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人拓『ドレス シリーズ』
私は身体に興味があり、制作のベースは解剖学・解剖図にあります。
身体への興味の一つにはその境界性にあります。私と外部とを隔てる輪郭となる皮膚。
これは私の側でもあり自然の側でもある、この両方に接する身体を思う時、果たして私の身体とは何か、私とは何者で自然とは一体何かといった普遍的とも思える問いが立ち現れます。
私はその問いを念頭に「描く」という行為によって中と外を繋げ一つの世界を見てみたい、
その欲求をエネルギーに制作してまいりました。
今回はその皮膚を使って制作いたしました。絵筆を使わず身体で絵を描く試みです。
とは言えこの行為がはたして絵画と言えるのか、それについてはじめは疑問を抱いていました。
おそらくこれは絵画にはなり得ないと。逆に私は絵画をどのように考えているのか。
人拓の方法としてはとてもシンプルに、自分の身体に墨を塗り和紙に押しつけて形を取りました。
全身を和紙に投げ出して起き上がらないと形が分かりません。筆による加筆はせず、
線は垂れた墨が線状に足につたってできたもの、点は指で散らしました。
通常どんな絵画でも絵具を置くその瞬間を見つめながら描いています。
絵画の場合、「見る」行為によって絵筆のその先端に生まれる画面を常に瞬間的に捉えて情報を脳に送り、イメージし、また筆先に戻すという連続したフィードバックを自分でも意識できないほどのスピードで行い、その超光速判断の積み重ねによって絵は完成されていくように思われます。
ですが身体で制作する限り紙から身体を起こして初めて画面が目に入ります。
目に入ったときにはもう終わっている。途中のフィードバックがありません。
目は、起き上がってからそこに出来た身体のシミを見つめその形を捉え、そして初めて生まれたイメージは次の1枚に託されます。フィードバックは同じ画面の上では行われず分断されて次の絵に委ねられる。
ですので、この作品は連作のその全体で初めてイメージを持った絵画として意味をなすのではないか、今はそのように解釈しています。
実感として、作品からは意外にも肉体性は感じられず、
たとえば服やコルセットのように「身体を包むもの」「身体が入って初めて意味のあるもの」のイメージを想起させられました。
真っ黒な身体を起こしてそこにできた空っぽの抜け殻のような形を見つめた時、それは私の外側の、もう一つの皮膚になり得るでしょうか。このシリーズを『ドレスシリーズ』と名づけることにいたしました。
このシリーズは今後どのように展開できるか分かりませんが続けて取り組んでいきたいと考えています。亀井三千代
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