亡くなった井上ひさしさんは、かつて、「政治とは、端的に言えば、『国民から集めた税金や国有財産をどう使うか』ということだ」と言っていた。政治についての古今東西の名言を万巻積み上げたところで、この一行にはかなうまい、と歯切れがいい。
ことほどさように、予算は政治そのものだ。裏を返せば、政権にとっては大仕事である。(以下略)
朝日新聞「天声人語」(7月29日付)
やっぱりね、と思う。
井上ひさしと言えば左翼も左翼、筋金入りの左翼で、困ったことに(?)私は、その井上ひさしの脚本になる、人形劇「ひょっこりひょうたん島」を、毎日楽しみにしていた。小学校の頃で、全くの成長期なわけだから、随分長い間続いていたように記憶しているが、実際は3年から5年くらいのものだろう。
その間に「教育」されたわけだ。気付かず、社会主義思想を。
ただ、、いつも、面白いと思いながらも、何だか妙に引っ掛かっていたこともある。憎めないけど、イヤラシイのだ、登場人物の性格が。
今、あれは一体何だったのだろう、と思ってみると、どうも、井上ひさしの目に映る「人物」というのは、みんなイヤラシイのではないか、と気がついた。
早い話、井上ひさしって人は、相当な人間不信を抱いて生きて来たのではないか。そのもとは、井上ひさしが、とても「良い子」であったからではないか、と想像している。
世間を信じるように育てられたか、全く逆か、それは分からない。
けど、物心がついてからは、裏切られ続けたのだろうな、と思う。だから、何でも笑いにする。それしか心を平常に保つ方法が、ない。
「素直な子はひねくれた大人になり、ひねくれた子供は気のいい大人になる」「子供の頃は、やんちゃなくらいの方がいい」「やんちゃしてきた奴の方が魅力がある」。
世間はそう言う。
けれど「良い子」だった一人として言いたい。
冗談じゃない。良い子は努力しているのだ、辛抱して我儘を言わぬよう、自分を抑えつけて来たのだ。褒められたいから、頑張って良い子になろうと努力してきたのだ。
なのに、それが当たり前、持って生まれた性質、みたいに言われ、「良い子だから」とからかわれ、「良い子はマネしちゃいけません」、とギャグにされる。
二つの価値観の間を右往左往して、でも、親の言う事を聞かなきゃ、と頑張っている。
それが、最後の最後になって親から「良い子だから」と、努力の部分を看過されて、遂に足元が崩れる。
もうこうなったら信じられるものは自分だけだ。親でさえ自分の本心を分かってくれてなかった。世の中なんて、分かってくれてるなんて、信じないぞ。
けれど、「車は急に止まれない。」「良い子は急に変われない。」何しろ努力の結晶なのだ、良い子というのは。
それで、今度は、自分の「努力を認めてくれる」ところに奔る。マージャン、パチンコ、果てはカルト宗教だ。オウム真理教に東大生等の優秀と言われる学生が多かったのは、偶然ではない。
また、やってしまいました。
1970年代初め、三嶋由紀夫の割腹自殺に衝撃を受け、一水会を結成した鈴木邦男氏が、左翼文化人を相手に、徹底的に電話突撃をやって連戦連勝、左翼文化人が次は自分のところかも、と戦戦恐恐となっていた頃、ただ一人、逆に井上ひさしにはやり込められて負けてしまった、といいます。それも、全く論争にならないんだそうです。
夫婦揃って、とんでもない論客で、
「ああ、そう。右翼。そりゃ大変ですねえ。ご苦労様。ところで、皇室を大事に、と言われるんなら、天皇の名前を全部言えるんでしょう?僕は左翼だけど、あ、わかってるか、僕は言えるよ。言って見ましょうか?」と神武天皇から途切れることなく、すらすらと昭和天皇まで言ってしまう。その間鈴木氏は、黙って聞いているしかない。(自分はちょっと怪しいんだもの)。
これ、剣道で言えば、「後の先」というやつで、先に相手に切り出させておいて、乗っかって、攻撃をする。相当な実力差、か、そうでなければ、論戦に慣れている者でないとできない。
