CubとSRと

ただの日記

「都構想」から「道州制へ」の道

2020年11月01日 | 心の持ち様
 そろそろ住民投票の結果が出る頃でしょうか。
 8年前、「日本維新の会」ができる時に書いた日記を見てみました。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「これ、維新?」

 橋下市長の下に多くの人が集まって、遂に「国政に与(あず)かる勢力となるべき」ということで、「日本維新の会」という名の政党ができるとか。

 で、とりあえず現国会議員で、正式に政党として旗揚げしなきゃならない。
 そのために色々な政党から離れたメンバーで、とにかく発足させる。
 そして、これを核(きっかけ?)にして、来る衆院選には各選挙区に候補者を置く。
 各選挙区の候補者が、地元の人間で維新の会に入り、その政策に全面的に賛同する、ならいいけれど、そうでなければ大阪から落下傘候補を送り込む。
 費用は全て自分持ち。「そのくらいの覚悟がなけりゃ政治なんかできない」、と発破をかける。

 「何かやってくれそうな気がする」
 「橋下さんの行動力・影響力は魅力的だ」
 「民主は案外だったし、実力不足だけれど、自民だって総裁選でごたごたしてるだけだし」

 テレビを見るとこんなのばかり。何だか不思議です。
 「どこの国の話をしてるんだろう」と思う。
 「何かやってくれそうな」って、国の将来のことですよ?博奕じゃあるまいし。
 「行動力は魅力的」って、その行動力が何を目指しているのか考えたことあるんでしょうか。
 「2万パーセント出ない」と言った人物です。全く信用のできない口約束と行動力が合わさればどんな結果を生むか。私のような能天気なおっさんだって、そのリスクの高さを考えたら二の足を踏む。

 選挙は博奕じゃない。
 国民一人ひとりが自らと国の命運を「代議士」に任せるのが国政選挙でしょう?
 「我が国のことなのに、何だか他人事みたいなこと、言ってる」
 と思います。

 維新という言葉を用い、「船中八策」になぞらえて「維新八策」としているわけですが、内容がまだまだ、という評が為されています。
 当然と思います。「策」であって、まだ、「案」でしかないのですから。
 もっと言えば「維新」なんですから、ごたごたして当然。これまでのことを「一新」しようとすれば新たなことが次々に問題として出てくるものです。

 「維新」は縦糸を換えるということでしょうから、これまでの社会の在り方を全て換える、「一新する」ということでしょう。
 「明治維新」は、だから王政復古・天皇親政という形を採ることで幕藩体制をやめた。
 だからと言って平安時代のような摂関政治でも、奈良時代のような律令制でもない、けれど天皇をいただいての御前会議から西欧の議会政治へとつなげていった。だからぐちゃぐちゃ。

 「五箇条の御誓文」という、あんな立派な誓文が出された。「御誓文」の言葉通り、天皇が皇祖神に奉告する「政事の仕方」が書かれたものです。
 ところが、同日に国民に向けて出された「五榜の掲示」は、一言で言えば「国民は従来通りの生活をせよ」というものでした。早い話が「今は慌てて動くな」ということです。
 勿論、やくざの親分や、どこかの大国のように「私はいいんだがね。若い者は血の気が多いから何をするか分からない」、みたいないい加減なことではない。御誓文も五榜の掲示もそれなりの覚悟のもとで出されたものです。
 ぐちゃぐちゃだけれど、確かにそれは明治「維新」、でした。

 「維新」は革命ではありません。
 革命は、政治を行う王室の「命」を「革(た)つ」ことですから、日本の場合で言えば、皇室を滅ぼして共和制にするか、新しく皇室を立てる(!)ことが革命ということになります。
 共和制のことはさて置き、王室は「力」で前王室(王朝)を倒し、新しく「国王である」と名乗ることで成立しますが「皇室」、となるとそうはいきません。
 現皇室の前に、別の皇室はない。
 更に天皇は、(名目上は)神により王位を授けられる「王」室と違って、神(皇祖神)の子孫という形で天皇になることが「定められている」。

 日本はそういう形で成り立っている国であり、その形は神武創業以来、一度も変わった(途切れた)ことはなかった。
 その皇祖神以外の神が、つまり別の神が「子孫を天皇に」、という考えそのものが日本には存在しない。

