箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

基礎を固めること

2018年02月13日 16時16分20秒 | 教育・子育てあれこれ


私立高校の入試結果が報告されています。

合格てきたのは、他でもなく本人が学習を積んできたからです。

3年生で、これから公立受験をする人は、引き続きがんばってほしいと思います。



さて、ブロ野球選手の年俸は、一般のサラリーマンにくらべて、莫大な金額になります。

これは、選手として現役で活躍する期間が短いからということもありますが、子どもの頃から人の何倍も練習をして、トレーニングを積んできたからとも言えるでしょう。

竹の中には、たけのことして地上に芽を出してから、たった3カ月で30メートルも伸びる種類もります。

驚くべき成長ですが、それまでの約10年間、地下で根を張り巡らし、土の中から養分を吸い取り、蓄えていたからできることなのです。

竹と人間は違うかもしれませんが、人間も成長・飛躍するために、長い間の基礎固めが必要です。

さしあたって、地上に芽を出すのが社会に出るときだとすれば、地下で根を張り、栄養を蓄えるのが学生時代になります。

社会に出て活躍する人は、周りから注目を集めやすいですが、その人はそれまで、誰も知らないところで地道な基礎固めをしてきたのです。

もし、中学生が自分の才能を開花させ、好きなことを仕事にして、活躍したいと願うなら、いまのうちからじっくりと、粘り強く、我慢強く基礎固めを続けてほしいと思います。

しがみつかない

2018年02月12日 14時32分13秒 | 教育・子育てあれこれ


「しがみつかない生き方」という本があります。

物事にこだわり、一点集中することが必要なことも、人が生活するうえではあります。

私もこだわらなければならないときは、こだわります。

そういう場合もあるでしょうが、こだわることとしがみつくことはちがいます。

人にはチャンスが到来することがあります。

しかし、せっかくのチャンスを逃してしまった。

このとき、なぜチャンスをいかせなかったのかというふりかえりはしなければなりません。


試合で、ディフェンスがノーマークだったのに、シュートを外してしまった・・・」と悔しがることは、バスケットの選手にはあるでしょう。

でも、「あのとき、こうしておけばよかった」と悔やみ、しがみついても得るものはあまりないのではないでしょうか。

それは、自分に縁がなかった、自分にふさわしいチャンスではなかった。たんにそれだけの話です。

しがみつくという行為は、執着するという意味が含まれます。

無理にしがみつくのはやめて、次を探せばいいのです。

次を探す態度には、素直な気持ちと「学ばしてもらおう」という意欲が宿ります。

前向きな気持ちで、物事に臨むことができると思うのです。

この素直な気持ちというのは、子どもが成長する上で、たいへん大切なものです。

素直な子は伸びます。かりに失敗しても、「次はがんばろう」と、気持ちの切り替えがしやすいのです。

失敗したことに対して、しがみつきません。

素直な気持ちは、子どもの成長には欠かせない条件だと、私は考えます。

感情に働きかける

2018年02月11日 13時02分13秒 | 教育・子育てあれこれ



人である以上、「自分のことを認めてほしい」という欲求は誰もがもっています。

承認願望とか承認欲求というものです。

これは、中学生も大人も、みんながもっています。

自分のことをわかってほしい。それは程度にちがいはあっても、すべての人が心に秘めている欲求です。

なので、その欲求を満たすように対人関係をもっていけば、相手から賛同や協力をとりつけることができるとも言えます。

その際、人間は基本的に論理的な存在ではなく、感情的であることに注目したいのです。

私は、教職員に協力を求めるとき、「人は論理で動くのではなく、感情で動く」と考えています。

1700年代のある時期、イギリスではジョージⅡ世が君臨していました。

そのときの側近だった将軍は、アメリカの新大陸に植民地を建設しようとしました。

しかし、ジョージⅡ世は強硬に認めませんでした。財政難が理由でした。

そこで、将軍は国王の感情に訴えるという方法を考えたのでした。

国王の名前を植民地につけますから、という提案をしました。

すると、国王はすぐに資金と人を準備しました。

このようにして、ジョージア州がのちに生まれることになったのでした。

感情に働きかけ、相手の承認願望を充足させ、円滑な人間関係を築く。これは卑怯なやり方ではないのだと思います。

中学生は論理的思考が発達します。
ですから、論理的に納得できるように話しかけることも必要です。

でも、教師が、生徒のことを認め、その生徒の感情に働きかければ、良好な人間関係ができるとも私は思うのです。

「あなたの行動を見ていて、私はうれしかった(悲しかった)よ」とか「私は残念だった」とか「私まで楽しくなった」などが、感情に働きかける言葉です。

ポジティブなことを意識する

2018年02月10日 09時40分53秒 | 教育・子育てあれこれ



本日は私学入試です。

小雨の中、三中3年生は受験する高校に出かけました。

早朝より他校の大勢の中学生の姿を、駅やバス停で見かけました。

三中の子には、「落ちついて、自分の力を発揮しておいで」と、エールをおくりました。

緊張はするでしょうが、前向きな、ポジティブな気持ちと態度で試験や面接に臨んでください。合格を祈っています。



さて、幅10cmのしっかりと厚みのある長さ5mの板を部屋に置きます。

その上を、こちらから向こうに向かって歩くのは、健康な人なら、たやすいことです。

しかし、下は断崖絶壁で、はるか渓底に河が流れるような渓谷に張った、同じ幅10cm・長さ5mの板を渡るとしたら、たやすくできる人はほとんどいないのではないでしょうか。

同じ板でも、部屋の中なら簡単にできるのに、渓谷ならできないのはなぜでしょう。

部屋でなら、置いた板をわたることに意識を向けることができます。しかし、渓谷なら板から下へ落ちることに意識を向けるからです。それを決行すれば、おそらく渓底へ落ちていく可能性は高まります。

