中学の2年か3年生の時、親しい友人が怪我をして入院をした事があった、村の診療所は中学から歩いて行ける所にあるので毎日下校の時に彼の病室に寄るのが日課になった
この時初めて彼の妹に会った、小学校の4年生で明るくて人懐こい子だったがもしかすると彼女が私の初恋らしい初恋の相手かもしれない、
その頃の自分は父親と二人の生活で家に居ても余り会話もない生活だったのでその後友人の家で歓待してくれちょくちょくと遊びに行くようになった、それまで妹のYちゃんとはすれ違って有っていなかったがそれからは何となく会うのが楽しみになった、
私が中学を卒業して東京に出て1年目に父親が亡くなると帰省すると彼の家に泊まる事が多くなった、
友人は高校のクラブ活動で休みにも居なくなる事が多く、その間はYちゃんと二人で家にいたり散歩をしたりして過ごしていた、
田舎の農家なので中学校から彼女はよく家の手伝いをしていた、家の前に小さな川が流れていて下校すると洗濯をするのが日課だった様だ、随分大きくなったYちゃんとの時間は友人との時間より楽しいと感じる事も多かった、
東京に戻ると手紙のやり取りもする、太田弘美の「木綿のハンカチ」見たいな手紙が来た、今考えてみると友人も含め手紙のやり取りを一番多くしたのはYちゃんだった気がする、
漠然と自分は彼女と結婚するのかなと思ったりもしたが結婚生活に実感がわかず、所得にも不安が有って何となくそんな形のまま毎年何度か友人宅に泊まる生活をしている内彼女は高校を卒業し働き始めた、
友人が結婚する事になって新婚旅行に送り出したあと彼の家に泊めて貰い始めて彼抜きで彼の両親とYちゃんとで食事をした時、彼の両親は嬉しそうに祝い酒を飲みながら「次はお前達だな」と言った話になったが、自分はどうやら余り煮え切らない返事をしたらしい、その場ではYちゃんも「何を言ってるのよ、Iさんにも好みがあるでしょ」といって笑っていたのだがそれから数年後友人からYちゃんが嫁に行ったと連絡をもらった、
「俺も両親もY子はお前が貰ってくれると思ってたんだがな、」と言われて本当に心から「すまない、未だ結婚に自信がなかった」と言いながら大事な物を失った気分になった
Yちゃんは持病の膠原病が悪化し、嫁ぎ先の家と折り合いが悪くなって一度実家に戻ったのだが結局そのまま帰らぬ人となってしまった。
友人もその両親もその頃漸く遅い結婚をしたばかりの私にはその事を連絡しなかったのだが友人の奥さんからの電話で聞いた、Yちゃんと同い年のだった奥さんの電話は自分を責めているように聴こえた、
そのまま嫁ぎ先の墓に入っている彼女に会いに行く事は出来なまま彼女は私の記憶の中では16、7のまま笑っている、
この時初めて彼の妹に会った、小学校の4年生で明るくて人懐こい子だったがもしかすると彼女が私の初恋らしい初恋の相手かもしれない、
その頃の自分は父親と二人の生活で家に居ても余り会話もない生活だったのでその後友人の家で歓待してくれちょくちょくと遊びに行くようになった、それまで妹のYちゃんとはすれ違って有っていなかったがそれからは何となく会うのが楽しみになった、
私が中学を卒業して東京に出て1年目に父親が亡くなると帰省すると彼の家に泊まる事が多くなった、
友人は高校のクラブ活動で休みにも居なくなる事が多く、その間はYちゃんと二人で家にいたり散歩をしたりして過ごしていた、
田舎の農家なので中学校から彼女はよく家の手伝いをしていた、家の前に小さな川が流れていて下校すると洗濯をするのが日課だった様だ、随分大きくなったYちゃんとの時間は友人との時間より楽しいと感じる事も多かった、
東京に戻ると手紙のやり取りもする、太田弘美の「木綿のハンカチ」見たいな手紙が来た、今考えてみると友人も含め手紙のやり取りを一番多くしたのはYちゃんだった気がする、
漠然と自分は彼女と結婚するのかなと思ったりもしたが結婚生活に実感がわかず、所得にも不安が有って何となくそんな形のまま毎年何度か友人宅に泊まる生活をしている内彼女は高校を卒業し働き始めた、
友人が結婚する事になって新婚旅行に送り出したあと彼の家に泊めて貰い始めて彼抜きで彼の両親とYちゃんとで食事をした時、彼の両親は嬉しそうに祝い酒を飲みながら「次はお前達だな」と言った話になったが、自分はどうやら余り煮え切らない返事をしたらしい、その場ではYちゃんも「何を言ってるのよ、Iさんにも好みがあるでしょ」といって笑っていたのだがそれから数年後友人からYちゃんが嫁に行ったと連絡をもらった、
「俺も両親もY子はお前が貰ってくれると思ってたんだがな、」と言われて本当に心から「すまない、未だ結婚に自信がなかった」と言いながら大事な物を失った気分になった
Yちゃんは持病の膠原病が悪化し、嫁ぎ先の家と折り合いが悪くなって一度実家に戻ったのだが結局そのまま帰らぬ人となってしまった。
友人もその両親もその頃漸く遅い結婚をしたばかりの私にはその事を連絡しなかったのだが友人の奥さんからの電話で聞いた、Yちゃんと同い年のだった奥さんの電話は自分を責めているように聴こえた、
そのまま嫁ぎ先の墓に入っている彼女に会いに行く事は出来なまま彼女は私の記憶の中では16、7のまま笑っている、