昨日、例年よりも遅く・・ようやく芽を出した夏水仙
その白い蕾が、翌日には「あっという間に延びて」
もうすぐ!美しい淡い桃色の花びらを見せてくれる
明日も「激しい雨が降る」そうですから、ゲリラ雨&豪雨に茎を折られたり花びらを傷つけられたりしないようにと祈っています
昨日、例年よりも遅く・・ようやく芽を出した夏水仙
その白い蕾が、翌日には「あっという間に延びて」
もうすぐ!美しい淡い桃色の花びらを見せてくれる
明日も「激しい雨が降る」そうですから、ゲリラ雨&豪雨に茎を折られたり花びらを傷つけられたりしないようにと祈っています
短い背丈の若い『高砂百合』健気な花 例年よりも随分遅く、芽を出した
『夏水仙』
きょうも「晴れ時々曇り、のち、にわか雨」の、気まぐれな天気だったのですが・・・
気温は低かったので、外回り&窓の洗浄&カウンター磨き&諸々の器具類の洗浄、等々
お昼ごはんと休憩を少し取っただけで、頑張って「三人で額に汗して」働き続けました
もうすぐ二学期の給食が始まります残暑が厳しければ「体力的に心配」な三人なのですが・・・
調理従事者の「心のこもった」給食なので、私たち自身も「給食を頂くことが楽しみ」なのです。
でも、私は(お腹が弱くて?)牛乳をうけ付けない体質です。牛乳は飲めません
モーニングコーヒーに牛乳を入れて飲むのは、大丈夫なのですが・・・
職場の若い調理員さんが『世界遺産・熊野古道』の御土産を持ってきてくれました
(熊野の花火を観に行ったそうです)
そうそう・・『世界遺産』といえば、こないだ念願の世界遺産に登録された『平泉・中尊寺』の放射線量は大丈夫でしょうか?
(心配しています)
なんでも・・放射線量は、全県で「高さ1m測定」になるそうです。
今までは、人間のための測定ではなく、鳥のための測定だったそうですよ~!(地上18m)
新聞記事の『暮らし見つめて』に載っていた文章を読んで、私は心の芯から「ほっ」と安堵しました!
例えばあなたが金持ちになりたいのなら 諦めなさい(仏教の教えは簡単
『諦め』=『明らめ』
)
「金持ちになろうとすれば、人は多くのものを犠牲にせねばなりません」
「まず、ケチになります」「骨の髄まで仕事人間になります」
その結果・・
「家族の団欒を失ってしまう」「ゆったりと過ごす時間が持てなくなります」
「いつもあくせく、いらいら、がつがつしていなければなりません」
幸福になりたいのであれば、金持ちになりたいと思ってはいけない
のんびり ゆったり 暮らすことが 幸福なんです
今年に限って、悪天候の中で開催された『昨夜の盆踊り』だったのですが・・ゲームコーナーで楽しそうに遊ぶ子供達&雨に濡れながらも元気に踊る町内の方達に囲まれて、盛大に行われました。
21時から(御寺の境内で)開催された「抽選コーナー」で、母がB賞
に当選しました
きょうは、地元の御寺と同じ地所内に建立されている『地蔵さん』の年に1度の御祭りです。
朝早くに、御供えの品と「志」を持参し、午後から「盆踊りの祝い金」を持って上がりました。
毎年恒例の、程好い硬さで美味しい『おころ』を頂きました
朝から凄く涼しくて、気持ちよく畑仕事をしていると・・急に土砂降りになったり・・ピタッと止んだり・・
でも、大根を蒔く準備(畝作り)は 聖護院大根の種だけを蒔くことが出来ました
昨日の日記帳で書いたように、五木寛之さんの本を買って来ました。
ゆっくり静かに読んでいます 即席につくった
コーヒーぜんざい
です
『五木流・からだを鍛えるらくらく
メンテナンス』、母も私も少しずつ実行に移しています
朝目覚めたら、直ぐに起き上がらずに掌運動♪ 歯磨きも、片足で行う(ふらつくと片手を壁に付けて)
きょうは「調理室内の噴霧消毒日」だったので、消毒液がかかっては困るものに袋かけして・・・
消毒が終るまで「外の草取りを少々行い」消毒後の室内には入れないので、年休を取って帰宅しました
その後、鈴鹿7山麓を眺めながら走って
神社に参拝(家族全員の無病息災を祈り五百円をお納めしました!
給料日前で御金がないので(支給後も貧乏です)名物の椿草餅も鶏めしも買わずに我慢!