とんでもない喩えに聞こえたでしょうが、これが、論客、というものでしょう。
だから、この中に(短い言葉の中に)彼の理念が凝縮されている。
そう捉えて間違いない。
論客でない者は、よく喋るわりに中身がなくって、尚且つ言いたいことがつかめない。話が下手なんです。民主党には掃いて捨てるほどいる。
あ?人のこと言う前に自分がそうでした。
(いやいや、私は論客じゃない。ただのお喋りですから。)
さて、やっと最初に戻ります。
「政治とは国民から集めた税金(や国有財産)をどう使うか、ということ」
「端的に言えば」、と、予防線が張ってあるものの、この一文の見事さに現在の大多数の国民が頷いたが故に、民主党を選び、今回の選挙でも、民主党が「最大得票」を果たした。
メディアも、何かと言えば「金、金」と繰り返す。この朝日新聞も同じです。
つまり、「ほとんど」「みんな」が、今の日本、左翼思想が基盤になっていて、テレビの街頭インタビューに答える日本人らしからぬ面相、風体の日本の若者は言うまでもなく、「覚醒した」と言っている人も、その多くは、実は左翼思想の持ち主ではないか、と思うのです。
日本人になる努力をしてこそ、日本人。そして、その努力を続けてこそ、日本人と言える。
けれど、敗戦前と全く違う教育を受けているのに、だから、日本人になる努力をしていないのに、日本に生まれたのだから、そのまま、日本人なんだと思っている。
「政治とは、国民から集めた税金をどう使うかということ」
この井上ひさしの一言、何が変だ、と思います?
「まつりごと(政、政事)」の一語、その意識が完璧に抜け落ちているから、変、なんです。「国、国民のために使う」が、言わずもがなの大前提でしょう?
「現実と理想、のうち、今は現実だけを言っているのだから、そんな、鬼の首、獲ったみたいに。理想については言うまでもない、だから書いてないんだろう?そんな簡単にレッテル貼っていいのか?」
いいと思いますよ。人間不信の人が、「神意」、なんて。
考える、と思う方がナンセンス。
ことほどさように、予算は政治そのものだ。裏を返せば、政権にとっては大仕事である。(以下略)
朝日新聞「天声人語」(7月29日付)
やっぱりね、と思う。
井上ひさしと言えば左翼も左翼、筋金入りの左翼で、困ったことに(?)私は、その井上ひさしの脚本になる、人形劇「ひょっこりひょうたん島」を、毎日楽しみにしていた。小学校の頃で、全くの成長期なわけだから、随分長い間続いていたように記憶しているが、実際は3年から5年くらいのものだろう。
その間に「教育」されたわけだ。気付かず、社会主義思想を。
ただ、、いつも、面白いと思いながらも、何だか妙に引っ掛かっていたこともある。憎めないけど、イヤラシイのだ、登場人物の性格が。
今、あれは一体何だったのだろう、と思ってみると、どうも、井上ひさしの目に映る「人物」というのは、みんなイヤラシイのではないか、と気がついた。
早い話、井上ひさしって人は、相当な人間不信を抱いて生きて来たのではないか。そのもとは、井上ひさしが、とても「良い子」であったからではないか、と想像している。
世間を信じるように育てられたか、全く逆か、それは分からない。
けど、物心がついてからは、裏切られ続けたのだろうな、と思う。だから、何でも笑いにする。それしか心を平常に保つ方法が、ない。
「素直な子はひねくれた大人になり、ひねくれた子供は気のいい大人になる」「子供の頃は、やんちゃなくらいの方がいい」「やんちゃしてきた奴の方が魅力がある」。
世間はそう言う。
けれど「良い子」だった一人として言いたい。
冗談じゃない。良い子は努力しているのだ、辛抱して我儘を言わぬよう、自分を抑えつけて来たのだ。褒められたいから、頑張って良い子になろうと努力してきたのだ。
