梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

国債の格付けと円高

2011-08-24 11:46:26 | 雑記
ムーディーズが日本国債を格下げしたと言う記事が出た、アメリカ国債が格下げになったのに続いてだが国際経済、特に為替評価が全く逆の評価なのだがどうして同時に下がったのか
債務返済の可能性が低まったと評価するなら何故こう円が高いのだろうか、或いは円の評価が独歩高になっているのに何故国債の評価が下がるのか、
債務残高が突出して高いのに円高なのは債権の殆どが自国内で買われているからと言う事らしいがだとしたら「返済の可能性が下がって」も国際的には影響は出ないのではないのか、だから円の安全性が買われていると言う理屈だった筈だが格付け会社は「国債の償還は財政赤字削減の具体性が見えない」からと言う、しかしこの赤字国債は国民の貯金を借り入れているわけだから日本国民が被害を蒙ってもそれ以上には広がらない、たしかに此れで日本の個人預貯金と言う資産は大きく目減りするだろう、その時点で円の資産価値は下がってしまうがそこまで読んでいるなら何故円相場が下がらないのだ、
ドルが安い内にアメリカは米国債を買い戻す動きに出る、次は米国債の格付けを上げ、日本国債の格付けを更に下げる、此れでアメリカの赤字は圧縮され日本は国債金利の上昇圧力を受ける、
アメリカにしかない格付け会社とFRBの二人三脚に一喜一憂するのはやめた方がいいのではないか、
民主党の総裁選挙が決まったタイミングでこの情報を流す意図は何処にあるのか、一部は恐らく内政が混乱していて外交に手が廻らなくなると言う読みからではないだろうか

それに付けても金の欲しさよ、か

2011-08-22 19:03:07 | 雑記
座右の銘の話が出た、自分の座右の銘と言えそうな物は有るんだろうか?随分色んな事を見たり聞いたり体験したりしてきたが特にそう言う物は無いような気がする、
心掛けて来た訳ではなく身についた生き方といえば出来るだけ有るがままにと言う事位か、
気負う事も無くさりとて気落ちする事も無く、起きた事をそのまま受け入れる事で生きて来た様な気がする、
無論悲観論者でも楽観論者でもなく、出来る限り前向きに生きてそれで駄目なら仕方ないと言うような事か、誰だったか西洋文学の作者の言葉に「絶望とは愚か者の結論である」と言うのが有ったがこの言葉は好きだった、しかし絶望と言う程の不幸に有った事は無論無いので好きだと言うだけの事である。息子に一度「お父さんが好きなのは一生懸命と言う言葉みたいだけど自分には疲れるんだよね」と言われた事が有った、女房からも「お父さんのその性格は素晴しいのかも知れないけど他の人もそうだと思われると堪んないかもしれないよ」と言われた事もある、
息子に「ゆっくり走っても3着に入れると言う奴よりびりでも一生懸命走る様な生き方をして欲しいんだ」と言うような話をしたときだったと思う、
若い頃は良く友人達と酒を飲んで一晩中議論のような事をした事も随分有ったがこの歳になるとそれも疲れてしまう、昔の友人と飲むとその頃の話が盛り上がるのだが何処かで空しい感じが残ってしまい結局疎遠になってしまう、
酒も弱くなったがそんな事も有って結局夫婦で取り留めの無い話をしながら質素な摘みで少しの酒を飲んで布団にもぐり込むのが一番良いようになったのはやはり歳をとったのかとも思うが一方で余裕が出来たら自動二輪でも取って何処かに走って行きたい様な気分もあったり、高所恐怖症なのにパラグライダーに挑戦してみたい気持ちもある。
結局何なんだろうね、つい数年前までは仕事を辞めるなんて考えもしなかったのにのんびりしたいと思うようになったのは単に仕事が上手く行かず金の苦労ばかりになったからかもしれないな
まあ、もう少し頑張ってみるか