でも、心は「爽やか」になりました
『五木寛之さん』曰く・・・とんでもない時代になってきました。
こんな時代によくもめぐりあわせたものだなあ、と、最近くり返しため息をつかずにはいられません。
明日、どうなるか。
それがまったく見えないのです。
たよるべきものは、どこにもありません。実感としてそうなのです。
自分自身も、家族も、自分で守る以外に方法がないのではないか、国や政府やマスコミも当てにならない。最近、あらためてそのことを感じたかたは、少なくないでしょう。
たとえば、私たちは今後、何十年か、何百年か、ひょうっとすると、永久に放射能と共存して暮らすことになるかもしれない。
放射能と共に生きる。放射能のなかで生きる。自然の放射能ではなく、人間のつくりだした厄介な放射能です。
みんながガイガー・カウンターを、携帯電話か腕時計のように持ちあるく。そんな日常生活をだれが想定したでしょうか。 すでに、小、中学生に放射能計量器をもたせる準備をすすめている自治体もあるようです。
国内の原発がすべて停止したのちも、放射能の問題は解決しません。危険な使用済み核廃棄燃料をどこに、どう閉じ込めておくのか。プルトニウムの半減期は二万数千年といわれます。
といって、国外に運び出して、外国に保存してもらうわけにもいかないでしょう。
今後、私たちは地下に収納するしかない放射性物質と共棲する暮らしを覚悟しなければなりません。この世界有数の地震多発列島においてです。
天気予報で知らされる気圧や温度と同じように、「きょうの放射能」などというニュース番組を毎日ふつうに見ることになるかもしれない。 「お天気おねえさん」と同じように、「放射能おねえさん」が人気者になるかもしれない時代です。
放射能をおびた夏の海で子供と泳ぎ、放射能のしみた草原に家族とキャンプする。好むと好まざるとにかかわらず、それが私たちの明日なのです。
嘆いても、怒っても、幕はあがってしまった。原子力に反対の人も、推進派も、ひとしく放射能とともに生きることになる。1970年代、「戦争を知らない子供たち」というフォークソングが一世を風靡したことがありました。いつか「放射能を浴びた子供たち」という歌がうたわれるかもしれません。
とんでもない時代、と最初に書いたのは、そういう意味でした。
五木寛之さんの著書『きょう1日 非常時を生き抜く空極の五木メソット55』からの抜粋だそうです
(或る方のブログ)
私も『五木寛之』さんの本は多数(多冊)購入して読んでいますが、この本も早速買って来て読もうと思います!
「人の命よりもが大事な首長の御蔭で、日本の幸福は飛んで行ってしまった」
前知事が3号機(プルサーマル)を必死で停止させたのに、次の知事が直ぐに稼動して「今回の核クライシスを招いた」そうです
その知事と同じように、道民を(そして日本国民を)恐怖のどん底に陥れようとしている・・?
五木寛之さんは「66年前の敗戦は『国破れて山河あり』だったけど、今回の311の第二の敗戦で私たちに突きつけられているのは『山河破れて国あり』という現実ではないのか」と仰っているそうです。
「敗戦の夏、中学一年生で平壌にいた。当時ラジオは『治安は維持される、市民は現地にとどまれ』と繰り返し放送していた。何の疑いもなく現地にとどまっていたが、ソ連軍が侵攻して着の身着のままで追い出され、約2年間飢餓と不安の中で過ごした」
それ以降「公の放送が、とどまれと言ったら逃げる。逃げろと言ったらとどまるというのを方針としてきました」と仰っているそうです。
「(66年前の)敗戦後は、希望というものがあった。今の311敗戦は、希望がない」と・・・
日本って、本当に「こんな国だったのですか?」「美しい四季と自然に囲まれた国は、見掛け倒しだった!?」
お盆を静かに迎えた我が家では、仏壇に御供えしていた[山形産の大きなスイカ]を家族全員で頂きました
とても甘くて美味しかった~
「いただきます」という言葉(手を合わせて拝む)は、食べ物の命(栄養)を頂くことに感謝することです。
我が家でも、(私が)幼い頃から「当たり前のように」食べ物を作って食卓に上げてくれた農家の方々や祖母に感謝して手を合わせました。
ところが!昨夜「夢子さんのブログ友達さん日記帳」を拝見しましたら・・・
『給食費を払っているのに、どうして「いただきます」と言わせるのか?』という抗議が保護者からあり、先生方が中止に・・。そして、合図として笛や太鼓を鳴らしてから、生徒達が食べ始めている』
『モンスターペアレントに屈して、このようなことを行っている教師は変。教育現場は狂っているのではないでしょうか?』と・・・
「このような内容の記事がOO新聞に載っていた」と書かれていました
私も同じように思います。「運動会で順位を決めるのは差別だ」という抗議にも対処して、リレーなどもプログラムから消えた学校があると聞きました
我が市の小学校では、そのようなことは無いのですが・・一寸話は外れますが・・卒業式に「日の丸を掲げて、起立して君が代斉唱
」も当たり前の如く行われています。
他府県では、過去にも「日の丸・君が代拒否」で停職になった教師がみえると聞きました。
その教師が「私を(退職の日まで)免職することは出来なかった!私は勝った!」と、教え子達が勉強している時間に校庭に来て、自分の信念を書いたプラカードなどを掲げていたそうです。
子供達に勉強を教えるのが「先生の仕事」なのに、それも出来ない時に「勉強している子供達の邪魔」をしにみえる先生って・・いったい何なの?