箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

杖言葉とは

2020年12月31日 07時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ
「杖言葉」というものがあるのをご存じでしょうか。

これは作家の五木寛之さんが著書のなかで触れられています。

その人の行動や生活の仕方の支えになっている言葉のことです。

わたしは、その杖言葉は、人がつねに意識している場合もあれば、無意識のうちに支えになっていることもあると考えています。

私が学級担任をした生徒のなかにも、卒業前に伝えた言葉を、今でも支えにしている人がいます。

波瀾万丈で、悩みの中学校生活をくぐってきた男子生徒に、わたしが卒業前に言ったことばがあります。

それは、「苦労した分だけ強くなった」でした。

彼は、卒業後も仕事でうまくいかないときには、この言葉を思い出していたそうです。

こうなると、教師は自分が放つ言葉の大切さを自覚すべきなのですが、ずっと支えになるか、ならないかは、生徒次第だと思います。

ふだん意識していなくても、ふと思い出して「あのときの、あの先生の言葉に支えられてきた」と、思い出すこともあるでしょう。

今年は新型コロナウイルスは、私たちに人と引き離すように仕向けました。

「日常」だと思い込んでいたことが、当たり前でないことを、私たちに思い知らせました。

そのぶん、同時にそれまでの自分がさまざまなものごとに対して、いかに無自覚でいたかに気づくのです。

そのとき、ふだんは意識していないけれど、自分を支えてくれている言葉があることに気づくのです。

先ほどの言葉が杖言葉であるとするなら、いま苦労してでも、その苦労に意味があると思い、人は困難なことにも取り組もうとするのです。

こうなると、新型コロナウイルスは、思索して、自分を見つめる時間を、私たちに与えてくれていると考えることができます。

こんな想いとともに、令和2年(2020年)が過ぎていこうとしています。




2 コメント

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Unknown (makako12521726)
2020-12-31 08:40:52
『杖言葉』素敵な言葉ですね。言葉を意識しているつもりですが、不意に口から出てしまう言葉に自分の未熟さを感じることも度々あります。
私の杖言葉。少し思い返して見つけてみたいです。素敵な言葉をありがとうございました。
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Unknown (mi3chu-kocho )
2020-12-31 16:47:58
コメントありがとうございます。本文に書いたように、私の言った言葉が杖言葉になった場合もあります。でも一方で別の生徒には、傷つける言葉を言ってしまったこともあります。言葉は杖にもなりますが、凶器になることもあるので、自重したいです。
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