桜井駅から歩く。
若桜神社(わかざくらじんじゃ)
履中天皇が即位されたという磐余若桜宮があったという。
もう1ヵ所桜井市に稚桜神社(わかざくらじんじゃ)があり、同じ伝承があるのでややこしい。
祭神の1人「大彦命(おおびこのみこと)」は「阿倍一族の始祖」だそうだ。

「桜井」の地名の元になった井戸が復元されていた。
上之宮遺跡
聖徳太子が幼少期を過ごした場所とのこと。
発掘調査では50m以上の柵や溝に囲まれた中に建物跡や倉庫群の跡などが出たらしい。

苑池遺跡が復元されていた。
艸墓古墳
住宅の中に埋もれるようにあった。

入口は狭い。1人ずつ横穴式石室の中に入る。中には背丈を越す高さの家形石棺があった。横をすり抜けるにも窮屈なぐらい石棺は大きい。
後で石棺を入れるのは無理で、先に石棺を安置した後に石室がつくられたらしい。
次に 土舞台へ
百済から伎楽が伝わり、聖徳太子がここで子どもたちに習わせた場所とか野外劇場のようなところと言われている。
安倍文殊院
東の隅にある文殊院東古墳

横穴式古墳で石室内に水の湧く井戸があり「閼伽井古墳」ともいわれる。
文殊院西古墳

被葬者は安部寺の創建者 安倍倉梯麻呂の墓と伝わっている。大きい切り石が整然と積まれている。国の特別史跡に指定されている。
境内でお弁当を食べた後 お薄をいただき、お坊さんのお話を聞いた後、快慶作の国宝御本尊「文殊菩薩」を参拝
獅子にまたがった文殊菩薩(国宝)は堂々としたお姿で、高さ7m 日本最大とか。
京都府・天橋立切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊と合わせ、日本3大文殊と言われる。
知恵の文殊として多くの参拝客がある。
その後は、安倍文殊院の前身 安倍寺跡へ。
安倍寺は安倍の倉橋麻呂により創建され、鎌倉時代に現在地へ移った後も栄えたが、松永弾正の兵火ですべて焼かれ、その後再建されたのが現 安倍の文殊院の本堂。

塔跡(写真奥)や金堂跡が残る安倍寺跡。
最後にメスリ山古墳へ。
前方後円墳で大型円筒埴輪が立ち並んでいたという。発掘調査ではたくさんの副葬品が出土

墳丘部に通じる坂を登ってみたが、果樹が植えられ、古墳を感じるに至らなかった。
帰り道 五月というのにこの暑さ。ひたすら駅への道を急いだ。
若桜神社(わかざくらじんじゃ)
履中天皇が即位されたという磐余若桜宮があったという。
もう1ヵ所桜井市に稚桜神社(わかざくらじんじゃ)があり、同じ伝承があるのでややこしい。
祭神の1人「大彦命(おおびこのみこと)」は「阿倍一族の始祖」だそうだ。

「桜井」の地名の元になった井戸が復元されていた。
上之宮遺跡
聖徳太子が幼少期を過ごした場所とのこと。
発掘調査では50m以上の柵や溝に囲まれた中に建物跡や倉庫群の跡などが出たらしい。

苑池遺跡が復元されていた。
艸墓古墳
住宅の中に埋もれるようにあった。


入口は狭い。1人ずつ横穴式石室の中に入る。中には背丈を越す高さの家形石棺があった。横をすり抜けるにも窮屈なぐらい石棺は大きい。
後で石棺を入れるのは無理で、先に石棺を安置した後に石室がつくられたらしい。
次に 土舞台へ
百済から伎楽が伝わり、聖徳太子がここで子どもたちに習わせた場所とか野外劇場のようなところと言われている。
安倍文殊院
東の隅にある文殊院東古墳

横穴式古墳で石室内に水の湧く井戸があり「閼伽井古墳」ともいわれる。
文殊院西古墳


被葬者は安部寺の創建者 安倍倉梯麻呂の墓と伝わっている。大きい切り石が整然と積まれている。国の特別史跡に指定されている。
境内でお弁当を食べた後 お薄をいただき、お坊さんのお話を聞いた後、快慶作の国宝御本尊「文殊菩薩」を参拝
獅子にまたがった文殊菩薩(国宝)は堂々としたお姿で、高さ7m 日本最大とか。
京都府・天橋立切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊と合わせ、日本3大文殊と言われる。
知恵の文殊として多くの参拝客がある。
その後は、安倍文殊院の前身 安倍寺跡へ。
安倍寺は安倍の倉橋麻呂により創建され、鎌倉時代に現在地へ移った後も栄えたが、松永弾正の兵火ですべて焼かれ、その後再建されたのが現 安倍の文殊院の本堂。

塔跡(写真奥)や金堂跡が残る安倍寺跡。
最後にメスリ山古墳へ。
前方後円墳で大型円筒埴輪が立ち並んでいたという。発掘調査ではたくさんの副葬品が出土

墳丘部に通じる坂を登ってみたが、果樹が植えられ、古墳を感じるに至らなかった。
帰り道 五月というのにこの暑さ。ひたすら駅への道を急いだ。