梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

此れからどうする

2011-04-24 07:48:55 | 雑記
昨日からの強い雨風は朝になったらすっかり上がって雲ひとつない空が広がっている、
先週ラジオで小林幸子さんが被災地を訪ねた時「街ひとつが瓦礫の廃墟になった海に何も無かったかのように真っ赤な夕日が沈んで行ってその美しさがすごく悲しくて涙が止まらなかった」と言っていたが天候の良いにつけ悪いにつけ被災した人達が思い浮かぶ。
今日は地方選である、どう考えてもこの人でなければという人選は無いが選挙を放棄するのは都民区民の権利を放棄し、責任を果さないという事になるだろう、国政選挙もそうだが取りあえず 投票に入っても”該当者なし”と書いて来ようと思う事が多くなった。
候補者や現在の政治担当者(政治家とは言いたくない)にシンプルに「貴方が考える政治とは何でしょうか?」と聞いてみたいものだ。大正昭和の初期に「政治家になると井戸しか残らない」と言われた物だ、滅私奉公と言う言葉も有った、丁稚奉公や主家に使える侍の話ではない、文明開化の後の政治家の話である。
最初は理想に燃えた新人政治家も当選1期に満たない内に理想とはかけ離れた政治屋になる、
確かに理想は現実とは大きくかけ離れているだろう、社会に出た新人が会社で待ち受けている現実も同じような物だ、しかし政治は我々国民を代表しその税金で運営する国家を任されているのだ、「此れが現実だよ」と片づけられては堪らない。
政治は国民のためと言うより国民と国家とは対極にある様な塩梅だ、国家が潤うと国民が困窮する、企業が潤うのは国民が潤うのとはかなり違う、それはそうだろう、国民の財産を吸い上げてこそ企業は大きくなるのだから、
「民意を反映する政治」出なければならないが「民意」は一つに纏まって居る訳ではないそれを良い事に国家が方向を決めてしまう、しかし「民意」は一つでは無くとも方向は大体同じだ、
この方向が大抵少数の資産家と企業(もとは同じだ)に有利に働く、シビリアンコントロールは軍隊だけではない、政治自体を行えないにしても国民が政策に「それは否である」と言う事が強制力を持って行える方法は無いのだろうか、革命どころかデモすらしない日本人もそろそろ限界だろうと思うが徳川幕府の「農民は生かさず殺さず」と言う政策の踏襲も1世紀もたったのだ、
若者が無気力なのは我々の責任も有るが政治国家の都合に沿った生き方をし続けるはあまりに損だと思ってくれないか、未来は我々より彼らの方が一杯有るの