したがって、前向きなポジティブなことに意識を寄せれば成功しやすくなりますが、ネガティブなことに意識を向ければ失敗しやすくなります。

たとえば、サッカーのPK戦で、最後のシュートで勝敗が分かれる時、生徒が「失敗するかもしれない」と不安なままボールをキックすると、やはり失敗します。

だから、チームメイトやコーチは「入るよ、ぜったいうまくいくよ」と声をかけ、本人にボールがゴールに吸い込まれていくポジティブなイメージに意識を向けさせるのです。

三中3年生も、「やることはやった」、「合格するぞ!」という気持ちで、入試にチャレンジしています。


2月のある日

2018年02月09日 19時30分14秒 | 教育・子育てあれこれ



今日は、インフルエンザでのびのびになっていた2年生の「学力テスト」を行いました。

2年生は、インフルエンザからの回復期に入っています。

1年生は、1クラスだけ学級閉鎖になっていますが、来週から回復期に入ると思われます。

3年生は、明日から私学入試です。
ベストを尽くしてがんばってほしいと願っています。


これは、1年生の故事成語の4コママンガです。

一つの故事成語を取り上げて、その意味を表す4コママンガを添えています。




さて、節分は過ぎましたが、節分といえば豆まき。

校舎2階の給食コーナーでは、大豆に関する食品の展示をしています。

習慣づくりは忍耐

2018年02月08日 16時39分43秒 | 教育・子育てあれこれ


学習習慣、生活習慣など子どもが身につけなければならない習慣があります。

この習慣をつけていくのは、親や教師の役割です。

この点で見ると、子育てや教育は忍耐であると言えるかもしれません。

そして、その忍耐は愛情に裏打ちされています。

習慣を身につけさせるときには、大人がイライラするのがいちばんよくありません。

「何回いったらわかるの!?」と怒鳴っても、無理やり従わせることができるのは、子どもが小さいときだけです。

中学生にもなると、いうことをききません。

大人に忍耐が必要です。根気よくかかわり続けるように、大人が自らをコントロールしなければなりません。

一度でできなくても、冷静に言い続けます。

「脱いだ服は散らかさず、洗濯かごに入れてね」

「わかった」

次の日、服は散らかったまま。

同じことを言います。

「脱いだ服は散らかさず、洗濯かごに入れてね」

「わかった」

次の日、洗濯かごに入ってました。

「今日は洗濯かごに入れてくれたから、助かったわ。ありがとう」

できた事実をちゃんと認めます。そして、親の「うれしい」という気持ちを伝えます。

忙しいと、この承認作業を忘れてしまいがちになります。

できたときに、「やればできるね」とおだててほめる必要もありません。

淡々と事実を認め、「ありがとう」と伝えます。

子どもですから、また散らかしたままになることもあるかもしれません。

「この前までできたのに、なぜできないの?」ではなく、

「脱いだ服は散らかさず、洗濯かごに入れてね」と冷静に繰り返します。

習慣とは、このように形成されていくのだと考えます。

間接的ほめ方

2018年02月07日 13時24分30秒 | 教育・子育てあれこれ


子育てにおいては、ほめることが有効であるとよく言われます。

たとえば、わが子が野球部の試合で、決勝打を打ち、同点から1点をあげ、チームが勝利した後の家での会話。

