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人は潜在能力を持っています。
英語では、潜在能力のことをpotentiality といいます。
潜在能力は、いまは目に見えていません。
たとえば、400馬力の車は低速で走っているときは、他の車と見分けがつかないかもしれません。
しかし、いったんアクセルを踏むと、そのポテンシャルの高さを発揮して、他の車をぶっちぎり。
しかし、人の潜在能力は、車のように簡単には開きません。
子どもの潜在能力は、その名の通り、潜在しており、表に現れていない場合が多いのです。
学力についても、この分野が得意てあるという潜在能力が隠れているかもしれません。
それを引き出すには、
訓練がいるかもしれません。
時間がかかるかもしれません。
磨きあげてこそ、開花するかもしれません。
でも、潜在能力は子どもの頃から、その芽は見える場合もあります。
たとえば、坂本冬美さんは、小学生の頃から音楽の時間、学校の先生に「あなたは、歌を歌う仕事をしなさい」と言われたそうです。
三中校区の家庭は、他校区よりも子どもの習い事に熱心な親御さんが多いという印象を私は持っています。
バレエやゴルフ、書道、将棋、漢検、チア、スポーツクラブ・・・。
毎年、3年生の調査書には、生徒個人がもっている特技や資格が書かれています。
あらためて、たくさんの習い事をしてきた、していると感じます。
また、今年の3年生の中には、将来、建築家になりたいとか、庭師になりたいと言っている子かいます。
子どもは可能性をもっています。
この意味で教育は、educate = e(外へ)+duct(資質を導き出す)という語源が示す通り、「教える」のではなく、「引き出す」というのが本来の意味であるのは、納得がいきます。