家に連れて帰った シンジュキノカワガの蛹。
ネットで調べていたら、「蛹が鳴く」という記事。
えっ?蛹が鳴く? 蛹を触ったらぴくッと動くのは知ってるけど・・
さっそく試してみる。
左、連れて帰った蛹。 右、家で幼虫がつくった蛹。緑色。
私は耳が悪いので、声?は聞こえないかもしれないなと思いつつ・・。
繭は柔らかい。
そっと耳のそばで触ってみる。
すると・・ギュリリリーと声?音? 確かに聞こえた。
息子にも聞かせてやろうと軽く触ってみると、ギュリリリー。
さっきより遠いのに、しっかり聞こえた。結構大きい音。 不思議~。
音が聞こえるのは蛹が元気な証拠。
でもやり過ぎると体力を使って弱ってはいけないので見守るだけに。
『繭の内側の下の方に、扇形の構造があって、そこにハープの弦のようなものが張ってあり、音を出す時は、激しく腰を振って、お尻裏側のやすりのような突起を弦にこすり付ける。』(虫撮る人々 ネット)
繭の中の構造まで撮影されている。 そうだったのか~。
後日、友達が音を聞きたいというので、試した時、繭の上部が少し穴が開いていて、触った時、蛹がブルブル動くのが見えた。
ネットで見ても、音の聞きなしはさまざまで、面白い。
・モズの鳴き声や、キチキチバッタの発音を小さくしたような感じ。
・カラカラカラ♪と音を出します。
・シャカシャカっと短い音を連続で数回慣らし始めた。
・繭に触ると『ガリガリガリ・・・』と早く鳴きます。
・マラカスの様な音を発音します。
日本では越冬できないとの記事もあるが、毎日楽しませてもらっている。
今日は高校の同窓会 早く着いたので、電車で一緒になった友達と、橿原神宮へ。
ちょうど菊花展開催中。
いろんな咲き方の菊 どれもきれい。
厚物は豪華ですね。
繊細な感じの管物 個人的にはこれが好き。
盆栽仕立ても。素敵です。
見るのは易し、ここまで完璧に育てるのはどんなに手間がかかったでしょう。
菊愛がなければできないことです。
さて、コロナを挟んで6年ぶりの同窓会。
自身も歳なりに健康で、家族もつつがなく・・
今日参加できるのは幸せなことです。感謝せねば。
同級生と久しぶりの楽しいひと時を過ごしました。
これからも元気で頑張ろ。
大和上市駅から吉野神宮駅は電車では1駅
風情のある旧街道を歩き、大名持神社・吉野川を渡って左岸を歩き、吉野神宮駅まで歩く。
お寺の石垣に生えるシダなどを観察
イヌノフグリもあるらしいが、まだ小さくて判別がむつかしい。
旧街道のたたずまい。また別の日に、うちの娘や息子とゆっくり歩きたい。
大名持神社 妹山の山麓に鎮座
平安時代以前の創建とみられている。
神社下の吉野川の潮生渕(しおうぶち)は毎年6月30日に海水が涌出るとの言い伝えがあり、この渕で禊をする「大汝詣り(おおなんじまいり)」が今も続いているという。
このことから、大名持神社は通称「大汝宮」ともいわれているそうだ。
後ろの妹山は対岸の背山と対をなし、妹背山として万葉集に。歌舞伎でも演じられる。
妹山樹叢は原生林で、古くから「忌山」として入山・伐採が禁じられていたため、ツルマンリョウ・ルリミノキ・ホンゴウソウなど希少な植物が残り、天然記念物に指定されている。
この山も、近頃は鹿の食害が始まって、下層の植生が減少しているとのことで、調査も始まっているらしい。
妹背橋を渡り吉野川左岸へ。
対岸から見た妹山
吉野らしい木材置き場などのある左岸の道
県立奈良南高校 吉野学舎・奈良県フォレスターアカデミー
「フォレスターアカデミー」は「森林環境管理を担う人材の養成機関として設立された学校」とのこと。
敷地内にある「苗木圃場」を見学。
たくさんの実生苗が並んでいた。実生で芽生えにくい樹種もあるらしい。
植木鉢でなく、黒い「プラダン(プラスチック段ボール)」で育てているものも。
アカガシのどんぐりからの芽生え。
幼木は葉柄が長くはないのか~。新発見。
吉野川河川敷 水の溜まっている所・ススキやオギ・ツルヨシ・・
川原には枯れて茶色くなったヤナギタデが目立った。
タコノアシがあったが、無くなったとも。
平成23年の大水害の最高水位を示すプレート
