いまから3年前の秋、首相が就任したときには、「格差是正」の方針を打ち出していました。
でもいまはそのことに触れることはあまりないようです。
そもそも、格差があるのはなぜよくないのでしょうか。
経済格差が抑えられて、所得が平均して富が配分されている社会では、生活が安定していてみんなが力を発揮しやすいからです。
「失われた30年」を通して、日本の経済は低迷した賃金、不安定な非正規雇用にたより続ける構造になっています。
いま、日本は世界第3位の経済大国ですが、ドイツに抜かれるのは時間の問題で、人口減少と円の価値が下がり、経済成長率はあがりません。
また、東南アジア諸国がいま著しく経済を成長させています。もはや発展途上国ではありません。
政府は、少子化対策と経済成長に全注力を投入し、世界第3位の経済大国を維持するといっています。
でも、経済成長がそれほど大切なことなのでしょうか。
わたしはそうは思いません。
そもそも経済成長は、生産や消費の経済活動を示すものです。
それは、人びとがお互いに助け合い、豊かな生活を送れているかどうかにはなじまないものです。
高度経済成長の時代が終わり、いま日本は、五木寛之さんの言葉を借りれば、山の頂上から下っていく「下山の時代」に入っています。
山をおりると聞けば、とかくマイナスのイメージをもつかもしれません。
しかしながら、下山していくにしたがい、登るときには気がついていなかった足元には咲く高山植物の美しさを知ります。
山を登るときにはがむしゃらで気にかけなかった、はるか彼方に光る海の美しさをゆっくりと眺める余裕もあります。
つまり、下山の時代は、人びとにとって、社会にとって、「成長」ではなく「成熟」のときです。
人は人とつながり、助けあうことこそが真価なのです。国の豊かさはそこから生まれます。
いつまでも、経済大国という幻の影を追い求めるのではなく、助けあう豊かな人間関係の社会づくりを標榜して、生まれ変わるのが日本の将来像です。