箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

ポストコロナはどんな時代か

2020年10月17日 07時34分00秒 | 教育・子育てあれこれ
世界中に激震を起こした新型コロナウイルは、今後はグローバル化という世界の流れを変えることになるのではないかと考えます。



私が大学を卒業した頃は、日本経済はイケイケのムードでした。

1970年代に二度にわたる石油危機(オイルショック)に見舞われながらも、持ちこたえた日本経済でした。

1980年ごろには、アメリカの自動車に当時大型車が多く、リッターあたり4〜5キロメートルであったのに対して、日本車は10キロは軽くクリアする燃費で、ガソリンを大量に使わない高品質のコンパクトカーが外国から引っぱりだこでした。

その後、世界経済はグローバル化へまっしぐらに突き進んだ40年間でした。

日本の自動車メーカーは現地で車を生産するよになりました。

自動車だけではありません。衣料品もmade in Japanから、アジア諸国で製品にされたものを手にすることが格段に増えました。

当時は、現地の労働者の人件費が安く、生産コストを低く抑えることができ、日本企業はこぞって、グローバル化の波に参入していきました。

世界全体がグローバル化していき、人、モノ、カネ、情報が国を超えて行き来する時代へと変わってきたのでした。

80年代には、日本経済は「Japan as No.1」と世界で言われました。その後はバブルの時代へ突入していきました。

日本国内に目をやると、国民の生活水準は飛躍的に向上して、「一億総中流」と言われました。


しかし、グローバル化は新自由主義的な考えとつながっていました。

能力があれば成功でき、それに見合う対価が与えられる。努力によって成功した人は「勝ち組」になる。

勝ち負けは、自由をベースとした競争と能力の差がもたらす当然の報いとして現れるという考えが日本を覆いつくしたのでした。

情報技術や交通手段が進化して、地球的な規模で人びとか移動して動きまわることが当たり前になった世界に、このたび新型コロナウイルスが「待った」をかけたのです。


グローバル化は、国と国、人と人が相互に依存しあって成り立ちます。

しかし、今後は「距離」と「隔離」をキーワードに、反グローバル化の流れが生まれるのでないか。 

このように思います。

すると、人びとの関心は内側へ向くことになります。

自分のいる国や政治に目を向けるという流れが生まれるのでないかと、私は考えます。

その点で、インバウンドにより、日本の宿泊施設がいっぱいになったりすることは、もうなくなるのでしょう。

新型コロナウイルス以前のような、観光客がこぞって日本を訪れるような状態には、もう戻らないのでないかと思います。








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