白粉草とママゴト

2011-08-21 11:19:22 | 雑記
昨夜から降り出した雨が今小康状態、何となく空も明るくなって来た、少し前からDOCOMOのスマフォCMで女の子が食べていた赤いケーキ様の物が気になっって居たので調べてみたらどうやら「マカロン」と言う物らしい、近くを検索したら歩いて行ける所に店が有りそうだ、気温が低いのっで後で買いに行ってみようかと女房と話しているが又雨が降るようなら次の機会にしようか。
昨日朝食を取りに出かけ、第二京浜の歩道を歩いていたら白粉草の花が咲いていた、
未だあの黒い実は殆ど付けていない。女房の子供の頃は「白粉草」と言ったらしいが私の田舎では「白粉花」だった気がする。
私の近い兄妹は2人とも女なので小さい頃はままごとに付き合わされて居た、
小さい事と男だから亭主から赤ん坊まで多種多様の役を仰せつかった、その時に此の花の実を指でつぶし、中の白い部分を指につけて鼻筋に付けられた、恐らくこれはお祭りの花化粧のせいだったろうな。大きくなってそんな話をしたら当時非常に貧乏だった我が家ではお下がりしか無く3~4歳まで姉のスカートを付けていたらしい、その下は生まれたままだったらしいからなんではいていたか解らない位の恰好で余り思い出したくも想像もしたくない話だ、
そう言えば学校に行くまでの遊び相手が姉とその友達だったので男の子達が自分の事を「俺は」と言うのに私は「私ねえ」と言う言葉遣いで小学校に行ってからからかわれていたな。
ままごとで出る花は七夕草の花が「赤飯」だった、田舎では赤飯はその「お強」と言っていたが大豆を入れたお強が有るのはこっちにくるまで知らなかった、
羊歯の葉が魚だったな、お金は何だったか?やはり小さな葉っぱだった気がする、庭に蓆を敷いて明るい広い空と一緒の記憶。

移民とナショナリズム或いはネオナチ

2011-08-20 14:48:55 | 雑記
ノルウェーで起きた大量無差別殺人、犯人から言わせれば「無差別では無い」と言うのかもしれないが根底には流入する移民問題が有ると言う、誘発は失業率の問題だがそれが排他的な「ネオナチ」の様な風潮に動いた、この問題は今欧州全土に広がりつつあるらしい、
移民する側は大体中東・アフリカ・東南アジアでありある種「南北問題」とも言えるのではないか、
アメリカが南米からの流入問題を抱えているのは移民では無く不法入国の問題だから若干意味が違うだろうが、アメリカが「移民を問題」にしたら其れはしゃれにもならない、元々あの大陸に住んでいた人種は殆ど居ないのだから、
日本は排他的で移民を受け入れない国だが結果的には正しい選択だったともいえる、無論倫理的な精神論を無視しての政治的安定国家維持と言うレベルの話だが、
受け入れる国の倫理として拒まずと言うのは正しいし世界中が国境を無くして自由に行き来できるのが理想だが経済的に逼迫してくればどうしてもこう言う反応は避けられないだろう、全てがコスモポリタンにはなれないのは当然だ。
移民する側は「こちら側に行けばもっと良い生活が出来るのでは」と言う事が主だった理由だろう、先進国から発展途上国に移民する人達が極端に少ない事を見ても充分解る、
しかし民族は固有の文化を持っている、特に食生活と宗教は言語以上にその個人を形成している、当然その事は軋轢の原因になるがコロニー的に偏った場所が出来ると当然の様にその他の社会との軋轢は避けられないだろう、
果して移民を受け入れる事が社会と言う単位を民族と言う単位と置き換えた時にその選択は本当に正しいかどうか判断は難しい

権利と責任

2011-08-19 09:03:27 | 雑記
原発問題で解析が始まったとたん「個人の責任に言及しないように要請する」と言う要望が出されたと言う、責任を追及されると困ると言うのは全く無責任な事をやってきたと言う事か。
日本の官僚機構、それに付随する学者と有識者、そして管理している筈の政府に共通していることは巨大な権利は有るのだが責任は全く無いと言う事だ、一般社会では有り得ない事だ世界的にも此れはあまり無いのではないのか、
しかるに官の最高機構は常に民に対して「責任」て追求してきた、
国際法で(アメリカ法か)LP法と言う物がある、製造者責任法と言う物だ、「重要な過失は無くても製造者に責任は存在する」と言う法律だ。
しかし厚生省の薬事許認可に関しては此処が許可しなければ薬として認められないがそれが瑕疵が有っても厚生省の責任は全く取られない、許認可権を委託された学者にも全く責任が無いとしたことは血液製剤事件で明白だ、
許認可権を持つ省庁の絶大な権利に対してその結果に関しての責任は全く無いと言うのは機構の不備だろうが今の官僚機構に責任を取れといったら恐らく許認可は今の半分位に成るだろう、彼らは責任をとると言う発想が無い、「我が辞書に責任は無い」と言った所だろう。
しかし此れは運転は自分がしどっちに行くかは自分が決めるが行く道を間違えても運転ミスで脱輪しても自分の責任ではない、と言うのと同じだ、
公務員の大変さは聞く限りでは本当に大変だと思う、しかし許認可権を持っていると思われる高級官僚と言う人達が大変だと言う話は殆ど聞かない、税金を使って特殊法人を作り、許認可を人質にして天下りを繰り返す事が可能なのは高級官僚と言う連中だ。
彼らに倫理や社会的公平を説くのは不可能だろう、何らかの方法を考えなければなるまい