石切り駅から くさかコースへ。
オオスズメバチ 網で捕まえたとのこと。大丈夫ですか?というと、「雄だから刺しません」
雄は大きくて、触覚が長く、産卵管がない。というが・・
飛んでいる時に雄雌がわかるの? 「慣れたらわかります」
日下池
「日下池のヒトモトススキ」は東大阪の天然記念物 海岸の近くに生育するカヤツリグサ科
10年以上前にここへ来たことがあったが、その時は葉だけだった。
今は果実が段になって付いているのが見えた。柵から少し遠いのが残念。
さて、本来は海岸近くに生育するものがなぜこんな海から遠い山にあるのか。
それは、かって海岸線がこの近くにあった証拠だという。海岸線が後退して今の姿になった。
ヒトモトススキはずいぶん前に桜井市でも見たことがある。今もあるのだろうか?
池の近くから下を見れば・・生駒山の北側は急斜面で、かなり下に大阪の街が広がっている。
それを海と思って想像してみる。
下見の時にいたというサシガメの仲間 左)オオゼキサシガメ 右)ヨコヅナサシガメに似ている。
横綱と大関?冗談か? これも外来種だが最近増えつつあるらしい。比べれば少し違うのはわかる。
オオゼキサシガメは今の時期成虫、冬越しのヨコヅナサシガメ幼虫を食べるらしい。
次に行ったのが 旧生駒トンネル と 孔舎衛坂駅(くさえざかえき)跡
旧生駒トンネルは、近鉄の前身、大阪電気軌道の奈良線開通時、大正3年(1914)にできた。
孔舎衛坂駅(くさえざかえき)は当時できた駅。
難工事で落盤事故もあったらしい。開通後も犠牲者を伴う大事故が何度もあり、神霊スポットと言われた(言われている?)らしい。
新生駒トンネル開通(昭和39年1964)で、旧生駒トンネルや孔舎衛坂駅は廃止になった。
登り坂は急だ。そのせいか今日は若い人が多いような・・
途中で、枯れたアキノギンリョウソウがあった。
右)石切り場跡 大阪城築城の際もここから切り出したらしい。どうやって運んだのか?
普通の細い果実に混じって、テイカカズラの虫こぶがあった。 タマバエによるもの。
ツルリンドウの果実は秋色。 右)オニグルミ リスの食跡 割れやすい縫合線の所を齧っていた。
どこを齧ればよいかは学習して覚えるらしい。
下り道、お地蔵さまがたくさんいらっしゃる。
前掛けの中には昆虫が隠れている。
参加の小学生たちも手を合わせて前掛けをめくる。
前掛けの下にはクモやカメムシやワラジムシなどがひそんでいた。
私も時々めくっていたが・・
「あった」探していたヤモリの卵。 残念ながら抜け殻だったが、初めて見ることが出来た。
後のお地蔵さまのところでは、ヤモリもいてあわててお地蔵さまの後ろに逃げた。
これはヒナカマキリの卵のうらしい。小さい。青いヒモの幅は5ミリである。
下り、音川沿いは水量が多く、ピーク時には水車が44基もあって、元禄年間以降は和漢薬種の細末加工が盛んだったという。途中にあった辻子谷水車の郷はその頃の実物大の水車を復元した所。
下りも急だったが、無事石切り駅に戻った。
オオスズメバチ 網で捕まえたとのこと。大丈夫ですか?というと、「雄だから刺しません」
雄は大きくて、触覚が長く、産卵管がない。というが・・
飛んでいる時に雄雌がわかるの? 「慣れたらわかります」
日下池
「日下池のヒトモトススキ」は東大阪の天然記念物 海岸の近くに生育するカヤツリグサ科
10年以上前にここへ来たことがあったが、その時は葉だけだった。
今は果実が段になって付いているのが見えた。柵から少し遠いのが残念。
さて、本来は海岸近くに生育するものがなぜこんな海から遠い山にあるのか。
それは、かって海岸線がこの近くにあった証拠だという。海岸線が後退して今の姿になった。
ヒトモトススキはずいぶん前に桜井市でも見たことがある。今もあるのだろうか?
池の近くから下を見れば・・生駒山の北側は急斜面で、かなり下に大阪の街が広がっている。
それを海と思って想像してみる。
下見の時にいたというサシガメの仲間 左)オオゼキサシガメ 右)ヨコヅナサシガメに似ている。
横綱と大関?冗談か? これも外来種だが最近増えつつあるらしい。比べれば少し違うのはわかる。
オオゼキサシガメは今の時期成虫、冬越しのヨコヅナサシガメ幼虫を食べるらしい。
次に行ったのが 旧生駒トンネル と 孔舎衛坂駅(くさえざかえき)跡
旧生駒トンネルは、近鉄の前身、大阪電気軌道の奈良線開通時、大正3年(1914)にできた。
孔舎衛坂駅(くさえざかえき)は当時できた駅。
難工事で落盤事故もあったらしい。開通後も犠牲者を伴う大事故が何度もあり、神霊スポットと言われた(言われている?)らしい。
新生駒トンネル開通(昭和39年1964)で、旧生駒トンネルや孔舎衛坂駅は廃止になった。
登り坂は急だ。そのせいか今日は若い人が多いような・・
途中で、枯れたアキノギンリョウソウがあった。
右)石切り場跡 大阪城築城の際もここから切り出したらしい。どうやって運んだのか?
普通の細い果実に混じって、テイカカズラの虫こぶがあった。 タマバエによるもの。
ツルリンドウの果実は秋色。 右)オニグルミ リスの食跡 割れやすい縫合線の所を齧っていた。
どこを齧ればよいかは学習して覚えるらしい。
下り道、お地蔵さまがたくさんいらっしゃる。
前掛けの中には昆虫が隠れている。
参加の小学生たちも手を合わせて前掛けをめくる。
前掛けの下にはクモやカメムシやワラジムシなどがひそんでいた。
私も時々めくっていたが・・
「あった」探していたヤモリの卵。 残念ながら抜け殻だったが、初めて見ることが出来た。
後のお地蔵さまのところでは、ヤモリもいてあわててお地蔵さまの後ろに逃げた。
これはヒナカマキリの卵のうらしい。小さい。青いヒモの幅は5ミリである。
下り、音川沿いは水量が多く、ピーク時には水車が44基もあって、元禄年間以降は和漢薬種の細末加工が盛んだったという。途中にあった辻子谷水車の郷はその頃の実物大の水車を復元した所。
下りも急だったが、無事石切り駅に戻った。