 一見、革命に似ているけれど、「維新」は社会の仕組みを変えはするものの、それは「力」でやるわけではないし、これまでの生活を全面否定するものではない。
 そう見てくると、「日本維新の会」が「維新」を名乗るのは何とも不思議なことです。「維新」は天皇の命の下に行われるものなのですから。だから「御一新」と言われたのですから。

 「維新の会」の目指すところは何だったでしょうか。「大阪都構想」、でしたね。
 「『都』を二つ(以上)つくる。」
 それは「今のままでは自由に動けないから」、でした。
 「政治も経済も全て、各地域ごとに思いきり自由にやりたい。そのためには現在の東京への一極集中では駄目だ。地域に主権を!」ということでした。

 「地域主権、とは何ごとか!それは独立国になるということじゃないか!」
 と批判され、「地域主権」という言葉はいつの間にか「地域分権」に変わっていましたが、
 「自治区単位が小さ過ぎる。これではまとまるものもまとまらない。無駄を省くために都府県制をやめて、日本も(韓国に倣って?)道州制にして『道州院』をつくって国政を行えば良い」
 、と。

 これ、「維新」、でしょうか?
 国の在り方を変える。その目的は?
 「政治も経済も各地域毎に、自由にやりたい」。

 結局は「国民の生活が第一」、という考え方でしょう?
 もっと言えば、国民の「生活が第一」。
 「国なんかなくても良い」、につながる考え方ではありませんか?

 これ、「維新」、でしょうか?ホントに?


註)
 「国民一人ひとりが自らと国の命運を「代議士」に任せるのが国政選挙でしょう?」と書いていますが、何か変だなと思っていました。
 これは「任せる」ではなく、「託す」でなければならない。
 命を懸けて国政に挑む代議士に対し、見下すように「任せる」、などと言うのは失礼が過ぎました。自身の把握の曖昧さを改めて恥じています。 
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気分が大事(千木と勝男木)

2020年11月01日 | 神社
 以前に書いた日記です。

 ・・・・・・・・・・・・・・
  思いついたことを一つ。
 思いついただけです。だから今日は(今日も?)薄味です。

 でも、実はこんな時こそ当人の心情が出て来るものです。

 私はいつも他人様の言葉を借りて、昔笑福亭釣瓶がやってた「突然ガバチョ!」の中の「いきなりにらめっこ!」の指摘マン「ワシもそう思う博士」みたいな尻馬に乗った言葉を発していますが、その際でも、私なりの根っこは動かないと自負しています。私なりの根っこ、それはこれまでにつくって来ただろう感性です。

 そして、その感性を「本当に日本人の感性だろうか?」と自問自答し続けるということは続けています。
 それは物を知らないおっさんの、絶対に譲れない、「最後の一線」、です。


 さて。
 キリスト教の教会、仏教の寺院、神道の神社、と、俗に「宗教施設」という呼称で一括りにされるものでも、それぞれに成立理由は違うものだから、趣もそれぞれに違います。
 教会は司祭が、天国、神の国について話をするところで、その建物は神の国である天上へ人々の目が向くように高くそびえたっている。尖塔を有するのがその特徴です。
 対して仏教の寺院はというと、極楽浄土というのは己が心の中にあるものだから別に天に向かう必要はない。
 却って心の中だから、と、寺院は空、天、ではなく心の中を見るように、と仏像を安置し内観を心掛けるために、修行の場(道場)の体裁をとる。

 では神道ではどうか。
 神社は元々社殿などはなかったというのは、御存じの通りです。
 神は「上」であって、光は上から降り注ぐ。或いは水は上から流れてくる。
 だから、その光に照らされたものがそのまま神の依り代だったりする。(桃太郎が上から流れてくるのも同じかもしれませんね)
 そうそう、滝(垂水)も神の依り代でした。

 勿論、光そのものが神です。キリスト教のように光があって影が生まれたというような相対的な発想はない。光だけ、です。
 それ故に鏡を神の依り代とすることが多いのでしょう。
 けれども鏡というものは光が当たらなければ光らない。そして光はいつもあるわけではない。
 光のない時はどうする。
 光がない時は「光あれ」と思う。これが「清明正直」でしょう。
 「清く明かく正しく直き」心です。常に前向きの心持ちです。

