不測にも亡くなられました。
その時のショックで、彼女は学校に行けなくなりました。
箕面に戻ったら、学校に行けるかもしれない。
そう思い、中学から再び箕面の中学校に通いました。
でも、中学生になっても、時々学校には登校しましたが、不登校が続きました。
学校に行けるかと思ったが、行けなかった。落ち込む時期が続きました。
家で、裁縫をしたりして1.2年生をすごしました。
しかし、関東でお父さんは、不測にも亡くなられました。
その時のショックで、彼女は学校に行けなくなりました。
箕面に戻ったら、学校に行けるかもしれない。
そう思い、中学から再び箕面の中学校に通いました。
でも、中学生になっても、時々学校には登校しましたが、不登校が続きました。
学校に行けるかと思ったが、行けなかった。落ち込む時期が続きました。
家で、裁縫をしたりして1.2年生をすごしました。
お母さんもどれほど心配したことでしょう。
転機は3年生のときにやってきました。3年の新しいクラスになじむことができ、修学旅行にも行けました。
その後、毎日登校することができました。
秋になって、その子は自らの過去を客観視しました。
父親を亡くした衝撃は相当なものだったでしょう。想像するに、その悲しみは余りあります。
そして、学校に行きたくてもいけないという悔しさを体験しながらも、その悲しみとつきあい、抱えながらも、次の一歩へと踏み出したのでした。
転機は3年生のときにやってきました。3年の新しいクラスになじむことができ、修学旅行にも行けました。
その後、毎日登校することができました。
秋になって、その子は自らの過去を客観視しました。
父親を亡くした衝撃は相当なものだったでしょう。想像するに、その悲しみは余りあります。
そして、学校に行きたくてもいけないという悔しさを体験しながらも、その悲しみとつきあい、抱えながらも、次の一歩へと踏み出したのでした。
人は本来、挫折や失敗から立ち直るレジリエンス(復原力)をもっているのです。
言えることは、子どもの成長を考えるとき、
① その子の過去と関連づけてみるということ。
② 将来的には、その子はずっとそのまま大人になるのではなく、変わっていくものと考える。
この2つの見方が必要です。
中学生になったら、親は子どもが自分を見つめ、自ら変わることを望んで、見守ることが必要です。
わが子のために生きる親から、わが子と共に生きる親へと変わっていくのです。
(写真の人物と本文の内容は関係ありませ。)
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