実はQUEENはあまり詳しくなくって、家族がQUEENの特集を録画して一緒に見たときに、あの曲もこの曲もQUEENだったんだ、やっぱり、QUEENってすごいね、という話になって、ベストアルバムを買って、好きな曲だけ聴いてました。
で、先日、スカパーの無料放送でQUEENの特集をやっていて、これをまたばっちり見てしまって、ちょっと、現在、QUEENがマイ・ブームです。
子供の頃のフレディと言えば、すでにオールバックに髭、上半身裸ORタンクトップに白いパンツスタイル。江口寿史さんのマンガのキャラのイメージ。昭和のアイドルを見て育った世代には、正直、ビジュアルがとっつきづらいですよ(笑)
分かったことは、QUEENは全員がNO.1ヒットを生み出している作詞作曲できる才能集団。
だから、あれだけ、長年に渡って違う毛色のヒット曲を産みだしてきたんですね。お互い嗜好は違っても、才能を認め合うことで作り上げていたんだな。
それから、特にフレディの作る音楽は王道の中の王道なんですね。だから時にメディアに時代遅れだと揶揄されたりする。
でも、その音楽も歌も王道であるから、時や国を超えて突然ヒットしたりする。
それと、当然の事かもだけど、とにかく、フレディはめちゃめちゃ歌がうまい。音程のコントロール、音域の幅の広さ、切ない繊細な歌い方から、力強く打ち付けるような歌い方まで。どんな曲想も対応する。(時と場所が違っていたら、オペラ歌手として嘱望されたかもしれないと思ってしまう。逆にフレディ以外でボヘミアン・ラプソディを全編あの声量と技量に遜色なく歌えるとしたら、オペラ歌手じゃないかと思う。)
ライブ映像はどれもその場のフィーリングを織り込み、圧巻の歌い上げ。屋外のスタジアムでも彼の歌声はどこまでも響き渡る。
特集では、QUEEN結成から、契約での確執、イギリスのメディアに嫌われていたこと、お金の問題、プライベート、までいろいろと語られています。
名曲が生まれた背景の話は聞いていて本当に興味深い。
「KILLER QUEEN」はブライアンが「音が軽くなるのは、身売りのようで嫌だった。でも、あのアルバムはどこをとっても完璧。ベルが一回だけなるところも」と語っていたり、ロジャーが「洗練されていて、とてもフレディ的だ」と語っている。 (Top Of The Pops, 1974のフレディのパフォーマンスがおっ洒落!)
「WE WILL ROCK YOU」はブライアンが観客と一緒になれる曲を作りたくて、スタジオの床を踏み鳴らしてみた、とか、「WE ARE THE CHAMPION」も観客と一体になれる曲を作りたかった、と、フレディ。でも、メディアに「QUEENに謙虚さはないんですか?」って質問される始末。でも、メイは「フレディは高慢だったからかな?(笑)」と。
そして「ボヘミアン・ラプソディ」
「ママ♪」から始まる出だしを最初に聞いたときになんてかっこいいんだ、と、思った、と、ロジャー。
レコード会社からもメンバーからも曲を切ることが話し合われていた。でも、結局、このまま世に出すことに。
メンバーが何度もコーラスをして、録音したテープに穴が開いてしまったとか。QUEENってコーラスも自前なところもすごい。
エルトン・ジョンは「(長くて)ラジオで流してくれないよ」と。でも、ラジオで火がついて、大ヒット。テレビに出ない代わりにあのPVを作成。恐らく、世界初のPVでミュージシャン達がPVの必然性を意識するきっかけとなった作品。
もし、オペラパートの部分の曲をカットしていたら、完成度の高いとてもいい曲としてヒットした可能性が高いと思う。でも、カットしないことで、QUEENは唯一無二の存在になったし、この曲は怪物的なヒットとなった。
ボヘミアン・ラプソディで前の契約から解放され、お金の心配もなくなったQUEEN。 前作を踏襲するように作られた、「somebody to love」QUEEN版のゴスペル。メンバーのハーモニーを醸し出しているpvをよく作ったものだと思う。この曲、ライブでも、ドラムのロジャーとのコーラスの掛け合いが素晴らしい。