昭和34年の伊勢湾台風の水位はこれより2.5m高かったとか。
後で見た説明板によると・・
伊勢湾台風では、死者4657名 行方不明者401名 などの大被害があったそうだ。
(その頃住んでいたところの裏山の大木が倒れたのをうっすら覚えている)
その後、河川改修が行われたそうだ。
美吉野グラウンド跡 今はプラタナスだけが生き証人。
ここにかつてあった「美吉野グラウンド」は、1926(大正15年頃)完成。
陸上競技場・野球場・テニスコート・相撲場に観客席もあり、宿泊棟もある、日本陸上競技連盟公認の陸上競技場だった。
当時、日本3大陸上競技場の1つに数えられ、看板の下の方には、ここで競技大会に参加していたという私でも名を知る日本を代表するオリンピック選手の名が記されている。
グラウンドの周りに植えられていたのがプラタナス。
戦後は貯木場や中学校の運動場になり・・
伊勢湾台風では貯木場の木材も大量にながされ、川筋の家も流され・・死者多数。
そのため、川幅を広げる河川改修が行われ、グラウンドの構造物はすべて解体撤去となったという。
説明板を読んで、なんとも言えない気持ちになった。
大変な思いの中、郷土愛を感じる説明板だった。
板張りの建物
吉野神宮駅に到着。
今日うれしかったのは、初めて見た「オオルリソウ」
よく見るオニルリソウと違って、茎には伏し毛が密生。
葉はいつもこんなに大きいのかな?
茎が伸び切らないまま、花をつけていた。
しっかり伸びた姿を見てみたい。
よく見る イヌカタヒバ 無性芽を付けている。
今日の昆虫
アオマツムシ 久しぶりに見た。
ヒメウラナミジャノメ
オオトビサシガメ でいいかな?
上市の町歩き。また来よう。
奈良の史跡を巡る。
あまり行かない奈良駅から西の方の寺や史跡も廻った。
山の寺 念仏寺
初めて行った。観光寺院ではないそうだが、境内へ入った。
1622年、袋中上人開基の浄土宗の寺院
徳川家由来の寺で、山門に葵の紋があった。
家康公末弟、松平定勝の墓がある。
本堂は創建当時のもの(写真とらなかった)
絵屋竹坊一族・金春家など勢力のある檀家さん(大旦那)の支援があったそうだ。
一切経を納めた経蔵があった。
広かった境内は、文久の修陵の時、大半の土地を開花天皇陵に召し上げられたとのこと。
明治初期、椿井小学校の前身がここに置かれていたそうだ。
西照寺 境内に徳川家康公の供養塔がある。
開花天皇陵も立ち寄った。
霊巖寺を覗き・・
漢国神社(かんごうじんじゃ)
漢国神社 山門
家康公が甲冑を奉納された。
大坂冬の陣で、真田に追われた家康が桶屋に助けられたなどの伝説もある。
この辺りは徳川家康と縁があったらしい。
境内にある「林神社(りんじんじゃ)」
祭神は中国から渡来した禅僧「林浄因」
饅頭を日本に伝えた。
甘い餡入りの饅頭は後に造られたものだそうだ。
率川神社
三棟の本殿には、左側に父神の狭井大神、右側には母神の玉櫛姫命、中央にお子様 五十鈴媛を守るように鎮座さている所から、子守神社ともいう。
伝香寺
伝香寺 本堂(重文) 本尊は釈迦如来
若くして亡くなった息子・筒井順慶法印の菩提を弔うために、母・芳秀尼が発願。
働(由留木)地蔵(ゆるぎじぞう)と言われる立派なお地蔵さま。
横にあるお堂の中に「春日地蔵(別名 裸地蔵)」(着衣姿)が安置されている。
覗いたがよくは見えなかった。
「春日地蔵尊 由来記 抄」
毎年7月の地蔵会に「衣替え法要」があり、着物を着せ替えるらしい。
裸のお地蔵さまなんて見たことがない。
着せ替え人形みたいだな。「衣替え法要」見たいなあ。
有名な「散りツバキ」
花弁1枚ずつ散るのが潔いとみられ。武士(もののふ)ツバキともいう。
見たことがない。
東大寺の「のりこぼし」・百毫寺の「五色つばき」と共に奈良3名椿といわれる。
小さい地蔵石仏
筒井家と定次親子の五輪塔があった。
筒井順慶の父順照の死は隠され、その間の影武者となった盲目の法師、木阿弥。
順慶が城主となって影武者解任。「元の木阿弥」となったという話。
伝香寺を出て・・日本最古の製墨業の会社(株)古梅園 創業1577年の近くにあった 右側の徳利のようなのは何でしょうか?