「今日は、よく打ったね」と、子どもに直接声かけする。

これは、子どもの自信を高める効果があるでしょう。

しかし、他にもいい方法があります。

お父さんが家に帰ってきたとき、子どもがいる前で、

「あっ、お父さん、おかえり。ちょっと聞いて。この子、今日、同点からヒットを打って、1点が入り、チームが勝ったのよ。わたし、うれしかったわ」

このように、喜びを間接的に子どもに伝える方法も有効です。

直接子どもに伝える方が、自信を高めることができるようですが、間接的伝え方の方が効果的なことが多いのです。

母が、直接的に言うと、子どもは、ほめてもらえたと感じます。

しかし、父というもう一人にも、自分への評価を伝えてくれたという点が、母に対する信頼をつくります。

「そうなんや。やっぱりボクはがんばったんや」と、さらに自信を高めることになります。

ただし、この間接的ほめ方は、子どものよくなかった行為には使ってはいけません。

子どもにすれば、「自分のよくない行ないをチクられた」となります。

父のいる前で、母が自分の至らないことを伝えているのを、本人がどんな気持ちで聞くでしょうか。

そこで、くじけた子どもの気持ちは、後になって、「次はがんばって」といって励ましても、受け入れる余地をもちません。

また、間接的ほめ方は、父ではなく、その子のきょうだい間ではしない方がいいと思います。

きょうだいは、比べられていると感じることになるかもしれないからです。

子育ても生き方の一つに

2018年02月06日 21時12分24秒 | 教育・子育てあれこれ


先日2月3日のブログで、人生100歳時代を取り上げました。

今回は、人生のライフデザインを考えるうえで、子育てにかかわるという点にフォーカスして、生き方を考えみます。

わが国の子育ては、依然として、女性が子育ての多くを担っているという現状です。

私の娘夫婦は、子どもが生まれた約6ヶ月後から、夫が半年の育児休業をとっています。

しかし、このような例は、制度が整っていればこそできることであり、依然として男性の育児休業取得率は低迷しています。

今後は、子育ては夫と妻の協同の役割で担っていくという意識改革が、人生をどう過ごすかというライフデザインの一つに組み込まれていかなければならないでしょう。

ドイツでも、長きにわたり、男性は働き、女性は家庭を守るという保守的な価値観が主流で、硬直化したものでした。

しかし、2005年にウルズラ・フォン・デア・ライエンさんが、家庭・高齢者・女性・青少年相に就任してから大きく変わったと聞きます。

彼女は、7人の子を持つ母親ですが、就任してからは父親の有給育児休暇、子ども手当などを充実させて、ドイツ社会を大きく変えました。

社会制度や企業の組織構造と働く人の意識の両方から変えていく方法が、日本には必要です。

そして、誰もが人生100年時代の人生のなかで、子育ても一つの生き方として確立されていくことが望ましいのではないかと思います。

おそらく、これから先には、わが国も変わっていくのだと展望します。

ということは、現在の三中の子も、イクメンになる人が今よりは、増えるでしょう。

親御さんも、このことは、一定程度念頭に置かれた方がいいでしょう。

時代は変わっていきます。

(冒頭のグラフは、『毎日新聞』から引用しました。)

