CubとSRと

ただの日記

見直し

2020年11月13日 | 日々の暮らし
 10月26日

 何かに取り組んでいる時、不意に別の何かを思い付く。それを思い付いた時、初期の目的を放り出して、思い付いた別のことに取り組んでしまう。
 テスト勉強をしなきゃならない、と思いながらも、「何でこんなこと、しなきゃならないんだろう」と思ったが最後、テスト勉強を放り出して、速攻、日記に疑問の答えを書きつけようとする。
 大概の場合、そのせいでテスト勉強の時間が一時間余り消えてしまうのだけれど、費やした一時間余りで思ったことを日記に書きつけることができたか、というと、さにあらず。日記に書きつけるうちに却って訳が分からなくなって、お手上げ状態となり、結論を導き出す前に、刀折れ、矢尽きて悲惨な討死。仕方なくテスト勉強へ戻る。それが毎度のこと。
 それでも、いつものことながら、疑問や別の課題が浮かべば、やらずにはいられない。

 今日も、買い物に出るつもりで、「まだ、大丈夫」と思いながら「この調子なら、またいきなり寒くなるかもしれない。そうなってからでは面倒だ」、と長袖の肌着を引っ張り出してしまう。
 そうすると、半年以上しまい込んでいた肌着だ、言うまでもなく白い肌着の首周りは黄ばんでいるわけで。
 「これはとてもじゃないが着られないな。もしも事故に遭ったりしたら、黄ばんだ肌着を見られることになるかもしれない」。
 で、「やっぱり独居老人は・・・」なんて思われる。そんなのは死んでも嫌だ。
 
 そういうことで、まずは漂白、ということになる。計七枚の肌着を洗ったけれど、昨冬、新しく買った四枚は何とかなったように思うけれど、三枚はいけない。黄ばみが目立つ。しょうがない。もう一度洗濯し直す。
 
 そんなことをやってから、もう一度、今度は今着ている物の洗濯。
 結局、計三回、洗濯をしたわけだ。やったのは洗濯機だけど。

 それで、出るのは1時半近くになってしまった。
 肌着は引っ張り出しただけで、洗濯をしてしまったのだから、着替えて出たわけではない。今日の目的のことを考えると、全くの無駄な時間を費やしたことになる。
 けど、全くの無駄だったんだろうか。今度いきなり冷え込んだときのための「転ばぬ先の杖」になる。それは間違いない。必ず今年の冬、着るんだから。

 ちゃんと見直しをすることもせず、初めから「今、それが必要か?」と否定する、断定する、ってのは、合理的なようで視野が狭過ぎるのかもしれない。
 実際、必要な時(必要に迫られて)、慌てて「それ」に取り組む、ってのは泥棒を捕まえてから縄を綯う、「泥縄」って言葉で批判されこそすれ、肯定されることはない。

 
 

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ぶははは。

2020年11月12日 | 日々の暮らし
 「菅首相」という文字を見ると、いまだに、つい「かん首相」と読んでしまう。全くの正反対の人格なんだけど。頭が固いからか、それともぼけてるからか、その両方か。
 まあ、これまた未だに「暴露」とあったら「ぼうろ、いやいや、ばくろだったな」とやってるくらいだから。こっちなんかは年季が入っていて、学生の頃から四十年以上、「暴露」という二文字を見た瞬間、頭には「ぼうろ」の三文字が浮かぶ。

 そんな無駄話は置いといて。
 「わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン  頂門の一針 5590号」
 から。

【変見自在】首相はペテン師
━━━━━━━━━━━━━━━

  高山 正之 『週刊新潮』 令和2年11月12日号

 だいぶ前、確かあの悪夢の民主党政権時代に宮崎正弘から電話があった。

 変わった経歴の持ち主で、70年安保のころ早大に入った。早稲田と言え ば革マルの牙城で機関紙は「早稲田大学新聞」。

 彼は民族派の日本学生同盟に入り、革マルに対抗して「日本学生新聞」 を発行し、その編集長に納まった。
 後に三島由紀夫を介錯する森田必勝(マサカツ)はこの日学同の1期後輩にな る。この因みに「憂国忌」(11月25日)は宮崎正弘が立ち上げ、今も代表 役員を務めている。

 そんな人物からの電話の用件は「ちょっと代わりに講演に行って喋って きてくれないか」だった。
 血液型はA型だ。大方ダブルブッキングでもしたのだろう。こちらは暇 だったし、気安く引き受けた。
 「何を話すの」
 「適当な時事ものでいいんじゃない」

 で、某月某日、新幹線に乗って所定の会場に行った。
 身代わり講師は控室で少し待ったあと登壇した。
 講演では世相を憂え、ついでに当時の民主党政権の宰相菅直人にも触れた。
 個人的にはあの目つきが嫌だ。きょときょとして爬虫類を思わせる。
 学生運動は先頭に立ってやったが、機動隊が来ると後ろに隠れてトカゲ のように逃げ回ったと聞く。

