
「浜町公園前交差点」から振り返って、東側(清澄橋方向)へ向かって伸びている「清澄橋通り」を見渡して撮影しました。清澄橋通り沿いにはオフィスビルや中層マンションなどが建ち並んでいます。

交差点の北西角に建ち並んでいる中層マンションの建物群を見上げて撮影しました。

浜町公園前交差点から南側、日本橋浜町二丁目地区の市街地内を通っている道路を撮影しました。個人商店などが建ち並ぶ商店街の風景が広がっていました。

浜町公園前交差点の横断歩道を渡って、「明治座」がテナントとして入っている「浜町センタービル」の建物前にやってきました。明治座の敷地南側を通っている清澄橋通りの歩道を撮影しました。

明治時代からの長い歴史を持つ「日本橋明治座」は、「銀座歌舞伎座」「新橋演舞場」「お堀端帝劇」などとともに、東京を代表する劇場となっています。

明治座の敷地東側を通っている緑地スペースを北側へ向かって歩いていきます。

「明治座」の正面玄関を撮影しました。1873年(明治6年) に喜昇座として創建された本劇場は、初期には焼失と再建を繰り返しながら成長し、その度に名称も久松座、千歳座とめまぐるしく変わっていった経緯があります。

1893年(明治26年)に初代市川左團次が千歳座を買収して座元となり、これを明治座と改称するに及んでやっとその名が落ち着き、今日に至っています。

明治材の敷地内に建っている明治座稲荷神社の全景を撮影しました。この神社の正式名称は「笠間稲荷神社東京別社」となっています。

南東側から、明治座の全景を撮影しました。戦前から戦後昭和の一時期までは、歌舞伎や新派の殿堂として知られ、現在はテレビ局との提携による現代劇や観劇者の世代を引き下げたミュージカル形態の公演も行われるようになっています。

明治座前から北側へ向かって伸びている緑地スペースを歩いて「中央区立浜町公園」の緑地帯へ向かっていきます。この細長い緑地スペースも、都市河川の跡地なのでしょうか。

「中央区立浜町公園」の緑地帯前にやってきました。敷地南側に設置してある公園入り口から緑地帯内を見渡して撮影しました。中央区の公園の中では最大の面積を誇り、区を代表する公園として知られています。

上記と同じ場所から、浜町公園の緑地帯の南側を通っている道路を撮影しました。周辺は中低層マンションなどが建ち並ぶ住宅密集地帯が広がっています。

当公園は1923年に発生した関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として後藤新平の主導により隅田公園(台東区、墨田区)、錦糸公園(墨田区)と並んで計画されたものとなっています。

南側入り口前から振り返って、清澄橋通りの浜町公園前交差点へ向かって伸びている緑地スペースを撮影しました。そばには、都営地下鉄新宿線の浜町駅入口が設置されています。

浜町公園の緑地帯の南東側一帯に広がっている建物群を撮影しました。
