みどりの野原

野原の便り

11月7日 淀川 三十石船 天満から枚方へ

2013年11月07日 | Weblog
うっとおしい曇り空 今にも降りそう。 
「雨が降ったら船の中で傘さすの?」と友達。「屋根が付いてたと思うよ」
私は平成19年10月28日に同じコースで三十石船に乗ったことがあるが「毛馬の閘門」が面白かったのでもう一度来たいと思っていたのだ。
八軒屋浜から枚方船着き場までの上りコース。

三十石船は、江戸時代淀川を通って京都伏見と大阪を往復した客船。

私たちが乗った「現代版三十石船」雨の心配はいらない屋根付きだ。

 
9:30天満橋駅近くの「八軒屋浜」から上流枚方に向かって出発 大川(淀川)の岸の桜の紅葉が美しい。江戸時代に八軒屋浜と言うまでは「渡辺の津」と言われもう少し下流にあったらしい。
ボランティアガイドさんの説明付き。

 
歌い手さんも2人乗っておられて、途中で三十石船唄を歌ってくださった。 
左)木製の「ろ音」の「ぎぃーっ ぎぃーっ」と櫓をこぐ音。三十石船気分が盛り上がる。 
右手に大阪城も見えた。
「水道発祥の地」は桜之宮にある。
明治28年日本で初めて上水道が出来るまでは淀川の川水や井戸水が飲料水だったらしい。
今も浄水場を通して飲料水にまた工業用水として利用されている。

満橋・川崎橋・桜の宮橋・源八橋・・大川には橋が多い。

いよいよ「毛馬の閘門(昭和52年に完成)」にさしかかる。
毛馬の閘門は治水対策で淀川を作り変えた時、新淀川(淀川)と旧淀川(大川)に出来た水位の差を解消して船がスムーズに通れるように作られた。

 
手前の閘門が開いて船が入る。横の壁の濡れているところが大川と淀川の水位の差。今日は1m余り。満潮で水位の差は少ないそうだ。
船が門の中に入ると後ろの門は閉まり、淀川側の門の下から水が入ってくる。 

そして、淀川の水位に達したら門が開いて川幅の広い淀川へ出る。
そばには大雨で大川の水があふれそうになった時にポンプで汲み上げて淀川に排水する施設「排水機場」もある。
淀川大堰から枚方までは水の流れはほとんどないそうだ。

明治になって蒸気船を通すために川を改修して深くすることが必要になり、そのために木の枝などを束ねて岸から川中へ沈めるという工法がとられた。
水の流れが変わり、川の中央部は深くなった。
その粗朶の間に砂などが溜まってできたのが「ワンド」といわれる浅瀬。
生き物のよい棲みかとなっているが、昔はたくさんいたというイタセンパラは外来魚に押されていなくなり今年回復を願って放流を試みられたらしい。

水運や飲料水など水の恵みとは別に水害に悩まされた淀川の歴史。
仁徳天皇のころの堤・太閤さんの堤・今はスーパー堤防という超幅広の堤防の話を聞き、沿線の人々の苦労もしのばれた。

 
土砂をポンプで汲み上げて川の中央部に飛ばして(積み上げている)船があった。
               右)沈みそうなほど砂を積んだ砂利運搬船
川砂の採取は浚渫を兼ねて行われているらしく建設用に使われるとか。
川は浅く「歩いて渡れるところもありますよ」上流からどんどん砂が流れてくるようだ。

人の通る橋・水道管の通る水管橋・電車や自動車やモノレールが通る橋・有料の橋・・たくさんの橋ができ「渡し場」「渡し船」も姿を消した。
・・が、震災後、水運が見直されているようで船着き場を整備しているとのこと。
途中から雨が降ったが、船を降りる頃ピタリと止んだのは不思議なくらいだった。
三十石船の終点地 枚方船着き場に到着

 
枚方水位観測所 「黄色いところまで水が来たことがあります」 明治18年洪水碑もあった。


市立 枚方宿 鍵屋資料館は元船宿で江戸時代の建物。
淀川船運についていろいろな展示がある。
「船の中央部分に藁を乗せた屋根があり、ふんどし姿の船頭さんが棹をさしている」三十石船
上り船は陸から綱で引っ張ったらしい。

三十石船の乗客に飲食物を売る「くらわんか船」の映像と模型がありよくわかる。
ガラの悪い言葉で餅・汁・酒などを売り、客も又それを面白がって応じていたという。

船運や飲料水にと人の生活と密着している淀川。洪水と戦ってきた人たちの歴史がわかった。
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