箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

保健室の先生に聞きました

2024年12月16日 07時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校の養護教諭(保健室の先生)の任務は、健康診断の計画・実施、学校医との連絡調整、ケガをした児童生徒の応急手当、学校の環境管理をしたりします。

ただそれら以外に、保健室を訪ねてくる児童生徒からの相談業務も、学校では大きな意味をもっています。

教室に入りにくい子から話を聞いたり、拒食症の子、学校生活の相談など、学級担任に話さないことでも、養護教諭には話せるという子もいます。


さて、今回、LGBTQなど性的少数者の支援に取り組むNPO法人が、養護教諭を対象に性的少数者にあたる意識や当事者の子どもに接した経験などを聞いた調査を行いました。


その結果によると、男女別に決められた制服を見直すべきであると、多くの養護教諭が考えていることがわかりました。



トランスジェンダーの子どもにとって、男女別に決められた制服は学校生活上で困ることが多いのです。


性別ごとにとり決められている従の制服で問題があると考える養護教諭は85%にのぼりした。


ズボン、スカート、ネクタイ、リボンなど、いずれの組み合わせもOKとする選択制の制服がいいと考えていることがわかりました。


性的マイノリティの悩み相談の最前線にいる養護教諭なので、その意見は学校運営に大いにとりいれられるべきです。




かなわないからこそ、かなえたくなる

2024年12月15日 06時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ



自分を生かしてくれた、幸せにさせてくれる

「だけ」のものは存在しません。


そうしたもの同時に自分の何かを犠牲にしたり、自分をつらくさせたりするのです。



人は努力して夢を叶えようとしているとき、心は充実しています。


でも、充実だけではないのです。夢を叶えるにはとても大きな努力が求められる厳しさを味わうのです。


このように努力すれば、夢がかなうのだと思うし、不確かな目標だとしてもそれに向かって努力しようと思えます。


でもその一方で、夢をかなえるのには途方もなく多くの努力を重ねる必要があることや、自分自身がそこまでの努力をしていないことを突きつけてくるのです。


簡単に達成できるものではないからこそ達成するために重ねた努力はすばらしいのです。


また、簡単にかなわないからこそ夢はかなえたくなるものなのだという表裏一体の状態を知らされるのです。


子どもは、一人の人格

2024年12月14日 07時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ
少子化が進行中で、一人っ子が増えています。

たしかに、一家に子どもは一人という家庭は一昔前より増えています。

それでは、一人っ子は教育・子育ての面で、きょうだいがいる場合と比較してどのようなちがいが出やすいのでしょうか。

まず、親と子の関係がよい場合には、子どもはたっぷりと親から愛情を受けることができます。

しかし、親側の問題で、子どに愛情をあまり寄せない人の場合、きょうだいがいないのでこどもは「ひとりぼっち」を感じることが多くなると思います。

また、子どもに「こうあってほしい」や「〜になってほしい」と求める親の場合は、子どもが一人なので、求める度合いが強くなり、自分の理想を子に押しつけてしまい、関係が密になり、子どもは息づまり感をもちます。


ただし、そのようなことは、あくまで傾向であり、そうならない親子もあり、さまざまです。

だから「一人っ子だからこうだろう」と決めつけないことが必要です。

さらに、親がいちばん気をつけなければならないのは、過保護はよくないということです。

一人っ子に限ったことではないですが、子どもが傷つかないように、困っためにあわないようにと、先回りして子どもを守ることが多いとき、子どもは自立しにくくなります。

かりに、「ころばぬ先の杖」が子どもも望んでいる場合には、子どもが自分自身で考える機会が減っていきます。 


けっきょく、わが子が一人っ子であろうが、きょうだいのいる子であろうが、親は「自分とは異なる人格を持った一人の人間」として接することが大事なのだと思います。







本や活字のもつ威力

2024年12月13日 06時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ
最近30年の間、出版界が不振です。