 ちょうどニューヨークでの短い日米首脳会談から戻ったころだったの で、その折の話をした。
 オバマはその席で彼を「プライムミニスター(首相)」と役職名で呼ん だ。「菅さん」とか親しみを込めて名前を呼ぶことはなかった。
 なぜオバマは「ミスターカン」と呼ぶのを躊躇ったのか。実は英語でカ ン(con)と言えば詐欺師、ペテン師の意味になる。

 米大統領が日本の首相をつかまえて「ミスターペテン師」と呼ぶ。
 日本人の大方は言い得て妙というか、実に適切な表現と思うだろう。 「オバマも躊躇うことはなかったのに」と語ったら、会場はシーンと静ま り返った。
 一瞬「あれっ」と思った。何で滑ったのか、首を傾げたものだ。
 まばらな拍手を背に講演を終え、「小宴の席でお待ちを」と別会場に通 されて吃驚した。
 あちこちにポスターが貼られ、そこには「民主党県連大会」とあった。

 ダメな民主党の生涯一度の晴れの秋に、彼らの無能を嗤い、挙句にお前 らの党首はペテン師が相応しいとやってしまった。
 後日、宮崎正弘に会ったとき、紹介者が紹介者だからまともな会と思い 込んでしまったと愚痴った。
 「あれ、言わなかったかな。でも現場に行けば元新聞記者だ、すぐ気づ いただろうに」と取材力、観察力不足を指摘された。
 確かにその通りだ。以後、講演主催者や執筆先には十分注意するように なった。

 まともな方の菅首相が学術会議新メンバーのうち6人を任命拒否した。
 彼らの素性は公表されていないから国民も戸惑ったが、例えば拒否され た慈恵医大の小沢隆一は「赤旗」の常連だし、早大の岡田正則は民主主義 科学者協会の理事を務めていた。
 同じく任命拒否された加藤陽子も日弁連主催の講演会に出て喋り、雑誌 「前衛」に「参院選に向け」とか書いている。

 ここに挙げたのはいずれも志位和夫の共産党と深い縁があるものばかりだ。
 こちらは注意不足で勘違いしたが、小沢は何度も登場した「赤旗」が今 さら「共産党機関紙とは知らなかった」とは言うまい。
 加藤にしても「前衛」がいつの日か武装蜂起して政府転覆を謀り、天皇 も抹殺する気でいる共産党の機関紙だということは百も承知のはずだ。

 もし国会で「共産党」と野次ったら首相ですら謝罪させられる。それほ ど社会的には悪い印象しかない。
 そんなところと懇(ネンゴ)ろな関係を持ちながら「学術会議に相応しい公 正で清廉な学者です」と言ったって世間には通用しない。

 世間は他の連中の尻も洗え、6人だけで止めるなと言っている。


出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)11月12日号

    【変見自在】首相はペテン師

 久保田 康文氏 採録 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「首相はペテン師」という標題を見て、
「えっ?菅首相のこと?何で?安倍首相のことかな?どっちにしてもペテン師、はないだろう。公約を実行してないからって?菅首相はまだ断定するのは早いし・・・。高山氏、宗旨替えしたのか???」
 などと思ったけど、読み進むうちに高山氏の罠にはまっていたのに気が付き、同時に噴き出してしまった。
 それにしても、後半の学術会議の件、ネットでは周知のことだけど、テレビでは一切言わないよね。
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トランプ大統領から始まったわけじゃない。

2020年11月11日 | 心の持ち様
 何だか一人の大統領に全てを擦り付けて幕引きを図ろうとしているかのように見える。ナチスに全ての責任を負わせたときのように。
 あれ、選挙で選ばれたんですよね。ヒトラー伍長はただの政党「ナチ」の、「総統」という名のリーダーであってドイツ軍の大将ってわけじゃなかった。トランプ大統領だって選挙で選ばれた。だから責任は選んだ国民にもある。
 「あなた方は悪くない。独走した軍部が悪いのだ」というのも同じ。間違いなく日本国民の支持があった。(あの戦争が悪かったかどうか、というのは別問題です。)
 以前に書いたアメリカ人気質の話。
   ↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「早合点はアメリカに任せましょう」
 2013.12/31 (Tue)

 昨日、ちょっとした事情から、GHQの占領政策についてWIKIを見たんですが。

 面白いですねぇ~。
 いや、面白いというより、良く言えば「相手をすぐに信用してしまう」というか、ほんの僅かな情報で以て、「こうだ!」と断定して実行に移す、その思い切りの良さ。
 けれん味のなさ、その実力と実行力は世界一なんじゃないかな、なんてことを思いました。

 そういえば、そんな乱暴なふざけ方があるか、と呆れるようなおふざけビデオや、命知らずなスポーツは、大概アメリカでできてますけどね。
 面白いんだけど、危険過ぎる。言いたいことは分かるし、能力も十分にある、と理解できるんだけど、何しろやることが危なっかしい。

 そんなだから、道理を説くと成程、と理解するのも早いし、納得すれば方針も潔く転換する。その見事さは心地良いくらいです。

 けれどここにも出てくるんですね、了解するのは早いんだし、実行力も突出しているんだけれど、
 「僅かな情報で以て、『こうだ!』と断定して実行に移す、その思い切りの良さ。けれん味のなさ」
 、が。

