Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

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2015年06月22日 15時19分32秒 | 日記


花はいつも、いつの間にか咲いている。

ふとベランダに目をやると
今年も綺麗に薄紫の花がついていた。

ようするに水さえ忘れなければ
勝手に咲いてくれる。

でも、この「水を忘れなければ」というのが くせもので

これは人に例えるならなんだろう

それは毎日連絡をとったり、
強迫的にメールのやりとりをするのとは
全く違う。

むしろ逆だと思う。

水やりはタイミング良く土の乾きと天候を見てやる
あるいは花の種類によって。

花とのほどよい距離

水やりは、水をあげないときも
花のことを考える行為なんだなぁ。

その人の存在をただただ忘れない、ということでしょうか?

逆に「私、忘れられてる」と感じる時もあります。
たいていは忘れて欲しくない人に忘れられてるから
癪に障るんですけどね。

それと
作家は必要以上に
忘れられることに恐怖を感じる生き物かもしれません。

先日、浦和で作家友人としっぽり呑んでいて
ガツガツ営業活動するのは性に合わないという彼女に共感し、うっかり
「良いものを作っていれば周りがほっとかないよ」なんて言っちゃったが
言った瞬間に、「良いもの」なんて定義ないんだよなぁと思いつつも
でもやっぱり愚直に作るしかないですよね…

作ってさえいれば
「自分のことしか考えないデリカシーのない人には、忘れてもらってかまいません」
な~んて言える日が、いつか来るかもしれません(いや、やっぱそれは来ないかな・笑)