周りの人に目を向けさせる

2018年02月05日 12時39分33秒 | 教育・子育てあれこれ



月曜日になりました。
インフルエンザによる生徒の欠席が、気になるまま朝を迎えました。

一言でいうと、2年生は総じて回復期に入っている、1年生は流行期にさしかかっていると判断しています。

ただし、2年生のなかでも、2Dだけは他のクラスの欠席が多くなり出したときには、罹患者はほとんどいませんでした。その分、遅れて本日2Dだけは欠席者が多かったので、今日と明日の2日間学級閉鎖としました。

一方、1年生は、ほぼどのクラスも6名以上の欠席であり、すべてのクラスを、今日を含めた3日間の閉鎖としました。

3年生は、今週末が私学入試です。インフルエンザになっている生徒は、ほぼいませんが、少しでも体調のよくない生徒は帰宅させます。

また、ご家庭で、お子さんの体調のよくない場合は、ためらわず欠席させてもらえますようお願いします。


さて、子育てについて、中学生への接し方の話題です。

反抗期にある子どもは、なかなかすんなりと親の言うことをきいてくれない場合があります。

かなり、手ごわい子もいます。

親が叱ったり怒ったりたりしたら、なおさら反抗します。

でも、子どもの行なっている行為が好ましくないときには、大人はやめさせなければなりません。

子どもの行動を注意するときのポイントは、親は叱ったり、怒ったりするのではなく、自分の考えや意見を言うことです。

ただし、「まちがえている」・「あっている」という価値判断を伝え、「この価値観に従いなさい」ではなく、私にとって「イヤだ」「困る」という感情で表し、「だからやめて」「同じことを繰り返さないでほしい」と、ダイレクトに伝えます。

ふつう、子どもは親にイヤな思いをさせたくないですから、「やっぱりやめたほうがいいかな」と気がつきます。

ただし、思春期の子には、もう少し公共性を広げ、親にだけでなく、もう少し周りの人たちに目を向けさせる方がいいでしょう。

つまり、「私(親)がイヤだから」ではなく、「ほかの人に迷惑になるから」と言います。

このことで、親以外の気持ちを推し量り、自分の行動がどうあるべきかを考えさせます。

静かなレストランで、周りの人がゆったりと、小声で談笑しているとき、さわいでうるさくする子には、「静かにしなさい」とか「だまれ!」ではなく、「ほかのお客さんの迷惑になるでしょう」と諭します。

親の一方的な価値観の押しつけに対して、独立した自己を主張するのが、反抗期の子どもです。

自ら好きで、迷惑をかけようとしているのではありません。

「やめなさい」には、過敏に反応しても、「人の迷惑になるから、やめてほしい」という親のストレートな意見には、的確に判断する理性をもっているのです。

それが中学生です。


未完成であると認める

2018年02月04日 09時41分53秒 | 教育・子育てあれこれ



もうすぐ3年生は私立高校の入試になります。

地域の小中学校で、育ってきた子がほとんどですから、はじめて入試を受けるという生徒がほとんどです。

動揺、心配や不安などの感情を抱く生徒も少なくはないでしょう。

このようなマイナスの感情は、誰もがもちたくないものです。

そんな感情をもたずにずっと過ごしていけるのなら、その方がいいにきまっています。

しかし、心配や不安、ときには恐怖などの感情を抱いたとき、自分がどう考えるかによって経験が変わってきます。

不安でいっぱいの子が、「私は緊張して、いまドキドキしている」と、自分の不安感を認められるなら、そのときから不安はやわらぎます。

演劇部の生徒が、舞台に立つ前、緊張でいっぱいのとき、「わたしは、今、あがっている。ドキドキしている。こんな自分だ」と自分の状態を認め、受け入れると、その不安はやわらぎ、「覚悟ができた」と言っていました。