隼神社
御神木は柿の木とか。
率川地蔵尊
猿沢池のそば、率川地蔵尊、船に乗ってどこへ?
ここは伊勢街道上ツ道の起点になっている。
猿沢池あたりでお昼ご飯を食べる。
「澄まず濁らず出ず入らず 蛙はわかず 藻は生えず 魚が七分に水三分」
猿沢池の七不思議の一つらしい。なぜだ?
元興寺
元興寺 山門 前身は飛鳥にあった法興寺
南都7大寺の1つ(東大寺・興福寺・大安寺・西大寺・薬師寺・法隆寺)
創建当時は広大な敷地だったらしい。ならまちは境内地の一部だった。
本堂(極楽坊)鎌倉時代 国宝 世界遺産
創建当時の「行基葺き」(上方が狭く下方が広い丸瓦を重ねた)の瓦が残る。
左)禅室 僧房 国宝 右)本堂 国宝
「秋季特別展」開催中の法輪館に入る。
1階には五重小搭(国宝)小さくても奈良時代に作られた立派な文化財。
2階「秋季特別展」で、板絵 智光曼荼羅(重文)を見た。
想像より小さいものだった。
文化財の調査や、保存修理に関する展示もあった。
X線を使って調べることで修理跡などもわかるそうだ。
福智院
福智院 本堂 鎌倉時代建立(重文)
地蔵菩薩坐像(地蔵大仏)(重文)を拝観
地蔵座像では日本一の大きさだそうだ。
地蔵に光背が付いているのも珍しく、光背には560体もの化仏やお地蔵さまが。
福智院は玄昉が開祖。境内に顕彰碑が建つ。
史跡めぐりの会は今回で最終回。
講師の先生やお世話係の方たちのお陰で気楽に参加させていただけ、感謝しています。
聞き違いや勘違いがあるかもしれません。お気づきの方は教えてください。
昨日連れ帰ったシンジュキノカワガの繭と、蛹になりたそうな幼虫。
夕方見ると、幼虫が繭を作りかけていた。
何から繭を作っているのかはわからない。
5日の朝にはすっかり繭が出来上がっていた。(手前の緑色)
横に置いてあった葉を利用したのか?繭は緑色。
途中経過はわからずじまい。
奥の茶色は繭で持って帰ったもの。
ネットで調べると「大陸から飛来して日本国内で繁殖し、冬には絶えてしまう種類の外来種」とのこと。
この蛹達は、冬を越せないのか?
温暖化で冬を越すものもあるらしい記述もある。
幼虫と成虫を見た。
蛹はどこでどんな形なのか?