30年間で書店数は半分(7000店)に減りました。

書店経営者の年齢も高齢化が進み、あと20年で5000店ほどになるという試算があります。

残るのは、大半の書店が大手やチェーン店です。このままでは個人が経営する「まちの本屋さん」はほぼ消えてしまう危機にあります。

また、最近は若い人が本を読まなくなったと嘆く「本離れ」「読書離れ」が進んでいるといわれます。

学校現場の実感でいえば、本を読む冊数は減っていても少しぐらいでほぼ横ばいです。小中高校生でいえば、むしろ微増しています。

ただし、高校を卒業した直後の19歳および大学卒業後の23歳は大きく減っています。

それはおそらく、アルバイトや就労で経済的に少しゆとりができ、いろいろなメディアに接する機会が増えるからです。

そこで動画配信を楽しむ人が増え、本は太刀打ちできなくなります。それは、新聞でも同じでしょう。

しかし、本や新聞には、それにしかない力があると思います。その力を言葉で表現するのは難しいですが、読む人は活字や本のよさを知っています。

活字や本には、「予期しなかった出会い」があるとでも言いましょうか。

私自身の経験から言っても、確かにあります。

本のよさを代弁する楽曲の歌詞を紹介します。





「太宰治を読んだか ?」

風に向かって ずっと歩き続けたんだ
どこにいるのかわからずに 何かに逆らいたかった

道は果てなく 僕は無我夢中だった
少しでも気を緩めると 心が吹き飛ばされた

人はなぜ生まれるのだろう? いつか死んでしまうのに
つらい毎日の中で 生きる意味を知りたかった

太宰治を読んだか?と聞かれた 君と出会った日
正直に言えば 僕は読んでなかった

近くの本屋で何冊か買って ファミレスに入った
縋(すが)るように ページめくりながら自分探した

風はそれでも 何も変わらず吹いていた
スーパーの安売りのちらしが ひらひら 振り回されてた

行けど夢など 何(なん)にも見つからなかった
夢なんか見てしまったら 挫折が怖くなるだけ

なぜか涙も出やしないよ 愛も枯れるもんなんだ
今日を淡々と生きて考えないようにする

太宰治を読んだか?と聞かれた 君を友と呼ぼう
残念なことに 本に答えはなかった

“目から鱗が落ちた”というような 奇跡はないけど
ただ 人生とは何か? 語れる友ができた

太宰治を読んだか?と聞かれた 君と出会った日
正直に言えば 僕は読んでなかった

太宰治を読まなきゃだめだよ 必ず勧める
そこにあの日と同じような僕がいるんだ

太宰治を読んだか?



(作詞:秋元 康、作曲:杉森 舞  2013年)   




様々な子がいきる柔軟な学校づくり

2024年12月12日 08時48分00秒 | 教育・子育てあれこれ

不登校の児童生徒に対応するため、国は「不登校特例校」を2004年に設けました。

不登校特例校は、学びの多様化学校とも言われています。

従来の教育課程にとらわれない、柔軟なカリキュラムを組めるのが特徴です。

これまでに全国35枚設置されています。


通いやすいよう、登校時間は一般の学校より遅らせて設定し、教科学習の時間は午前に集め理解度に合わセて個別指導します。


午後は子どもか奥味のある学習をできるよう、「採究」やフィールドワークなどに充てる。



考え方や何に価値を置くかが広がっているのは、いまの社会のありようです。


学校の世界は、ある意味で社会の縮図ですが、教育の現場では逆に、揺り戻しというかかえって定型化が進んで硬直化しているとも考えられたす。


そのミスマッチが不登校の急増の一因でしょう。


加えて、2020年から本格化した新型コロナウイルス感染症の拡大が、不登校の増加に拍車をかけたのでした。


今現在、不登校児童生徒はコロナ前から9万人増え、およそ34万6480人と急増しています。


様々な生活背景をもつ児童生徒が受け入れられていると実感できる柔軟な学校体制が、今の不登校問題の解決には不可欠となっています。







災害・防災で、中学生は守る立場に立てる

2024年12月11日 09時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ

大阪府では、学校や地域で優れた防災教育展開している学校を顕彰する「ぼうさい甲子園」が毎日新聞社などが主催して、行っています。


今回、2024年度の大賞に選ばれた府内の中学校は、「ゼミ」方式をとり、生徒が楽しみながら防災を学びながら、住民とも協力しあい、地域の防災意識の向上を図っています。