よく、部活などで、緊張しすぎて、力が出せなかったという感想を生徒から聞きます。

緊張しているという自分を認めず、不安なままで物事にあたるより、認めた方が楽になれます。

認めることで、「あがって失敗したらダメだから、気をつけよう」と冷静に考え、不安は不安でなくなります。

自分に自信のある子は、不安をもっているという自分を受け入れることができます。

人間はもとより完全ではないのです。だから怒りや不安感、ねたみなどの感情を持つものです。そんな感情を取り除けるものではありません。

完全でないのに、完全のように振る舞っていると、自分の不完全な点に直面したとうろたえます。

自分のことを不完全・未完成であると受容できる子は、自分のことが好きである子(=自己肯定感の高い子)です。

今週土曜日に迫った私学入試では、ふだんの学習の成果を発揮できるように、願っています。

人生100歳時代がやってくる?

2018年02月03日 11時38分44秒 | 教育・子育てあれこれ



いままでの日本人のライフパターンは、約20年が学生時代、その後約40年が仕事時代(1社で勤めあげる)、最後に約20年が余生時代でした。

このライフパターンは、人生80年を念頭に組まれていました。

しかし、最近、外国のある著名人が、いまの2007年生まれの子の半数が、100歳以上生きることになるというデータを紹介しています。

2007年生まれの子というと、いまの小4です。

このデータを信じる、信じないはともかく、平均寿命が今後伸びていくのは確実でしょう。

となると、人生80年という人生設計は、明らかに変更を余儀なくされていきます。

いまの小学生は、おそらく、約20年が学生時代、仕事は40年以上で、1社ではなく転職、60歳を過ぎても仕事につき、その後は地域活動に加わったり、ボランティア活動に従事して残りの人生を過ごす。

こんな時代が到来するかもしれません。

この時代では、今以上に、「自分の生き方は自分できめる」という主体性が必要になるのではないでしょうか。

いまや、会社が40年の面倒をみてくれるという終身雇用制は揺らいでいます。というか、終わりました。

いまの小学生が(中学生も含まれるでしょうが、)働く頃には、40年の間に転職も普通になるかもしれません。

また、社会では、副業が許されるような時代になるかもしれません。

先日、TVで日本なプロゴルファーの女性が言っていました。

「私たちはアスリートと呼ばれ、一日中練習に打ち込み、ゴルフしかしていない。でもアメリカでは、同じ女性プロゴルファーがゴルフ以外に、大学で学んでいたり、看護師資格を持っていたりする。でも私たち日本のプロゴルファーは、ゴルフをやめたら何もできない」

という現状です。

私は、ほんとうにそうだなあと思いました。

だから、今後は本業以外に資格をもったり、副業が許される時代が来ると、私は考えます。

あなたは、思い通りに生きていますか?

このことを自分に問いかけ、副業、留学、趣味、ボランティア活動、育児、地域活動・・・。

常に学び続けなければなりません。

少しでも関心のある活動や分野にかかわり、自分の人生を豊かにデザインして、自分を生かしていくような人になるべきなんだろう。

最近、こんなことを想うのです。


取り組み態度をみる

2018年02月02日 14時01分04秒 | 教育・子育てあれこれ




3年生は学年末テスト、1年生は「学力テスト」が終わりました。

2年生は、学級閉鎖の影響で、2月5日に「学力テストを実施する予定です。


さて、今回はテストについての話題です。

子どもがテストで90点以上をとったとき、「90点以上は、あと何人いたの?」と聞く親御さんもおられると思います。

90点以上の数が少ないと満足でき、他にも多数いると残念に思う。

これは他との比較で価値を判断しているケースです。

自分より点数をとった人が多くいれば自分のことをたいしたことないと思い、少なかったら他より優れていると感じるというのは、子どもにとっても自然なことでしょう。

これは意識なく感じることです。ですから、いいとか悪いというものではありません。

しかし、大人が冒頭のケースのような会話を日常的にしていると、子どもたちが点数で価値を判断する考え方や習慣が身についてしまうことも考えられます。

子どもは、意識なくやってしまうことなので、変えていくべきと言われても難しいことです。

でも、大人は子どもが、結果よりもテストに向けて、よくがんばったことを認める言葉をかけるべきなのです。(結果も出れば、それも評価します。)

