CubとSRと

ただの日記

「大義は何処に(詭弁)」

2020年11月02日 | 重箱の隅
 「僕はね、可能ならば見せてあげたかったですよ。彼女、一生外国へ出られないかもしれないでしょ。」

 中井拉致問題担当相兼国家公安委員長の言です。

 「何が問題なんですか?」と記者に問い返す様子はあまり感じの良いものではなかったけれど、
「(ヘリでの移動は)観光目的もあったのではないか」との問いに答えたこの言葉には、
「あまりにも気の毒ではないか」との気持ちが見える。

 こんな風に言われると、何となくそんな風に言うこちらが、ひどい人間のような気がしてくる。
 なのに、何だか釈然としない。何故だろう。
 誤魔化されてますよね、確実に。
 これ、詐欺商法にはまった瞬間と同じです。

 「可能ならば見せてあげたい」もう見せた後で、こう言っています。
 「あまりに気の毒だから何かしてあげたい、というのは当たり前の感情だろう。何故なら、彼女はもう外国へは行けないだろうから。(一人の人間が自由に生きられないのだぞ!)」言外にそう言っています。

 「もう一生、どこへも行けないで朽ち果てるかもしれない。それではあまりに可哀想だ。せめて日本に来た時、ほんの少しだけでも、空中散歩を楽しませてあげようと思うのが、そんなに悪いことか?」

 でも、おかしいですよ。韓国から見ても、日本の拉致被害者の家族から見ても。

 まず、元工作員は何のために来たのか。いや、何のために呼んだのか。
 拉致被害者に関する新たな情報があるから?違うでしょう。彼女はあれ以来、ずっと韓国にいる。
 では、再調査のため?それは何もしてない。では、何のため?言うまでもない。「拉致被害者の家族を勇気付けるため」ですよね。それしか考えられない。
 「信じて待っていて下さいね。必ず生きていますよ。」
 この一言は、とても貴重です。拉致被害者の家族にとって千金に価する一言です。

 では、彼女はそれを家族会に伝えることを希求して、日本政府に訴え続けてきたのか。そして、念願がやっとかなったのか。
 いや、「彼女が来たかった」から、来たのではない。来たかったとしても彼女の力では無理です。
 呼ばれたのです。今年初めには来る予定で、民主党政権が韓国政府と調整していたことは明らかになっています。

 一個人の別荘に宿泊し、そこに決められた数名の被害者家族を招く。ヘリでの空中散歩もセット。
 けれど、他の被害者の写真を見せて、確認をしたい、という「特定失踪者調査会」の荒木和博氏の行動は、阻まれた。

 呼んだのは民主党政権であり、目的は家族会の数名に「必ず生きてますよ」と励ましの声をかけることであり、ついでに観光もさせてやる事であり、でも、新たに、失踪者から拉致被害者への認定は許さず、再調査も事情聴取も全くしない。
 恩赦を受けた、とはいえ、115人の韓国人を殺害した犯人であり、それが故の「元死刑囚」であり、韓国の遺族に謝罪もしていない人物であり、本来は入国の許されない者、が、何故、「励ましの言葉を伝えるという目的のため」だけに、来られたのか。
 前鳩山政権が、韓国と交渉したからでしょう?

 「あのような、特殊な国の状態の中で、生まれ育ち、テロを行う、という工作員になったことは、あまりにも気の毒だ。」
 テレビでそんなこと言ってるコメンテーターもいました。
 冗談じゃない。
 じゃ、115人は犬死にだ、と?115人の幸せな生活は「気の毒な一人の工作員」の命よりも軽いのか?

 国家に在って、その国のために、命を捨てる。「工作員」というのは、便衣(私服)の軍人、兵士、ではないのですか?
 彼女は軍人、兵士として、所期目的を遂行し、逃げ切るところを運悪く捕まってしまった。
 任務を遂行したのだから、115人の命をうばったのは、多大なる戦果として、讃えられるべきこと、の筈です。
 そして、捕まったのなら、既に、その時点で死者です。生ける屍、です。自殺する可能性大。だから、猿ぐつわをかませて、舌を噛み切らせないようにしたのです。

 そういう人物を、「超法規的措置」として、日本に連れて来て、「必ず生きてますよ」と言わせる。それ以外は何もない。

 つまり、これは、民主党政権の人気浮揚政策以外の何ものでもない。

 さて、では、何故、私は初め、「こっちの方が酷い人間のような気がした」のか。
 これを書いているうちに気がつきました。

 質問が、「パフォーマンスではないか」、に終始していたことと、その際の裏付けが「あまりにも多額の資金が遣われたのではないか」「この金は国民の税金ではないか」ということでしかなかったからです。

 「我々の大事な税金を『こんなこと』のために無駄遣いしてよいのか」
という立脚点からの質問でしかなかったため、大臣から
「何でもかんでも金、金、といやらしいこと、言うんじゃないよ」
と切り返され、足を払われたから、です。

 彼も彼だが、我も我、だった。
 「人気取りのためのパフォーマンス」を追及するのに、
 「お金がもったいないじゃないか」。
 これでは、同レベルです。

 本当は違いますよね?家族会だって、そこまでして会わせてくれ、と頼んだ筈はない。国に頼るしかないから、合わせているだけでしょう?

