梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

トイレの話

2011-04-14 09:21:28 | 雑記
昨夜さんまの「ほんまでっか」と言う番組を見ていた、少し前特番でぶつかってばかばかしいが面白いと言うことで外に見る物も無いので見ていたがよくもまああれまで色んな評論家を集めた物だ、
それはともかく最近子供が和式のトイレが使えないという話題が出ていたがこれは確かに他の記事でも読んだ気がする、別に和式でなければと言う気もないしこの歳になると洋式の方がらくである。
しかし「ある地方では学校から和式をなくして全て洋式にした」と言う話を聞いて少々呆れた、
和式に慣れないと言う子供が居たら和式を教える方向が普通ではないのだろうか、トイレと言おうとも「和式」と言う名の通り日本の歴史ある文化なのだ、
しかしそれどころか成人男子も立って用を足すことをしない家庭が増えてきていると言う、その理由は奥さんが「汚れるからたってやらないで頂戴」と言う事らしい、
これは縮めて言うと「掃除が面倒だから汚す可能性の少ないやり方にして(或いは”しろ”)と言う事で手抜きである、
生れつき立って用便をして来ないのは女子の文化だ、これが正しいから座ってやれというのは全く本末転倒で「汚さないで頂戴、」と言うのが当たり前でそれでも汚す事が多ければ「自分で掃除したらどれだけ大変かわかる」と言うのが家庭内の教育と言うものだ。
当たり前の排泄行為を見えない所でする理由の一つはその最中は無防備だという狩猟民族や争いの多い原始的な部分にある、
風呂やトイレが奥まった所で人に見えない所に有る理由の元はとっさに防御でき難い所にある、世界には食事も家族以外に見せない民族もあるが同じ理由である、武士は風呂に入るにも下帯を外さないのも同じ理由である、
女性の場合には当然もう一つの性的な問題もある、動物の中で発情期が無いのは人間だけであるがこれは逆に言うと年中発情期だという事でもある、
強い子孫を残すためと言う動物的な生殖行動なら雄は力で誇示するか餌を如何に多く集めるかと言うアピールで事足りるが共同生活相互扶助を建前とする社会的動物はその他の美醜と言う要因も大きくなる、
しかし動物的能力の大きい固体はどうも美醜で言えば醜の事が多い、理性と言う箍が掛かっていても人間の雄は視覚的刺激に弱い、普段隠されている部分を見ると見境が無くなる傾向が多いのはやはり原始社会では多かったであろう、
その後儒教が入って来ると慎みたしなみのような物が出て来るがそれ以上に雄を刺激しない様な教育と言うより防衛的に「恥ずかしい」と言う形で残ったのだろう、
脱線したが排泄行為は「我慢せず、短時間で済ませる」事が特に雄には必要だった、未開部族では狩の途中では走りながら排泄する部族も居るくらいである、今式で言えば「草食系男子」を増やしたくなければ、(増やせば益々少子化が進む)小便器を撤去したり座ってする事を強制しない方が良い、東京オリンピック当時は女子選手のために女性用立ち小便器を設置したくらいだ、男と女で成り立つ社会だ、男ももう少し発言したらどうだと思うこのごろである