みどりの野原

野原の便り

8月15日 麻吉旅館に泊まる1日目② 中之郷桟橋~鳥羽~五十鈴川~麻吉旅館

2015年08月15日 | Weblog
答志島「和具港」を出発。「佐田浜港」を経由して「中之郷桟橋」 (鳥羽市)に到着 

島からの郵便物を受け取る郵便局車

鳥羽駅まで散策
高いところにある建物が気になって出ていたおじさんに尋ねた。
「元、市立鳥羽小学校」 昭和初めの建築で、当時には珍しい鉄筋コンクリート造りとのこと。
坂を登ってみた。
 
正門前には卒業記念に作ったものかト-テムポールが建っていた。
校舎は三重県最古のコンクリート建築で、有形文化財となっている。
前庭には創立100年の記念碑と二宮金次郎像
そして、一帯は九鬼嘉隆築城の鳥羽城跡とのこと。
一段高いところにある運動場あたりが本丸跡らしい。
今は跡かたもないが、海に向かって建つ鳥羽城は魚類保護に配慮して海側は黒く、山側は白く塗られ、二色城とも呼ばれたようだ。

町へ降りて夕食を食べるところを探す。

てんびん屋で夕食
 
カンパチのアラ炊き 造り盛り合わせなど一品料理を注文


鳥羽駅から電車に乗り、3つ目 五十鈴川駅(写真)で下車
ここからは「麻吉旅館」まで徒歩15分程で行けるらしい。 
タクシーに乗ろうかとも思ったが歩くことに。 7時。夕暮れの中歩き始める。


20分ぐらい歩いて日はとっぷりと暮れたころ、やっと「麻吉旅館」裏手に到着。

「麻吉旅館」
創業200年の老舗旅館 建物は急坂に建つ懸崖づくりと言われる建て方 写真はまた明日

暗い中、写真を撮りながら上へ石段を上がり玄関へ。
部屋に案内される。
 

大階段をおり又階段を降り、曲がった廊下を行き・・今夜のお部屋「長寿の間」 まるで迷路。

 
戸を開けると小さい間があり、向うの引き戸を開けたところが部屋。

 
部屋の中から撮影 部屋に入ったらすぐに階段があるのにはビックリ。   
        右)お部屋はゆったり。きれいに改装されているが窓は木枠なのがうれしい。

内風呂があるが、大きいお風呂へ。「大浴場というほどの広さはございませんが」と若いおかみさん。

建物から外へ出て下ると女風呂入口。 その上が男風呂のよう。

 
お風呂は現代風。4人ぐらいの洗い場があった。 右)風呂を出たところからまた登って建物に入る。

冒険心が湧きおこる。

静かな夜だ。 ゆっくりと・・お休み ZZZZ 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月15日 麻吉旅館に泊まる 1日目① 答志島 (和具・答志を歩く)

2015年08月15日 | Weblog
友達と二人で、伊勢本海道を歩いたのは平成22年 もう5年も経ったのか~。
大阪から伊勢まで短めに区切りながら日帰りウォーキング。すごく長くかかった。
その最終回15回目 伊勢内宮へのウォークの時、「麻吉」の前を通りかかったのだった。
その建物がすごく印象的で、一度泊まってみたいと思っていたのだが、先日娘との話で偶然「麻吉」の話が出て「行きたいっ!」とすぐに意気投合。

ついでに答志島に行くことになる。
鳥羽港 佐田浜 鳥羽マリンターミナルから鳥羽市営定期船で答志島 和具港へ。

 
鳥羽市営定期船で15分ほどで答志島 和具港に到着。

和具集落
 
和具の集落を歩く。 通りは狭い。    注連縄に蘇民将来子孫門の護符 厄除けらしい。

答志島は九鬼嘉隆(くき よしたか)の終焉の地。
九鬼嘉隆 鳥羽城主 戦国時代から安土桃山時代にかけて九鬼水軍を率いた水軍武将。関ヶ原の戦いに負けて答志島和具に逃げ帰り自害 その墓所が和具にある。

 
 「血洗い池」恐ろしげな名の小池(水はなかった)の横にはテングサが干されていた。          

少し登ったところには「胴塚」といわれる墓があった。
首実検のため首は伏見城に運ばれたため、胴体のみ葬られたという。

「首塚」の矢印があったので行くことにした。
後に戻った首を祀ったという。

階段を山へ登る。登りが続く・・そんなつもりで来ていないのでサンダル履き。

 
     山道にはフウトウカズラやハスノハカズラなど

 
まだかまだかと登る。頂上近くから少し下ったところに「首塚」があった。
                   右)静かな海が見えた。
山登り?に時間がかかり、定期船出発の時間ぎりぎりになった。
和具港から答志港へ。

答志集落
ここもひなびたところだ。

 
赤い八幡橋(やわたばし)を渡ると八幡神社の鳥居がある。
又山登り。


山の上に小さな社殿があった。(写真撮り忘れ)主祭神は応神天皇と神功皇后とのこと。
山裾の海辺 斜めに重なった岩 ツルナやハマダイコン・ハマナデシコの残り花があった。

集落の中を巡る。

 
狭い路地に入るのは家の庭に入るようで少し気が引ける。が海に近い町の雰囲気が楽しめた。            右)戸や壁に書かれた丸に八の字 丸八マーク これは何だ?
八幡祭りで使った炭を持ち帰り戸や船に丸八と書く。魔除けで八幡様の印らしい。
    
 
戸口に置かれたものはお盆の飾りもの? 2つの家も3つの家もある。祀る御先祖様の数?
         狭い路地で物を運ぶのに欠かせないのが「じんじろ車」いろんな形がある。

 
お昼時も過ぎた。店もなく、食べるところもなさそうだったが、小さい飲食店「ロンク食堂」を見つけお昼ごはんを食べる。

焼き魚や煮魚、海苔入りの卵焼きなどの素朴なメニューだったが、おいしかった。
営業中なのかわからないような、路地の中の店だったが、店の中には芸能人の色紙が並んでいた。

集落の中に「寝屋子交流の館」という公民館のような建物があった。
ロンク食堂にあった新聞記事の切り抜きによると、島には「寝小屋制度」というものがあるらしい。
中学を卒業した少年が、親が選んだ寝屋親と義理の親子関係を結び、その家で10年間ぐらい寝起きを共にするという。現在もその風習は残っているらしい。
密集した家、寝屋護制度・・濃密な島の人間関係が思われる。


答志港から定期船で和具港へ戻る。

 
港近くのサンシャインビーチ  人も少ない。
海で少し遊びたいところだったが、その名の通り「さんさんと太陽が降り注ぎ」木陰ひとつもないビーチには近づけず、そばにあった「答志島温泉」に入ることにした。

答志島温泉
15:30の開店には時間があったが、軒先の陰でひと休みしていると、おばさんが40分ぐらい早く開けてくださった。
 
         答志島温泉     一番風呂に入れた。
風呂上がりに冷たい水を出してくださりしばらく話す。
「いくつに見える?」80歳にはとても見えない。海女さんで、今でも潜るそうだ。
ゆっくりして和具港へ。

予定では鳥羽 佐田港へ渡るつもりだったが、そう遠くない「中の郷港」へ渡ることにした。
定期船で答志島から離れる。周遊券をしっかり使った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする