箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

何のために生きているのか

2020年02月24日 08時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ



第二次世界大戦のころ、人びとは食べるのに必死でした。

悩みを感じているヒマもないほど必死でした。

人は、一生懸命に生きようとしているときには心に余裕がなく、たとえば「生きるとはどういうことか」など、哲学者にでも任せておけばよかったのです。

翻って、今の時代では、若い子が悩みなどあまりなく、楽しく学校生活を送っていると、一見思えます。

しかし、中には、ものすごく悩んでいる子もいます。

悩んでいることを、ほかの誰にも言えないほど悩んでいます。

それが、いま、大人にはわかりにくいのです。

「わたしなんて生きていてなんの意味があるの?」

「消えてしまいたい」

こんな深い悩みを抱えた子もいます。

リストカットを繰り返す子もいます。


昔の中学生も悩んでいました。

しかし、以前は、どこの高校・大学にいき、なんの仕事につくか。そして誰かと結婚する。

こういう節目は、人生の課題でした。

そこまでたどり着けば、自己というものが確立したのです。

しかし、いまはみんなが大学にいくようになり、なんらかの仕事に就くのが一般化すれば、昔の人が悩んでいたような進学、就職、結婚という課題は課題でなくなったのです。

そして、いまの子どもたち(中学生以上)は、「なんで生きているのか」という、人間の根源的問いに直面することになったのです。

そんな悩みの深い子は、学校の成績なんてつまらない、就職してどうするのかなどと周りの友達を見ていて思うのです。

でも、「それなら、お前はどうするんだ」と聞かれると、答えられないのです。

安定した人間関係があり、安心感をもつ子は、「まあ、とにかく生きていこう」と思いやり過ごしていきます。

でも、そのような支えが少ない子は、学校でもさまよう姿を見せます。

この点が、小学生にはあまりなく、中学生とむきあう中学教師のたいへんなところです。

そんな生徒に対して教師が、話を聴いていると、ふっきれるとまではいかなくても、
「ちょっとがんばってみるか」と何かをやり始めたりします。

本来、「何のためにいきるか」など、10代でわかるのは無理なのでしょう。

「まずは生きていくか」と、人生の難問を心に抱えて少しずつ歩き出すのです。







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