10月26日
何かに取り組んでいる時、不意に別の何かを思い付く。それを思い付いた時、初期の目的を放り出して、思い付いた別のことに取り組んでしまう。
テスト勉強をしなきゃならない、と思いながらも、「何でこんなこと、しなきゃならないんだろう」と思ったが最後、テスト勉強を放り出して、速攻、日記に疑問の答えを書きつけようとする。
大概の場合、そのせいでテスト勉強の時間が一時間余り消えてしまうのだけれど、費やした一時間余りで思ったことを日記に書きつけることができたか、というと、さにあらず。日記に書きつけるうちに却って訳が分からなくなって、お手上げ状態となり、結論を導き出す前に、刀折れ、矢尽きて悲惨な討死。仕方なくテスト勉強へ戻る。それが毎度のこと。
それでも、いつものことながら、疑問や別の課題が浮かべば、やらずにはいられない。
今日も、買い物に出るつもりで、「まだ、大丈夫」と思いながら「この調子なら、またいきなり寒くなるかもしれない。そうなってからでは面倒だ」、と長袖の肌着を引っ張り出してしまう。
そうすると、半年以上しまい込んでいた肌着だ、言うまでもなく白い肌着の首周りは黄ばんでいるわけで。
「これはとてもじゃないが着られないな。もしも事故に遭ったりしたら、黄ばんだ肌着を見られることになるかもしれない」。
で、「やっぱり独居老人は・・・」なんて思われる。そんなのは死んでも嫌だ。
そういうことで、まずは漂白、ということになる。計七枚の肌着を洗ったけれど、昨冬、新しく買った四枚は何とかなったように思うけれど、三枚はいけない。黄ばみが目立つ。しょうがない。もう一度洗濯し直す。
そんなことをやってから、もう一度、今度は今着ている物の洗濯。
結局、計三回、洗濯をしたわけだ。やったのは洗濯機だけど。
それで、出るのは1時半近くになってしまった。
肌着は引っ張り出しただけで、洗濯をしてしまったのだから、着替えて出たわけではない。今日の目的のことを考えると、全くの無駄な時間を費やしたことになる。
けど、全くの無駄だったんだろうか。今度いきなり冷え込んだときのための「転ばぬ先の杖」になる。それは間違いない。必ず今年の冬、着るんだから。
ちゃんと見直しをすることもせず、初めから「今、それが必要か?」と否定する、断定する、ってのは、合理的なようで視野が狭過ぎるのかもしれない。
実際、必要な時(必要に迫られて)、慌てて「それ」に取り組む、ってのは泥棒を捕まえてから縄を綯う、「泥縄」って言葉で批判されこそすれ、肯定されることはない。