
蓬莱橋交差点上に架橋されている歩道橋から、北側を見渡して撮影しました。北側へ向かってまっすぐ伸びている昭和通りの道路と、昭和通り沿いのオフィスビルの建物群が広がっています。

昭和通り内の銀座東五交差点・三原橋の一帯をズームで撮影しました。昭和通りの大通りですが、西側の銀座の繁華街の中を通っている国道15号線(中央通り)よりも車の交通量が非常に多いです。

蓬莱橋交差点から西側(銀座八丁目交差点方向)を見渡して撮影しました。首都高速道路が通っている場所は、高度経済成長期まで「汐留川」が流れていた場所です。現在は埋められてて存在していません。

外堀通りの歩道を北側へ向かって歩いていきます。

「リコー本社ビル(銀座三井ビル)」の敷地前を通り抜けていきます。銀座の繁華街の中を通る国道15号線(中央通り)と比べると、オフィスビル街の雰囲気が強い道路です。

銀座東七丁目交差点の南東角に建っている「銀座昭和通りビル」の建物が見えて来ました。

「銀座東七丁目交差点」前にやってきました。森ビルの関連会社の「森トラスト」が所有しているオフィスビルとなっています。

銀座東七丁目交差点の真上にも、ペデストリアンデッキが整備されています。ペデストリアンデッキの周囲には工事用フェンスが展開していました。

銀座東七丁目交差点上にペデストリアンデッキ植えに上がってきました。ペデストリアンデッキ植えから南側を見渡してみると、汐留シオサイトの高層オフィスビル群が広がっているのが見えます。

銀座東七丁目交差点の北東角に建っている「日土地銀座ビル」の高層オフィスビルを撮影しました。地上12階・地下1階建の規模となっていて、2008年7月に着工、2010年1月に竣工しました。

この場所は日本交通グループの日交総本社(のちのリバティーエステート、2006年倒産)が所有する日交銀座ビルが建っており、紀文食品が本社を置いていました。2004年に日本土地建物系のファンドが日交総本社より建物を取得、2007年8月には日本土地建物が入札により取得した経緯があります。

銀座東七丁目交差点から西側へ向かって伸びている「銀座椿通り」を撮影しました。この銀座椿通りを西側(銀座側)へ向かうと、その名前の通り東京銀座資生堂ビル方面へ向かうことができます。

交差点上のペデストリアンデッキ上から、北側を見渡して撮影しました。正面には銀座東六丁目交差点の周辺と、昭和通りの真下に整備されている地下自動車道の南側坑口が正面に写っています。

銀座東七丁目交差点の北西角に広がるオフィスビル街の建物群を撮影しました。かつてこの場所は、1930年の銀座地区の区画整理以前は、京橋区の「三十三間堀三丁目地区」と呼ばれていました。

日土地銀座ビルなどが建っている場所は、区画整理以前は京橋区の「木挽町七丁目地区」と呼ばれていました。関東大震災後の帝都復興事業の中において、銀座のエリアが拡大されています。

銀座東七丁目交差点前から、さらに昭和通りの歩道を北側へ向かって歩いていきます。

銀座東五交差点や三原橋交差点に近づくにつれて、高層オフィスビルが多くなってきました。電源開発本社ビル「Jパワー本社ビル」や歌舞伎座タワーの2棟の高層オフィスビルが目立ちます。