・・と次なる疑問(興味)を解決しようと、蛹探しに出かけた。
幹の表面がぶくぶく膨れているような。
触ると樹皮と違ってふわふわする。これやな。
どんなものかわかると、次々見つかった。
1つ2つ開けてみると、抜け殻になったものもいる。
繭を開けてみると・・生きた蛹。ぴくッと動いた。
1つ取り出してみた。繭の中の蛹 (腹側)
その内、すでに羽化して空っぽの繭と、蛹が要る繭がわかり・・いくつか連れ帰った。
すでにできた繭のそばで、蛹になりたそうな幼虫も連れて帰った。
・今年はあちこちでシンジュキノカワガの幼虫をよく見た。(再度写真)
成虫は見たことがない。見たいなあと思っていた。
・10月24日 室生ダムで観察会の時、メンバーのお1人が見つけてくださった見たことのない昆虫。
車にとまっていた。(再度写真)
深緑色に白っぽい縞模様。ステンレスのような金属光沢。連れ帰った。
帰って調べた結果、これが見たかったシンジュキノカワガの成虫とわかり大喜び。
虫嫌いの夫が「きれいな虫やな」というぐらいの美形。
翅を広げてほしいけれど一向に開く様子もない。
・そして今日。業を煮やして、翅を広げてみた。
黒とブルー・黄色・水玉模様・・なんというインパクト。
黄色い口吻が見える。
ちょっと強引に翅を広げ、弱らせてしまった。
毛むくじゃら。
その後、ベランダの葉の上にとまらせておいたら、横の支柱に移って・・
これぞ雲隠れの術。
その後、どこかへ行ったが、だいぶ弱らせてしまい、気の毒なことをした。
京都植物園で、きのこ展を見て、きのこ観察会に参加。
京都植物園
コスモスが満開。
枯れ込みやすい株元も枯れ込まず、さすが植物園のコスモス。秋らしい。
色もさまざま 新しい色合いのコスモス
シュウメイギク 白花もあった。
アマミヒイラギモチ
ウオトリギ
ハギも咲き乱れていた。
植物園会館で「きのこ展」
すごい数 種類のキノコが展示されていた。
写真の展示やきのこ関連グッズのコーナーや、顕微鏡での観察コーナーも。
こんなに多種類のキノコ。どうやって集められたのだろう。
展示の中で・・見たいなあと思うきのこ。
イカタケ
カゴタケ
スッポンタケ
マツカサタケ
マツカサから生えるマツカサタケ。どんぐりから生えるドングリキンカクキン。
出会えたらいいなあ。
冬虫夏草コーナー セミから生えるきのこ。カメムシから生えるきのこ・・。
セミノハリセンボン 背中がモゾモゾする。
調べてみると「スズキセミタケという冬虫夏草の不完全世代の姿」とのこと。
意味が分かっていませんが・・
さて、2時からは植物園内で「きのこの観察会」
人数が多くて3班?に分かれた。
講師の第一声「今日はきのこはあまり見られません」に、ええっ~と思ったが、去年の京都御所での観察会もそうだった。
なかなか展示のようなきのこは見られないものだ。
講師先生のきのこづくしのTシャツ。可愛い。
カワラタケ
これは材が腐朽した時茶色に見える「褐色腐朽菌」とのこと。
ここで「褐色腐朽菌」「白色腐朽菌」があることを教わる。
ニガクリタケ 毒きのこ 木材チップによく生える。
ここでは「きのこは掘ってみないと何から生えているかわからない」というお話を聞く。
植物の根から。地中の落ち葉から。地中に埋まった木材から。昆虫から。
びっくりしたのは、モグラのトイレからでるきのこもあるのだとか。
そうか。地上に出たきのこだけを見ていたなあ。
私たちが目にするきのこは、胞子をつくるための部分「子実体」
傘・きのこの各部の名称も教えてくださった。
アラカシに生えたきのこ サルノコシカケの仲間(オオミノコフキタケ)
講師の楽しいアイデア。
キノコにカエルを乗せて。
Toadstool(食べられない毒きのこをさす英単語)とはヒキガエルのこととか。
きのこはあまりなかったが、楽しい工夫もあって、勉強になることも多かった。
終わってから、話に聞いたモグラのトイレに生えるきのこを見に、再度きのこ展会場へ。