点数をとるから偉い、立派というのではなく、努力した子どもの態度を見続けます。

他との比較で、子どもが自分が劣っていると感じても、その自分をありのままに認めることができれば、自分への自信を失わないのです。

自信をもつ子は、一つの点では自分よりできる人がいるが、この点では自分のほうができるという考え方や見方ができるようになります。

大阪府のなかでも、豊能地区のようにとくに受験や教育に対して、子どもも大人も関心の高い地域では、「勉強できるか、できないか」ということだけで、子どもが自信を高くしたり、低くしたりになりがちです。

物事の結果だけでなく、子どもの取り組み態度もみていくことが大切です。




負の感情から離れる

2018年02月01日 10時55分37秒 | 教育・子育てあれこれ


先日のブログでは、中学生が自立に近づいていると判断する基準の一つは、子どもが親にいろいろと話さなくなったときであると書きました。(1月15日)

私は、中学生がほんとうに、自立に近づいていると感じるのは、その子が自分のことを客観的に見ることができるようになったときだと考えています。

大人だってそうですが、つらいことや悲しみにであうと、中学生も誰もがへこみます。

そのときはうちひしがれていても、ある時期になると自分のことをあたかも他人がながめているように、客観的に見れるようになります。

つらい経験や悲しさを、感情からはなれ、その経験が自分にとってどんな意味をもつのかを冷静に考えるようになることを、「メタ認知」といいます。

大会出場を控え、自分の不注意でケガをした生徒は出場できませんでした。本人の落胆ぶりは大きく、しばらくは悔しさでいっぱいでした。

しばらくしてから、その生徒は冷静になり、 自己を見つめました。

大会出場を逃したのは、「ふだんからの自分の軽率な行動に気をつけなさい」という意味かもしれないと、思い直しました。

これが、「メタ認知」です。

このような気づきは、自分を客観的に見るからこそ、生まれてくるのであり、その子の心は自由になります。

反対に、つらい、悲しい経験をいつまでも引きずっていると、負のサイクルが強まり、好ましくない考え方に引き込まれていくのです。

経験としっかり向き合い、内省できるようになると、マイナスの感情や考えは弱まってくるのです。


先日、三中3年生のある生徒が自分の中学3年間を振り返って、文章にまとめていました。



クラブでのもめごと、落ち着かなかった自分の気持ち、家庭内の問題を一つずつ思い出し、その経験を通して、いまの自分がある。経験はムダではなかったと思う。
そして、わたしは、高校をどこにするかを決めたので、がんばっていく。

このように、文末を結んでいました。



人は、悲しみや憤り、苦しみなどに打ちひしがれているときは、自分を見つめたりできません。

しかし、一定の期間が過ぎ、悲しみ、憤り、苦しみを切り離して、ふりかえりができるようになるあたりが、中学生のたくましさだと思うのです。

また、このふりかえりを言葉にして人に話したり、文字にかえて表すことで、その子の考えが、より明確になります。

事実、その子は、いままで先生と話すときは、顔を上げず、目を見て話さないことが多かったのですが、今ではちゃんと目と目を合わせて話せるように成長しました。




ただし、中学生はまだ子どもでもあるのですから、つらい経験に向き合ったり、自分を十分に見つめられないことも多いでしょう。

だからこそ、大人からの「気にかけているよ」という見守りや「こうは考えられないかな」という温かいかかわりが必要なのです。

(写真の人物と、本文の内容は関係ありません。)