 追及する記者は、「115名もの民間人を死に至らしめた人物を入国させることについて、政府は道義的にどう捉えているのか」ということだけを、問うべきではなかったでしょうか。

 哨戒艦の件については、直接の関係もないのに「先頭に立って抗議する」と言った民主党政権です。直接関係のある人物は超法規的措置で受け入れる。どう考えても、筋が通りません。「先頭に立って」発言は、入国させるために、韓国にゴマを摺った?それは、軽重のバランスが無茶苦茶です。
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それぞれの「道州制」

2020年11月02日 | 心の持ち様
 「道州制への道」。その初めは遠く明治初期に遡る。

 私が子供の頃、「昭和の大合併」というのがあったらしい。それぞれの地域で多くの村が一緒になって「町」になり、又、いくつかの町が一緒になって「市」になった。
 みんな喜んだ。何しろ自分らの村が「町」に昇格したり、町が「市」になったりしたのですからね。いきなり都会になったみたいな気がした。
 「これまで『村』だ、とバカにされてきたけど、見ろ!『町』だぞ!」
 「~県~郡~町」だったけど、いきなり「~県~市」だぞ!カッコ良いだろ~う?」

 平成になって、また大合併があった。締め切りまでに合併すれば交付金などで優遇される。

 ・・・・というわけで、その先にあるのが「道州制」です。
 何故、合併をするのか。それは(中央)政府が地方への支出を少しでも減らそうと思ったからです。
 100ある自治体に、100万円配るとする。そうすると単純計算で一自治体、一万円。
 けど、これを合併させて自治体を50に減らす。すると一自治体二万円。
 渡すのを一万八千円にして二千円を国の蓄えにする。
 十万円の蓄えができる。

 これが合併の主な目的。ですよね?
 その二千円を「国のために遣おう!!」

 これが現自民党につながる政府のやり方、考え方だった。
 そして、繰り返すけれど、その先に道州制がある。

 自民党はずっと政権与党で、少しでも支出を抑えようとしてきた。
 だから道州制実現を目指すのは、至極当然のことです。勿論、支出を抑えるのは国家のため、です。
 個々人の生活を豊かにするよりも、国を豊かにする方が先だ、というのが根本です。支出を抑えて蓄えをつくり、それを用いて強固な中央集権国家をつくる。

 この辺、「民のかまどはにぎはひにけり」と言われて喜ばれた天皇とは違う、臣下らしい考え方ではあります。

 もう一度書きますけど(しつこい?)、これが明治以来、営々と続けられてきた「道州制への道」、です。
 単純に、少しでも支出を減らし、少しでも中央にお金を蓄えようというのが道州制です。そこで、道州制利権(?)ができる。蓄えられたお金を自分の部署で都合よく使おうとする。

 日本は借金大国になりました。そりゃあ確かに九割は国民に借りてるんだから、国が潰れることはない。けど、一割は外国に借りてるわけだから、取り付け騒ぎ(?)みたいなことが起こったら、一割だって国は大変な損害を受けることになる(かもしれない)。

 そして、九割は国民と言ったって、借金は借金、返さねばならないことに変わりはない。調所笑左衛門みたいに「利息なしの250年払い」なんて言って、後は責任とって死にます、みたいなのは、もはや人格を尊ぶ心の地に墜ちてしまった現代、通用する筈もありません。
 三本の矢、どころか百本でも二百本でも「矢の尽きるまで射続けよう」と決心している安倍総理に、「利息なしの250年払いで、良いですよ」と言う日本人、どれくらいいるでしょう。

 
 「あれっ!?『道州制』って、そんなだった??」
 と思われた人は、橋下市長の主張する道州制を考えてたんですよね?
 「そこまで言って委員会」で、
 「地方主権にしなきゃ駄目ですよ」
 と言うたびに、故三宅久之センセイに
 「主権を持ったら、独立国です!地方とは言わない。バカなこと言うもんじゃありません!」
 と、その都度叱られ、いつの間にか「地方主権」とか「地域主権」と言わずに、「地方分権」、「地域分権」と言うようになりましたよね。
 でも、「地方にもっと自由な裁量権を」ということで、「大阪都構想」などというものをぶち上げた。それが「道州制」と重なった。
 「大阪を『州都』とし、もっと裁量権を大きくするのだ!」と。

 この先には大阪を中心都市(州都)とする、「州」という名の独立国があります。「都」とは皇居のある地を言うのですが。


 一方は実用からの合理性を追求するがために「中央集権国家」を目指す。
 もう一方は「地方主権」、という筋の通らない言葉(考え)を根に持つ、実質上の独立国家を目指す。「琉球王国の復活」と同じです。


 「道州制、絶対反対!」
 私も反対ですけどね。でも同じ道州制っても、全く違うでしょう?
 だから、いくら「これまでがこれまでだから」と言っても、一緒くたにしちゃ、自民党が可哀想です。
 「日本を取り戻す!」って言ってるんですよ。
 取りも直さず「我が国を立て直す」ってことでしょう?

 「道州制は何が何でもヤダ!」ったって、明治時代から続けてるんですから。「次善の策は?」となったら、どっちを採りますか?
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