ナガエノスギタケ モグラの糞に生えるのだとか。
温室に入るという友達と別れて、帰路につく。
日本書紀
天武天皇12年 天皇から連姓を賜った氏族の続き。
*白髪部造(しらかべのみやつこ)
補注によると、清寧天皇の名代(代理)を務めた白髪部を管掌する伴造。
白髪部は、後、光仁天皇の諱(忌み名・白髪)を避けて、真髪部と改称。・・。
4巻、孝徳天皇10月の項に「倭漢直県(やまとのあやのあたいあがた)・難波吉士胡坐(なにわのきしあぐら)を安芸の国に遣して、百済舶(くだらのつむ)2隻(ふたつ)造らしめたまふ」とあり、海の事や造船技術ももっていたようだ。
*忍海造(おしぬみのみやつこ)
天武天皇3年3月の項に「対馬国司守(つしまのくにのみこともちのかみ)忍海造大国(おしぬみのみやつこ)が、対馬の銀を貢上る」と記され、これによって小錦下(しょうきむげ)の位を授かっている。これにより銀が倭の国にあることが初めてわかった。
忍海造は雑工の品部の伴造で、蘇我馬子が発願した飛鳥寺(元興寺)の搭の露盤に「意奴弥首 辰星(おぬみのおびと=忍海造)」の名があり(資財帳に書かれているそうだ)飛鳥寺の造営にも関わっていたようだ。
忍海造の外にも「阿佐都麻首 末沙乃」の名もある。朝妻は御所の人物。
露盤はふだん見るには高い位置にある。
寺名や紋などが彫られているのは見たことがあるが、造営に関わった工人の記録もあることを知った。
*羽束造(はつかしのみやつこ)
羽とは箭羽(やばね=矢の上端につける鳥の羽.)
束とは簳(やがら=竹で作られた矢の長い棒の部分)
鳥の羽根のついた矢を作るためには鳥を捕まえる必要があった。
いろんな職能の部族が天皇を支えていたことがわかる。
話を聞いている時は面白いが、いざ書こうとすると何がどうしてどうなったと納得できてなく、ぜんぜんまとまりません。
間違えていたら教えてください。
室生ダム湖の周辺を歩く。
いつもは水の中にあるが、この時期は水が引いていて裸地になっている所(減水裸地というらしい)にも入った。
いつもは湖の底。水中から生えていただろうマルバヤナギ。
今は草原。不思議な感じ。湿地だろうがじめじめはしていない。
アゲラタムのお花畑が広がっていた。
シカもくるらしい。
濡れ地蔵も今なら飛び石伝いにそばまで行ける。
しばらく植物観察した後、ダム湖の周りを歩く。
ダム湖周辺で見た主な植物(順番ではない)
ケシロヨメナ
まだツボミだったリュウノウギク。久しぶりに見た。
イナカギク 最近は少なくなってきているのか?
タラノキ 果実
紅葉し始めている木もあり秋を感じる。
ミヤマガマズミ
シロダモ 赤い実 ツボミもあった。
リュウキュウマメガキと教えてもらう。
葉柄が長いのが特徴とか。
果実付きの枝を拾ったメンバーがいた。
お陰で葉や実の写真も撮れた。
高~い枝には果実が付いているのが見えた。
ヒメアザミ ヨシノアザミもあった。
今年初めて見たツルリンドウ。うれしい。
こんな草の中を下りて、2か所目の減水裸地へ。
ヤナギタデの大群生。
広~い草原?が広がっている。
トキンソウ いつも見るものとは違った感じがした。
メアゼテンツキ 今日はこれぐらいは覚えたいなあ。
シダもヒメワラビとミドリヒメワラビぐらいは覚えたいなあ。
ダム湖にかかる赤人橋
「しもとはし」 どんな漢字か調べよとしたが、うまくいかない。
橋名板(下の写真)があったのに・・
しもとはし 橋名板
そして、今日一番の収穫は・・
メンバーのお1人が呼んでくれて行ってみると・・
魚釣りの人が止めた車に付いていた昆虫。
ナニコレ!わからないわ。見たことのない虫。
思わずビニール袋に入れて連れ帰ってしまった。(どうすんねん)
帰って調べると、この昆虫は、先日から見たい見たいと思っていた「シンジュキノカワガの成虫」だとわかった。
うれしい~~。ドキドキ・・
声をかけてくださったメンバーさんありがとう。
これについては後日、書きたいと思います。