先日のブログでは、中学生が自立に近づいていると判断する基準の一つは、子どもが親にいろいろと話さなくなったときであると書きました。(1月15日)
私は、中学生がほんとうに、自立に近づいていると感じるのは、その子が自分のことを客観的に見ることができるようになったときだと考えています。
大人だってそうですが、つらいことや悲しみにであうと、中学生も誰もがへこみます。
そのときはうちひしがれていても、ある時期になると自分のことをあたかも他人がながめているように、客観的に見れるようになります。
つらい経験や悲しさを、感情からはなれ、その経験が自分にとってどんな意味をもつのかを冷静に考えるようになることを、「メタ認知」といいます。
大会出場を控え、自分の不注意でケガをした生徒は出場できませんでした。本人の落胆ぶりは大きく、しばらくは悔しさでいっぱいでした。
しばらくしてから、その生徒は冷静になり、 自己を見つめました。
大会出場を逃したのは、「ふだんからの自分の軽率な行動に気をつけなさい」という意味かもしれないと、思い直しました。
これが、「メタ認知」です。
このような気づきは、自分を客観的に見るからこそ、生まれてくるのであり、その子の心は自由になります。
反対に、つらい、悲しい経験をいつまでも引きずっていると、負のサイクルが強まり、好ましくない考え方に引き込まれていくのです。
経験としっかり向き合い、内省できるようになると、マイナスの感情や考えは弱まってくるのです。
先日、三中3年生のある生徒が自分の中学3年間を振り返って、文章にまとめていました。
クラブでのもめごと、落ち着かなかった自分の気持ち、家庭内の問題を一つずつ思い出し、その経験を通して、いまの自分がある。経験はムダではなかったと思う。
そして、わたしは、高校をどこにするかを決めたので、がんばっていく。
このように、文末を結んでいました。
人は、悲しみや憤り、苦しみなどに打ちひしがれているときは、自分を見つめたりできません。
しかし、一定の期間が過ぎ、悲しみ、憤り、苦しみを切り離して、ふりかえりができるようになるあたりが、中学生のたくましさだと思うのです。
また、このふりかえりを言葉にして人に話したり、文字にかえて表すことで、その子の考えが、より明確になります。
事実、その子は、いままで先生と話すときは、顔を上げず、目を見て話さないことが多かったのですが、今ではちゃんと目と目を合わせて話せるように成長しました。
ただし、中学生はまだ子どもでもあるのですから、つらい経験に向き合ったり、自分を十分に見つめられないことも多いでしょう。
だからこそ、大人からの「気にかけているよ」という見守りや「こうは考えられないかな」という温かいかかわりが必要なのです。
(写真の人物と、本文の内容は関係ありません。)