メルマガ「週刊正論」令和2年11月21日号
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【元朝日記者植村隆氏の敗訴確定】
元朝日新聞記者の植村隆氏が、慰安婦問題で書いた記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と出版社に謝罪広告の掲載と損害賠償を求めていた訴訟で、最高裁第2小法廷は植村氏の上告を退ける決定をしました。
請求を棄却した1、2審判決が確定したことになります。
月刊「正論」平成31年1月号では1審判決のポイント解説をしましたが、改めてご紹介します。
植村氏は平成3年8月11日付朝日新聞大阪本社版社会面トップで「思い出すも今も涙韓国の団体聞き取り」との見出しの原稿を書きました。
「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた。同協議会は10日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した…女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた…」
記事には明確に「連行」とあります。日本軍による慰安婦の「強制連行」を示唆しながら、後段では女性が「だまされて慰安婦にされた」と人身売買を示唆し、だました主体は誰か記されていませんでした。
慰安婦となった経緯について女性の説明は変わり、「母親によってキーセンの検番に売られた」(韓国紙報道)や「養父」や「継父」あるいは「義父」に連れられて慰安婦になった、と述べました。
櫻井氏はそうしたすべてに目を通したうえで、女性が慰安婦にされたのは日本軍による強制連行ではなく、実際は人身売買だったとの経緯を知りながら、植村氏が事実とは異なる記事を書いたのは「捏造」だと批判したのです。
30年11月の判決で、岡山忠広裁判長は「櫻井氏が、植村氏が事実と異なる記事を執筆したと信じたのには相当な理由がある」として具体的には①女性が継父による人身売買で慰安婦にさせられた経緯を植村氏は知りながら、女性をだました主体や慰安婦にさせられた経緯を報じなかった②植村氏は慰安婦と女子挺身隊が無関係と知りながら敢えて、女性が「女子勤労挺身隊」の名で日本軍によって戦場に強制連行されたと報じた③義母の訴訟支援が記事の目的だったのではないか、あるいは自ら執筆した記事について説明をしないまま、大学教授に転身しようとする植村氏を批判した櫻井氏の記述について「論評の範囲を逸脱しているとはいえない」―としました。
1月号では、最後にこう書きました。
「徴用はつい最近まで『強制連行』という言葉に置き換えられてきた。多くのメディアは慰安婦と挺身隊をごちゃまぜにしたり、『従軍慰安婦』という『造語』を弄びながら糾弾を続けた。これは今、『募集』『官斡旋』などと峻別せずに『徴用工』で括る手法と全く軌を一にするものだ。『第二の植村隆氏』を生まないためにも…メディアにも曇りない公正な判断が求められよう」
植村裁判はひとまず終わりましたが、慰安婦問題、いわゆる「徴用工」問題はまだまだ終わる気配がありません。韓国は北朝鮮も巻き込んだうえで、これらの問題の解決を日本に迫っています。日本国内にはこれに呼応する動きもあります。 いわれなき非難や中傷に屈するわけにはいきません。
(以下略)
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「従軍慰安婦」というとんでもない言葉や、更には「日本軍の性奴隷」などという言葉までが作られた元は、戦時中の「女子勤労挺身隊」という言葉を、
「女子が身を挺してできる仕事と言えば慰安婦くらいしかなかろう」という思い込みによる蔑視から誤解・誤認した辺りにあると思われます。
そして韓国に「挺身隊問題対策協議会」、略して「挺隊協」という団体が作られ、問題はどんどん大きくなっていきました。
それが「女子勤労挺身隊は慰安婦とは全く関係がない。『女子挺身隊』に『慰安婦』の意味などない」という長年の抗議活動の結果、さすがに強弁するのは無理と悟ったか、「挺隊協」はいつの間にか「正義記憶連帯」という名前に変わってしまいました。
いつから変わったのか、新聞やテレビで報道されたことありましたっけ?特に昼のワイドショーなんか。言ってたかな?