父は亀井龍夫といって、
新潮社の編集者だった。
最近廃刊となった新潮45を立ち上げた、最初の編集長だ。
私が今でも絵を描いているのは
もとはと言えば、美術好きな父の本棚を
子供の頃からあさっていたからだと思う。
父とはよく絵を描いて遊んだし、美術館にも連れて行ってもらった。
でも思春期を迎える頃には父の存在が大きすぎて
できれば離れたところで密かに絵を描いていたいと思うようになっていた。
そんなわけで20歳を過ぎてから家を出た。
展覧会の時は必ず観に来てくれたが
父は娘だからと言って容赦せず
作品についても「ですます調」で厳しくナイフを投げてきた。
だから本当に戦いだったのだ。
私はそのまま実家には戻らず、
父は10年ほど前に癌で亡くなった。
ところが不思議なことに
最近父を知る人とぽつぽつ出合うようになった。
未だに慕ってくれる人が居るなんて
娘としてはなんて嬉しいことだろう。
どんどん忘れ去られていくのだろうに
何となく、少し父のことも記しておいてもいいような気がしてきた。
誰かが父のことをウィキペディアに書いてくれています。
ありがとうございます。
亀井龍夫(ウィキペディア)
★先ほど、父の弟(私の叔父)の訃報が入った。
あの世でにっこり再会している姿が真っ先に目に浮かんだ。
叔父は父とは正反対で、京都弁の柔らかいゆったりした人、大好きでした。
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