
人である以上、「自分のことを認めてほしい」という欲求は誰もがもっています。
承認願望とか承認欲求というものです。
これは、中学生も大人も、みんながもっています。
自分のことをわかってほしい。それは程度にちがいはあっても、すべての人が心に秘めている欲求です。
なので、その欲求を満たすように対人関係をもっていけば、相手から賛同や協力をとりつけることができるとも言えます。
その際、人間は基本的に論理的な存在ではなく、感情的であることに注目したいのです。
私は、教職員に協力を求めるとき、「人は論理で動くのではなく、感情で動く」と考えています。
1700年代のある時期、イギリスではジョージⅡ世が君臨していました。
そのときの側近だった将軍は、アメリカの新大陸に植民地を建設しようとしました。
しかし、ジョージⅡ世は強硬に認めませんでした。財政難が理由でした。
そこで、将軍は国王の感情に訴えるという方法を考えたのでした。
国王の名前を植民地につけますから、という提案をしました。
すると、国王はすぐに資金と人を準備しました。
このようにして、ジョージア州がのちに生まれることになったのでした。
感情に働きかけ、相手の承認願望を充足させ、円滑な人間関係を築く。これは卑怯なやり方ではないのだと思います。
中学生は論理的思考が発達します。
ですから、論理的に納得できるように話しかけることも必要です。
でも、教師が、生徒のことを認め、その生徒の感情に働きかければ、良好な人間関係ができるとも私は思うのです。
「あなたの行動を見ていて、私はうれしかった(悲しかった)よ」とか「私は残念だった」とか「私まで楽しくなった」などが、感情に働きかける言葉です。