担当教員の得意分野を生かせるよう、「情報」、「食」、「安全」、「ユニバーサル」の4分野でゼミを設けました。


そのゼミを生徒がみずからの興味関心に応じて選べるようにしました。


生徒たちは

・地域の防災倉庫を取材して新聞を発行

・防災レシピの考

・校区の危険箇所の確認とアプリでの情報共有

・避難時のエコノミークラス症候群を予防する体操の考案

など多彩な活動を展開しました。


私は以前から、防災活動や防災時での中学生の役割について課題意識をもっています。


それは、防災や災害避難時には、中学生は守られる存在と位置付けている自治体が多いということです。


30年前に起きた阪神淡路大震災では、避難所の運営はもちろん行政、おとなのボランティアが活動しました。


しかし、神戸市立のある中学校では、避難所の運営の実際を中学生がボランティアで担っていたという事実があるのです。


つまり、中学生は防災時、災害時に守られる立場にもあるのですが、被災者を守る立場にも立てるのです。


そのような中学生の力に期待するとき、このぼうさい甲子園の取り組みに、わたしは大きな可能性と意義を認めるのです。


学校をもっといい環境に

2024年12月10日 08時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ


今でこそ改善されてきましたが、学校の学習・生活環境は劣悪とまではいえないものの、児童生徒にとっては満足のいくものではなかったのでした。

冷房はきいていない、トイレは3k(きたない、臭い、こわい)で、とくに戦後の高度経済成長期に建設した学校が多く、老朽化が進んでいました。

トイレは和式がほとんどだっところを、洋式に付け替え、自治体によってはウォシュレットもつけています。床は水を流さないようになった学校も増えています。

また熱中症の危険度が近年高まり、いまではほとんどの自治体の学校で教室にエアコンがついています。

気象庁がいうには、日本の夏(6〜8月)の平均気温は100年で1・31度のペースで上昇しています。


そして2023年と2024年は統計開始以降最も暑い夏となりました。


ただ、学校はそれでも大人数が集まる施設です。


もともと工事の基礎段階から断熱材などを入れていない学校も多く、冷房が十分に行き渡らない学校もあります。


いまでは多くの子が、家で快適な生活を送っており、その延長として学校の環境はさらなる改善が求められます。


一人暮らしが増えている

2024年12月09日 06時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ


一人暮らしの世帯が、全国で急速に増えています。


その先頭をいく東京で目立つ現象は、30歳から50代前半のミドル層の一人暮らしの多さです。


東京23区では、2020年で既にミドル層人口の3割弱が1人暮らしです。


いまや単身世帯への対策は、高齢者だけてなくミドル層も視野に入れなければなりません。


そして、一人暮らし世帯の増加は全国的な傾向になっています。


東京23区では、仕事と所得に恵まれたシングルが全国的にみても多いです。


でもその一方で、不安定で低所得の仕事に従事し、老後の蓄えをする余裕もない一人暮らしの人も少なくないと言われています。


その傾向は50代後半以降になると、より明確になります。


一人暮らしの人は、病気、事故や災害などが起こった際に、誰の助けももらえないのではという不安が強くなります。


一人暮らしは、自由であることと孤立・孤独、不安が背中合わせになっているのです。


この世代が高齢期に入る時代には、身寄りの少ない1人暮らし高齢者が大幅に増えることが懸念さます。


未婚者が増加する状況にもかかわらず、現在の社会構造は家族を基本的にして制度設計がされています。


一人暮らしであっても、一人ひとりが守られる権利をもっているという考えを基本に制度をつくるのが課題です。




立山連峰の思い出

2024年12月08日 06時03分00秒 | 教育・子育てあれこれ
小学生のとき、家族旅行で行った信州・日本アルプスの高原は、わたしにとって一生忘れることができない、鮮烈な光景でした。

