梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

男と女の話

2011-04-15 09:44:33 | 雑記
トイレの話から思い出した事を書いてみようと思う、男と女の違いだが数十年前ピンクヘルと言う女性活動があった、男女同権を叫んでかなり活動をしたが結局消えてしまった、私は男だから女性に関しての話が多くなるが女性と男性はやはり違う生き物だという事は随分若い頃から感じていた、これは私に二人の姉が居る事がかなり大きい、恐らく姉妹が居ない人とはかなり違うだろうと思う、姉が居ると女性に対する憧れは殆ど無い、性的な物もやはりかなり即物的になる嫌いは有るだろうと思う。
それでも同級生や下級生の女の子は違う生き物の様な憧れはほのかには有った、まあこれも無ければ青春時代はつまらない、
しかし、36歳まで独身で田舎の友人から結婚した時に「お前独身主義じゃなかったのか」と真剣に言われるほど女性には距離を置いていた、無論性的な欲求が無いわけではないので悪所で処理をしていたが擬似恋愛の直球みたいな遊びの中でそこに働いている女の子達とは話をするのが好きだった、無論だからといって店外に誘うような野暮はしなかったが。
彼女達は男女間にある種の達観を持っている、話してみると「結婚をしたいとも思うがもう無理よね、自分で選んだんだけど隠し果せる訳もないし自分の中で無理」と話す娘が多かった、どちらかと言うとそんな会話が普通の娘より楽に話が出来た
元に戻す、姉達が卒業をして仕事に就き生活に追われ病気をし、あまり幸福とは言えない生活が続くと全く違った考えと言うか生活になって来た、一人の姉は病気のデパートで中学の時から膵臓に障害が有って一度は紡績工場に女工として入るがすぐ退職をせざるを得なかった、この時代女が一人で生きるのは当然の様に夜の仕事になる、したの姉も同じ様に紡績に行ったが肺結核になって退社して養生の後はやはり水商売になった、しかし此処から反応が全く分かれた、下の姉が16で結核になり17歳でお袋が死に、21歳で父親が死に、子供が2人出来たら下の子が4歳の時に亭主が脳溢血で死んだ、小説にしても「出来すぎだ」と言うめぐり合わせだが、此処から姉の考え方は変わって来た、「自分は非常に不幸だから周りが私の面倒を見るのが当たり前だ」と言う事に成ってしまった、私は未だ17歳だったが「不幸なのは間違いないがそれは周りの誰が悪いわけでは無いのだから起きた事は事実として認め前向きに成らないと駄目だ」と言うような話をしても「あんたはこう言う不幸に有っていないから他人事の様にはなせるんだ」と聞く耳を持たない、周りも話が事実だから同情をする、昔のテレビではないが「同情するなら金をくれ」と言うことを上手にやるようになりやがて皆が離れてゆく、仕舞いには成人した息子たちも距離を置くようになってしまった、
上の姉は逆に「不幸といえばそうだが起きた事は仕方が無い、その代り多少の事は勘弁して貰う」と言う方向になった、
この頃から女性の考え方が我々男性とはかなり違うと言う事を思う様になった、それがどちらが正しいとか言うのではなく考え方が違うと言うことだ。
私には娘と息子が居る、娘はいい結婚に恵まれ仕事にも恵まれて世帯年収が一般平均よりかなり多い、一方息子は介護の仕事をしていて仕事の割りに所得は少ない、今回の風評パニックで米が手に入らないという自体が起きた、
偶々米を手に入れた娘が水と米その他を息子に送るという話になった、娘が買う米と息子が買う米では価格がかなり違う、「金は良いから」と言ったが息子は「そうは行かない必ず払う」と言ったので「お母さんから送って」と言う事になった、
女房は「いいじゃない妹がくれるんだから貰って置けば」と言うが私には息子の気持ちが解る、そう言ったら「本当に男はめんどくさい」と言われたが息子の考え方は自分でも良くわかる、
男が全部そうだとは言わないが女性が言う「男の面子と言うくだらない物」はかなり重要なファクターなのである、