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ただの日記

「八百万の神達」とは言うけれど、キツネは神様じゃない

2021年06月04日 | 神社
 わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
               頂門の一針 5795号
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      2021(令和3年)年 6月3日(木)より


◎キツネを神として拝んではならない:北村維康

 稲荷神社で、キツネを拝んではならない。

 はあ?なんのことぢゃい?と思はれるかもしれないが、これはひとつの老婆心と思ってお読みいただければ幸ひである。

 世に、神社は沢山あるが、稲荷神社も多い。しかし、そこに祀られてゐるのは、神道の神様であり、キツネではない。キツネとか、竜とかは、霊的に言ってもみな眷属(けんぞく)であり、いはば、神様の家来である。

 眷属でも、ある程度の霊力は持ってゐる。だから、参拝者が、キツネを神様だと思って拝んだりすると、キツネも「自分は偉いんだ」と錯覚して、それなりに商売を繁盛させたりもする。

 しかし、その御利益を頂いた参拝者が、あとで恩知らずに寄り付かなくなるやうなことでは、キツネが怒って、いろんな禍を齎(もたら)すかもしれない。

 これは、もともと、神でもないものを神として祀り、拝んだところにその原因があるのである。稲荷神社に参拝するのは良いが、あくまでもそこに祀られてゐる神様をこそ、拝むべきなのである。(男神としてのオオトシ、女神としてのオオゲツ)これが、山陰神話研究会の会員としての、老生の老婆心である。

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 「八百万の神達」と言い、「森羅万象に神が坐(いま)す」と説明され、また「神無月には八百万の神々が出雲に集って各種の縁結びについて会議(神議(かみはか)りをなさる」とも言われて、何だか神様は平等であって上下はない等と思いがちだが、神様が神様を産むことだってある。いや、それだけでも大変な数になるんじゃないか。
 もうそれだけでも、階級とまではいかずとも(心情的にでも)上下は生まれる。若い神達が天御中主神と同じ、なんてあり得ない。ましてや神々の眷属(けんぞく=神の使者)と神々が同じ、なんてことはあり得ないだろう。
 それなのに、例えば「お稲荷さんを家に祀って油揚げを供えて~」なんてことをついやってしまう。
 「お稲荷さん」は「稲荷大明神」或いは「稲荷大神」。キツネはその眷属だから「使者」。眷属、言ってみれば家子・郎党の立場のキツネが油揚げが好きだからと言って稲荷大神に油揚げを供えるのはおかしいだろう。主人の家来の好物を持って主人を拝しに行く・・・それはおかしい。
 いや、おかしくはないな。尊い神に対して好物等の現物をお供えするってのは失礼が過ぎる。神宮だってお供えは朝夕の御饌だけだ。
 だから油揚げ供えたっていいけど、それは拝殿で、じゃない。
 拝殿では清明正直の身心で、赤誠を以て祭神に向かい、拝礼する、と。


コメント
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