亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site
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花はいつも、いつの間にか咲いている。
ふとベランダに目をやると
今年も綺麗に薄紫の花がついていた。
ようするに水さえ忘れなければ
勝手に咲いてくれる。
でも、この「水を忘れなければ」というのが くせもので
これは人に例えるならなんだろう
それは毎日連絡をとったり、
強迫的にメールのやりとりをするのとは全く違う。
むしろ逆だと思う。
水やりはタイミング良く土の乾きと天候を見てやる
あるいは花の種類によって。
花とのほどよい距離
水やりは、水をあげないときも
花のことを考える行為なんだなぁ。
その人の存在をただただ忘れない、ということでしょうか?
逆に「私、忘れられてる」と感じる時もあります。
たいていは忘れて欲しくない人に忘れられてるから
癪に障るんですけどね。
それと
作家は必要以上に
忘れられることに恐怖を感じる生き物かもしれません。
先日、浦和で作家友人としっぽり呑んでいて
ガツガツ営業活動するのは性に合わないという彼女に共感し、うっかり
「良いものを作っていれば周りがほっとかないよ」なんて言っちゃったが
言った瞬間に、「良いもの」なんて定義ないんだよなぁと思いつつも
でもやっぱり愚直に作るしかないですよね…
作ってさえいれば
「自分のことしか考えないデリカシーのない人には、忘れてもらってかまいません」
な~んて言える日が、いつか来るかもしれません(いや、やっぱそれは来ないかな・笑)