 そんな風にいつも光を、つまり、「上=神」を意識して生きる。
 それが神道であり、だから社殿はその象徴であるはずです。

 日本人はお寺と神社、どちらも大事に思うのが普通でしょう。
 だけれども、何となくその両者の建物に対して、同じ「大事」と思いながら、何だか違った印象というか、感情を持っていませんか?
 やっぱりここまで書いて来たように、お寺では自分を真面目に見詰めるような気分になって、神社ではただ何となく「有り難いな」と思うだけだったりしませんか?何にも考えない、いや考えられない。
 「圧倒されて願い事なんかできなかったよ」と、以前ビートたけしが内宮へ参拝に行った番組で言ってました。

 厳粛な?(敬虔な?)気持ち?
 これこそが「かしこむ(かしこまる)」、だと思います。あれですよ、祝詞(のりと)のおしまいに出てくる「かしこみかしこみまをす(恐み恐み、または畏み畏み曰す)」という決まり文句。
 畏(かしこ)まる気持ち。
 畏れ多いから、だらしない格好やだらしない、いい加減な気持ちでは向かえない。
 それをビートたけしは
 「圧倒されて願い事なんかできなかったよ」
 と照れ隠しに言ったんじゃないかな、と私は今でも思っています。
 あ、脱線しました。

 戻ります。
 お寺を見た時と、社殿を見た時と、では、「感じ」、「思い」が違う。見ただけで、です。何故かしら感じるものが違う。
 空に向かう教会や、静かに瞑想しているかのようなお寺の建物。
 神社の社殿はそのどちらとも違う感じがある。
 何だろう。
 そう思っているうちに、
 「地にしっかりと立っては居るものの、空への高さも感じさせる、神社の社殿独特の形にあるんじゃないか」
 と気が付きました。

 神社独特の形。・・・なんて言って、そんな大袈裟なものじゃない。
 「千木」です。そして鰹木(勝男木)です。
 何という事もないもの。本来は屋根の始めになる棟にX型に括りつけられた木材の先端です。
 後にはわざわざX字型の大きな組み木をつくって、棟の上に実用の意味など全くないのに取り付ける。
 そしてこれまた、本来は屋根を葺いた萱などが風で飛ばぬように重石の代わりに括りつけられた丸太棒を実用の意味などないのに今でもわざわざ載せる。

 でも、このX字の組み木が、また、和太鼓の胴のような形をした勝男木が、見る者の心に大きく映るのではないか。

 大祓(おほはらへ)の祝詞に
 「~下(した)つ磐根(いわね)に宮柱(みやばしら)太しき立て、高天原(たかあまのはら)に千木(ちぎ)高しりて~」
 とあります。

 「強固な岩のような地に太い宮の柱を立て、高天原に届くかのように千木を高く組んで~」
 ということは
 「地に足をしっかり踏みしめて、天にも届けよ、と立つ」
 、或いは
 「天壌無窮(天地に窮まりなし)」
 という、その形。
 早い話が、「弥栄えに栄える」という末広がりの心持ちを千木が表し、拡「散」せず、拡「充」の気持ちを勝男木が表す。千木と勝男木はその象徴ではないのか。

 こんなことをごちゃごちゃ書かなくたって、誰でも神社の社殿を見、同時に棟の上の千木や勝男木を目にしたら澄明な気を、清らかな気分を感じるのではないか。

 人の心の初め、というのはこんな単純なものなんじゃないでしょうか。

 そして
 「その感応力で、世の中を見る」。


  2014年1月31日の日記より 
 
 蛇足ですが。
 「神社仏閣」というところを「寺社仏閣」というのは間違いです。「寺社」或いは「社寺」だけなら分かるけど、そこに「仏閣(仏教の建物)」だけわざわざ付け足すのは変でしょう。建物があろうとなかろうと神社だから、神社を意味する言葉を創出して付け足すのも面倒な話。
 まあ、最近の「何なら」と同じで、ちゃんと意味を考えないで聞きかじりから使い始めたことなんでしょうけどね。
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