みどりの野原

野原の便り

1月4日 曽我川に沿って大和高田~広陵町 七草を摘む

2017年01月04日 | Weblog
今日もヒマだったので午後から散歩に出かけた。
どこと決めていなかったが、高田経由広陵町回りで歩いた。

あまり変わったものはなかったが、曽我川周辺を見ることができた。


畦道 よく見るとノミノフスマ(写真)やタネツケバナ。ホトケノザなどが咲いている。

曽我川
曲川大橋を渡った曽我川の西側には曲川という集落がある。
この地名からもわかるように曽我川は蛇行の多い川だったようだ。
何年前(15年近く前?)だったか?奈良県でも田原本や王寺あたりが洪水の被害があった時、曽我川も氾濫した。
その直後、通りかかった曲川大橋の西側の広い道路のガードレールに近くの家から流れ出たソファーなどが引っ掛かっているのを目撃している。

その後、総合治水環境整備事業でこの辺りの堤防も修復なり、曽我川を直線化して、蛇行跡に曽我川の水量が一定量を超えると流れ込むようにした遊水地を兼ねた曽我川緑地公園が出来た。
高床式の体育館(私も卓球で使用)や・テニスコート・多目的グラウンド・遊具のある広場などがある。

整備される前の曽我川は藪に囲まれたようになっていたのは覚えているが、息子は小学生の頃よく探検していて細かい所もよく覚えているという。


緑地公園を半周する遊歩道は元の曽我川の東側の堤防の位置とほぼ一致するらしい。

 
途中の住宅地に下りた所にあった「上海(じょうかい)井戸跡地」のモニュメント
昔米作りに利用された湧水井戸があったが、曽我川の整備で埋め立てられたという。
ここは知らなかった。

 
遊歩道の西端を降りると近鉄線の下に出る。ここまで来たことはない。
近鉄電車が通った。線路をくぐって中和幹線に出る。

 
   磐余橋を渡る。橋から西は大和高田市だ。     磐余橋から南 曽我川を見る。
   
西側の堤防を少し入ッた所に昔、近所の人と子供連れでよくお花見に来た公園があったのだがどうなっているかな?
行ってみたが、公園はなく、葬祭社になっていた。


      ロウバイの花いい香り

そこから中和幹線を横切り北へ。

 
ここから北西は田畑が続く平地が広がる。(広陵町)  右に曽我川堤防 並行して歩いている。
曽我川は堤防は藪で、遊歩道になっていないところが多いそうだ。なぜかな?

田んぼ道で春の七草を摘む。

 
         左)ナズナ          右)ゴギョウ(ハハコグサ) 
 
   左)ハコベラ(ハコベ)            右)ホトケノザ(コオニタビラコ)
七草の内 4種は揃ったがセリが全く見つからない。水路はコンクリートで水はない。

 
うちの近所にはないウサギアオイが多い。           モンツキウマゴヤシ
帰り、曽根寺橋(そうねじばし)で曽我川を東に渡る。

曽根寺橋(そうねじばし)から曽我川(南側を見る)

橿原市飯高町(ひだかちょう)に入る。

  
請堤(うけづつみ 江戸時代、水害から集落を守るために築かれた堰堤)の跡(飯高町) 
      右)小子部命を祀る子部神社・本堂が国の重要文化財になっている瑞花院のそばを通り、小槻町(おおづくちょう)へ。


この煙突は何だったのか?酒蔵?(小槻町 おおづくちょう)

 
道のそばに建つ宝篋印塔 大峰山上に33回行った人の記念碑? 願主に2人の名あり。
   右)中に彫られた役の行者像は丹羽佐吉作と書いてあるネット記事もあるが石工の記名はない。
宝篋印塔のそばの道標には「右)たつた・法隆寺 左)神武天皇」とあり、ここにも大峰山上33回と彫ってあった。

近くでも知らないことがいっぱいある。
4時前帰宅した。
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