山間部に住んでいるとはいえ、大阪府の山々とは、まったく違った趣でした。

青い空からの強い日差しと木陰のコントラストが鮮やかな雪をかぶった立山連峰を背景にする乗鞍高原一帯の夏は爽やかで心洗われるものでした。

そして、それは昼間の光景でしたが、夜には静寂があり、ときとして底知れないほどの沈黙の中に沈んでいくような、静寂な夜がありました。


光の妖精たちが飛び跳ねているような夏の避暑地の清々しい光景だけでなく、高原の夜の限りない静寂に子どもながらに心を惹かれたのでした。


ただし、わたしはそこに住みたいとはもはや思いません。


大阪のふるさとの山々は、日本アルプスと違って、夜は漆黒の闇に閉ざされてはおらず、にぎやかな明かりが灯る街の光景と地続きなのです。







白鳥が飛ぶ

2024年12月07日 06時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ

『斐伊川相聞』(富岡悦子)の詩集は、作者にゆかりのある出雲や、父との記憶などをめぐって書かれています。


歯切れのいい短めの詩は、淡々とした語り口と互いに作用しあい、きっぱりとした清々しい印象を放ちます。



「天寺平廃寺」(てんじびらはいじ)には、次のような一節がでてきます。


私の手をひく大きな人は

もう片方の手で中空を指さした。

その先には白鳥が飛ぶ。

「ああ くぐい」と父の低い声。



くぐいとは白鳥のことですが、作者の思い出と重ねられて大切に扱われています。


詩を通して、敗戦の夏の記憶をたどり、作者は祖先に繋がる土地を引き寄せようとします。


一つ一つの物との距離感をはかるようにして綴られるが、はかりきれないはがゆさを含んだ作品になっています。


それは忘れてしまいたくないという抵抗でもあります。


私的なところから始まり、広がりをもって風物や歴史へと視線が届いていくのです。


就活生へのパワハラの判断

2024年12月06日 05時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ
11月11日のブログで、就活生へのセクハラ防止について書きました。

立場の弱い学生の保護を強化するため、企業に学生と面談する際のルールを事前に定めて学生に開示すべきです。

また、被害を受際の相談窓口設置と周知も必要です。


さらに、就活中のセクハラの防止は男女雇用機会均等法あるいは労働施策総合推進法を改正し、企業・事業主に対策義務を課すべきであることを述べました。


では、パワハラについてはどうでしょうか。


今は、いわゆる「圧迫面接」もパワハラのアウトかセーフのきわどいラインに入ります、



現行法でパワハラと認定するには、「加害者側の職場内での優位性をもとにして」と定めています。優位性には職場の上司などが考えられます。


そのもとで、暴言などがあったとしても就活生とはこうした関係になく、認定が難しい可能性もあります。


業務への適性を判断するため、あえて威圧的な質問をすることもあるのが現状で、アウトかセーフの線引きはかなり難しいと考えられます。


あいまいさにつきあう

2024年12月05日 08時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしが学校現場で教員をしていた途中、おそらく1990年頃から、学校の職員室で教職員がパソコンを仕事に使うようになりました。

まだ、生徒がPCを授業で使い始める前の頃です。

そのときに、しきりに社会で言われていたのは、「情報化社会」の到来でした。

ほどなくして、情報化社会の進展とともに、情報リテラシーの力を生徒につけていく必要性が言われるようになりました。


情報社会で求められる力とは、いわゆるリテラシー(読み書き能力)でした。


それは前後の文脈を押さえながら、文脈を読み内容を理解する力です。


そのためには他者の文脈を把握することが求められ、過去の歴史という時間軸も前提になります。


ところが、そのときからおよそ30年が経過して、文脈はどんどん軽視される方向に進んできたのでした。


LINE、X(ツイッター)、インスグラムなどのSNSなど、ネットワークでつながり合う時代が到来したのがその原因です。


文脈や事実を読むのではなく、喜怒哀楽のような感情を表現して、それを読んだ人も感情で返します。


こんなにおいしかった→その店にわたしも行きたい


お客さんに無理難題のクレームをつけられた→許せない


悲報! かわいがっていたペットがなくなった→悲しい


このように、私たちは喜びや驚き、怒りといった感情社会の中で生きているのです。


煩わしい現実よりも、快楽が優先されます。SNSの浸透により、即時的な満足感の最大化が目的とされる社会が来ているのです。


こんな感情社会のなかで、私たちはどのように生きていけばいいのでしょうか。  




生成AI(人工知能)でも間違える情報の真偽も、実は時間がたてばおのずからわかる場合が圧倒的に多いのです。



だからこそ、情報をまず『  』でくくって、即断せずに見過ごすのです。


よくわからなくても、そのあいまいさを受け入れ、時の経過という試練を待つのです。


情報があふれるSNSの時代でも、リアルな社会にはそこからこぼれ落ちた、煩わしくても大切な情報があるのです。
















ゆるやかな坂道

2024年12月04日 06時48分00秒 | 教育・子育てあれこれ


わたしの母は現在要介護4です。父は10年前になくなりました。

介護はとかくできなくなったことや悪くなったところにだけ目が行きがちです。

しかし、人には残っている能力が必ずあります。

だから、できなくなったことではなく、残っている能力をできるだけ維持して、伸ばすことができる点にも目を向ける方がいいと思います。

その方が介護する側にとっても、楽しみや喜びが生まれます。

ベッドから車いすに移るときなど、介護する側が「今日はちょっと腰の具合がよくないので、できるだけ一人でたって」というと、本人もがんばって一人で立とうとします。

「助かったわ」と言うと、「そうやろ」と返してくれます。

そのとき、わたしはふと保育所のとき、右脚の関節炎で、何度も病院がよいをするときずっと付き添ってくれた風景を思い出すのです。

介護は、人の一生の「下り坂」をできるだけゆるやかにできるかがポイントになります。

無事に1日を過ごすことができたら、バンザイです。

今日も1日元気でいてくれてよかった。

そう思えることが、介護から喜びを得る秘訣なのかと、最近思います。

学力に応じた高校進学

2024年12月03日 07時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしが中学3年生の学級担任をしていた頃の話です。

大阪府は今もそうですが、府立高校の入試レベルは階段状に難易度が分かれており、生徒が進学を望む高校の合格可能性を学級担任は見極め受験指導をします。

生徒も親も、たいていの場合、「少しでも上の高校へ行きたい」という願いをもちます。

しかし、中学校はギリギリの学力で受験生するよりも、すこし学力的に余裕がある高校を選ぶように指導します。

合格ラインぎりで受験するのと少し余裕をもって受験するのとでは、入学後の成績に影響するからです。

第1志望校の低位より第2志望校での上位では、入試時点ではわずかな違いの実力にもかかわらず、入学後の成績は第2志望校の方が高くなるのです。

この傾向は、とくに学力上位校に現れやすいのです。



それは、入学後の本人の自己効力感が関係するからです。


「自分ならきっとうまくできる」と自分の可能性を信じている子どもは、進路や進学に明るい希望を持ち、努力して学習を続けます。


しかし、第1志望の最低位になってしまうと、学力の高い優秀な同級生と自分を比較して、自分に対する自信を失い、努力することをやめてしまうのです。


進学校への入学を果たしたにもかかわらず、入学直後のテストで低い成績を取ってしまい、下位層から浮上できなくななるのです。



受験校を選択する際の大切なことは、他人との競争に勝つことではありません。


社会に出た後に活躍していれば、学生の頃に受験に失敗したなどという話は取るに足らないことです。












平和記念資料館と被爆体験者の証言がもつちから

2024年12月02日 06時45分00秒 | 教育・子育てあれこれ


先日、広島の平和記念公園、平和記念資料館へ行きました。

平日でしたが、来館者はたくさんで、資料館は人でごった返していて、展示をじっくりと見るのは容易ではないという混み具合でした。

来館者は修学旅行生が多かったですが、来日外国人観光客も多くが訪れていて、みなさん熱心に見学されていました。

そこで私が感じたのは、資料館へ来て実際の原爆・核兵器の恐ろしさを初めて知った外国人が多いのではないかということでした。

足を止めて、じっと展示物を見たり、英語説明文を読んでいる外国人は、一様に真剣な表情でした。

原爆・核兵器の恐ろしさ、悲惨さ、原爆被害の実相は、実際の展示や証言を見たり、聞いたりして初めて真に理解したというのが、実情のようです。

アメリカ本国にいれば、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だった。最初にパールハーバーを攻撃しかけてきたのは日本だったじゃないか」という意見をもつ人はいます。

しかし、大量の放射線を放った兵器がどれほど多くの人びとの人生、生き方を変えてしまったかを知るとき、原爆投下正当論の間違いに気づくのです。

また、被爆体験者が語る証言には、を削って語り続ける被爆者の証言には重みがあり、核兵器はに関する無知を一つひとつそぎ落とし、人の心や考え方に変化をもたらす力があるのです。

被爆体験者の証言や平和記念資料館は、核兵器は二度と使ってはいけないという被爆者の言葉を人びとの心に遺産として残るよう訴え続けるのです。