なのに、それが当たり前、持って生まれた性質、みたいに言われ、「良い子だから」とからかわれ、「良い子はマネしちゃいけません」、とギャグにされる。
二つの価値観の間を右往左往して、でも、親の言う事を聞かなきゃ、と頑張っている。
それが、最後の最後になって親から「良い子だから」と、努力の部分を看過されて、遂に足元が崩れる。
もうこうなったら信じられるものは自分だけだ。親でさえ自分の本心を分かってくれてなかった。世の中なんて、分かってくれてるなんて、信じないぞ。
けれど、「車は急に止まれない。」「良い子は急に変われない。」何しろ努力の結晶なのだ、良い子というのは。
それで、今度は、自分の「努力を認めてくれる」ところに奔る。マージャン、パチンコ、果てはカルト宗教だ。オウム真理教に東大生等の優秀と言われる学生が多かったのは、偶然ではない。
また、やってしまいました。
1970年代初め、三嶋由紀夫の割腹自殺に衝撃を受け、一水会を結成した鈴木邦男氏が、左翼文化人を相手に、徹底的に電話突撃をやって連戦連勝、左翼文化人が次は自分のところかも、と戦戦恐恐となっていた頃、ただ一人、逆に井上ひさしにはやり込められて負けてしまった、といいます。それも、全く論争にならないんだそうです。
夫婦揃って、とんでもない論客で、
「ああ、そう。右翼。そりゃ大変ですねえ。ご苦労様。ところで、皇室を大事に、と言われるんなら、天皇の名前を全部言えるんでしょう?僕は左翼だけど、あ、わかってるか、僕は言えるよ。言って見ましょうか?」と神武天皇から途切れることなく、すらすらと昭和天皇まで言ってしまう。その間鈴木氏は、黙って聞いているしかない。(自分はちょっと怪しいんだもの)。
これ、剣道で言えば、「後の先」というやつで、先に相手に切り出させておいて、乗っかって、攻撃をする。相当な実力差、か、そうでなければ、論戦に慣れている者でないとできない。
とんでもない喩えに聞こえたでしょうが、これが、論客、というものでしょう。
だから、この中に(短い言葉の中に)彼の理念が凝縮されている。
そう捉えて間違いない。
論客でない者は、よく喋るわりに中身がなくって、尚且つ言いたいことがつかめない。話が下手なんです。民主党には掃いて捨てるほどいる。
あ?人のこと言う前に自分がそうでした。
(いやいや、私は論客じゃない。ただのお喋りですから。)
さて、やっと最初に戻ります。
「政治とは国民から集めた税金(や国有財産)をどう使うか、ということ」
「端的に言えば」、と、予防線が張ってあるものの、この一文の見事さに現在の大多数の国民が頷いたが故に、民主党を選び、今回の選挙でも、民主党が「最大得票」を果たした。
メディアも、何かと言えば「金、金」と繰り返す。この朝日新聞も同じです。
つまり、「ほとんど」「みんな」が、今の日本、左翼思想が基盤になっていて、テレビの街頭インタビューに答える日本人らしからぬ面相、風体の日本の若者は言うまでもなく、「覚醒した」と言っている人も、その多くは、実は左翼思想の持ち主ではないか、と思うのです。
日本人になる努力をしてこそ、日本人。そして、その努力を続けてこそ、日本人と言える。
けれど、敗戦前と全く違う教育を受けているのに、だから、日本人になる努力をしていないのに、日本に生まれたのだから、そのまま、日本人なんだと思っている。
「政治とは、国民から集めた税金をどう使うかということ」
この井上ひさしの一言、何が変だ、と思います?
「まつりごと(政、政事)」の一語、その意識が完璧に抜け落ちているから、変、なんです。「国、国民のために使う」が、言わずもがなの大前提でしょう?
「現実と理想、のうち、今は現実だけを言っているのだから、そんな、鬼の首、獲ったみたいに。理想については言うまでもない、だから書いてないんだろう?そんな簡単にレッテル貼っていいのか?」
いいと思いますよ。人間不信の人が、「神意」、なんて。
考える、と思う方がナンセンス。