箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

悪意はないけど、排除することになる

2021年12月16日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ


「ブラジルから来たんなら、サッカーうまいんでしょう」
「毛深いですね。沖縄の人ですか」
「そう怒るなよ。女は感情的だから」
「(長年日本で暮らしているのに)留学生ですか。日本語がおじょうずですね」
「秋の紅葉がきれいな頃です。四季がある日本はすばらしい。日本に生まれてよかったとみなさんも思いますよね」

これらの言葉は、「きめつけ」から発せられています。

「ブラジル→サッカーが強い→プラジル人はサッカーがうまい」というきめつけです。

「沖縄の人は毛深い→この毛深さは沖縄の人だ」

「男性は理性的で、女性は感情的→こんなに怒るのは、やはり女性だからだ」

「留学生は来日の日が浅い→日本語がうまくない」

「日本人だからこそ四季を楽しむことができる→この場には日本人しかいない」

このような発言は日常の会話でする人も多いと思います。

たしかに統計学的にいうならば、それぞれあてはまることもあるかもしれません。

しかし、それは個人差があることを考慮していません。

ある範疇を頭の中でもうけて、「その集団はみんながそうだ」という思い込みやきめつけになっています。

そして、多くの場合、発言者側(多数派)は悪意なく、意図せずに、相手(少数派)に言っています。そして、相手は排除されていきます。

悪気や意図がないからこそ、排除された側は、その痛みや傷つきを訴える先がなくなってしまうのです。苦笑せざるを得ない心境になります。

でも、往々にしてこのような発言は、また別の人から言われるのです。何度も繰り返されるので、深く傷つきます。

多数派が自分をどの位置に置いていて話しているのかが問われます。


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