アメリカ初のヒット曲は、フレディがお風呂場で作ったものとか。プレスリー風のロックは、QUEENは「好みのものを作りますよ!」という職人気質や売れなきゃ意味がない!というプロ意識を感じる。
親との確執。ブライアンは親に「高学歴をどぶに捨てるのか」と泣かれたとか・・・。泣く親の気持ちもわからないでもないほどの頭脳を持ち合わせたQUEENメンバー特有の悩み(笑)のちにカーネギーホールでのコンサートに親を呼び、特別な場所で演奏することで、理解してもらったとか。
デビッド・ボウイとスイスで出会って、みんな彼を意識してお行儀よくしていたエピソード。そこから、共作することになったエピソード。
全員がNO.1ヒットメーカーとなり、作詞作曲で対等な関係になったこと。でも、NO.1ヒットを生み出しながらもメンバーはそれぞれがソロ活動をはじめていたこと。
度々噴出する解散話。でも、結局解散しなかったのは、4人共お互いの才能を認め合っていて、これ以上のメンバーに出会うことがないことを分かっていたんだと思います。
そして、再浮上のきっかけとなるウェンブリーでのチャリティのライブ。
持ち時間は決まっており、そこのヒット曲を詰め込んだ話、エンジニアがQUEENが始める前に音量を上げた話、フレディが実は喉の状態が悪くて医者に留められていた話。
QUEENの演奏が始まると、会場はうねりだして、反応が素晴らしかった。
ああいう屋外のしかも大きな会場だと、バンドの力量が見えてしまう、LIVE演奏に慣れているバンド、そして、スタジオでコントロールされないLIVEのしかも屋外の歌唱。多くのミュージシャンが参加する中で、QUEENの演奏、フレディの歌唱は圧倒的だったんだと思う。あとで、QUEENのLIVE映像を見ると、フレディの歌声の見事に制御された音程、幅広い音域、屋外でも通る声量は圧倒的で、LIVE映像にハマってしまうくらい。配信された、世界中での反応が大きく、QUEENがやる気を取り戻す1つのきっかけとなった。(ロジャーは違うと言っているけど)
病気が重くなったフレディは生前メンバーに最後まで曲を作りたいと主張し、メンバーは了承。
足を痛そうにしていたので、見せてもらった時、ブライアンは顔をゆがめると、それをみたフレディが「ごめん」と言った。でも、最後まで愚痴や泣き言は一切言わなかった。このエピソードを聴くと、これがフレディの本質の部分で、そういう優しい自分を守るために強さの鎧をかぶっていたんじゃないか、と想像してみる。
そしてフレディの死。
落ち着いた頃、追悼ライブを計画。出てほしいリストを作って、ロジャーが自ら連絡をしたそう。
突然、デビッド・ボウイが祈りをささげるシーン。ボウイは本当にカッコいい。
ジョージ・マイケルが「my favolite」と言って歌い始める「somebody to love」これが圧巻。
フレディと同じボイス・トレーナーに師事していたことがあるジョージ・マイケルの歌声は見事に制御されている。フレディが王様のように君臨して歌うなら、ジョージはファンと共にフレディに歌を届ける。
(この映像をフルで観たくて、動画を探す。思わず、リハの動画も見てみる。リハの時点で完璧。そりゃ、QUEENを従えて、手抜きはできないか、と思ったら、デビッド・ボウイがリハを立ち見してる!ノリながら、口ずさみながら、なんちゅー、贅沢な。
で、デビッド・ボウイの方も見てみたら、アニー・レノックスと共演!贅沢すぎる!!!で、ジョージ・マイケルがそれをみて、一緒に口ずさんでる!!!で、やっぱり、フレディのライブ音源のものも観たくなって、そっちもみたくなる。フレディの歌声は見事に制御されながら、どこまでも通り、力強く、ドラムのロジャーのコーラスの掛け合いも圧巻。)
追悼ライブが終わり、ブライアンは会場を眺めていると「この光景を目に焼き付けておけ。もう、二度と見ることはない」
QUEENは現在も、ブライアンとロジャーが継続中です。