 早い話、早合点が異常に多い。だから、憎めないけど、周辺は大変です。大方は悪気なくやっているから、よけいに始末が悪い。スーパーマンかスパイダーマンみたいなもんでしょうか。


 以前に「料理の鉄人」という番組で、アメリカに乗り込んで勝敗を決するというのがあったんですが、御存知の方も多いんじゃないでしょうか。

 料理が時間内に終わった瞬間、アメリカの料理人、興奮してしまって俎板の上に飛び上がってガッツポーズをした。
 それを見た日本人の料理人は激怒し、
 「料理人が俎板の上に土足で上がるなどあり得ないことだ!怪しからん!」
 と、火を噴くかと思うような勢いでその行いを切り捨てた。

 勝負は当然、日本人の料理人が勝ったんですが、彼は喜びの表情よりも、憤懣やるかたない、といった感じで、そのことをアメリカの料理人に伝えた。

 この時、どこかの報道官よろしく
 「こうなった責任は全て日本にある。日本は反省すべきだ」
 みたいなことは言いませんよ、アメリカはね。
 このアメリカの料理人は、その料理への「あるべき心得」を説かれ、猛烈に反省したんですね。

 「そうだ。いくら浮かれても、あれはやってはならないことだった。よく教えてくれた。ありがとう!」
 これで、怒っていた日本人の料理人も、その素直さに怒りをすぐ解いたんですが。

 で、翌年だったか、改めて対決という事になった。
 記者に前回の俎板事件のことを聞かれたアメリカの料理人、
 「今回はあんなことにはならない。興奮してもダイジョーブ!」
 と自信満々で応え、対決に挑む。
 そして首尾よく時間通りに料理を仕上げる。

 ところが、やっぱり興奮して俎板の上に飛び上がり、ガッツポーズをしたんですね。
 さあ大変!日本人の料理人が怒る!
 けど件の料理人は自信たっぷりで、
 「今年は大丈夫だ!土足で上がったりなんかしなかったよ。ちゃんとビニールシートを掛けたんだ。俎板、汚さなかったヨ!」
 得意満面の笑みでそう答えた。

 ばか?間抜け?おっちょこちょい?ひねくれ者?意地が悪い?
 本気だったんだと思いますよ。きっと。
 「そう言う事じゃない!」と怒ったら「どういうこと?」と素直に聞き返すでしょうね、この人。
 WIKIの「連合国軍占領下の日本」という項目で、今書いた話を思い出してしまいました。


 占領下の話は、今書いて来たような、笑い話みたいなことではない。大変に深刻な話です。

 でも、その根っこは同じアメリカ人の意識が流れているなぁ、と思います。

 という事で、一部、転載してみようと思います。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「日本語ローマ字化計画」
 1946年3月5日、第一次アメリカ教育使節団が来日し、日本語のローマ字化を企てる。
 占領時代のアメリカ人は日本文化に対する情報が乏しく、日本の民衆は奴隷化されていて識字率は低いのだろうと思い込んでいた。
 それを漢字が障壁と考えローマ字化すれば識字率が高まると一方的な推論を立て、日本語ローマ字化計画を企てた。
 事前調査として15歳から64歳までの国民17,000人を抽出して漢字の読み書き能力テストを行ったところ、漢字の読み書きができないのは、わずか2.1%という結果がでた。
 これはアメリカ合衆国の識字率と比べても、当時の世界水準で見ても高い識字率であったため、これに困ったGHQの担当者ジョン・ベルゼルは、調査官であった言語学者の柴田武に「調査結果を捏造してくれ」と迫った。
 が、事実を捏造することはできないと柴田は拒否した。この一件があってから、日本語のローマ字化計画は立ち消えとなった。


 占領当初は靖国神社を焼き払ってドッグレース場にする計画が立てられており、実行までにはGHQ内で賛否両論にわかれた。
 が、駐日ローマ法王庁・バチカン公使代理のブルーノ・ビッテル神父の反対で中止した。

 日本では、第一次世界大戦終結当時から、鉄道電化によって石炭エネルギーに代えようという計画があり、戦後の新幹線計画の基となった「弾丸列車計画」すなわち主要幹線および山岳線区の大規模な電化計画が立てられ、すでに一部で工事を進めていたが、軍部に反対されて中断していた。
 空襲被害によって発電所や変電所が破壊されると交通がマヒしてしまうというのがその理由だった。
 平和国家としての再出発に際し、政府はこの計画を復活させ、戦前に着工していたトンネルを利用して長期的な新幹線計画を再編することになった。
 ところがGHQはここでも厳しい制限を課し、電化工事のほとんどが禁止された。
 
 GHQは新車両の製造にも制限を加え、フィリピンから米国製SLを移送させたりした。
 GHQは日本にもディーゼル化を勧めたうえで日本に米国製の在庫のディーゼル機関車を購入させようとしていた。
 ただし、これは日本の発展を阻害するというよりもむしろ、GHQが電化計画自体に理解がなかったことが原因となっていたようである。
 オーストラリアでは鉄道はほとんど使用されていなかったし、アメリカではまだディーゼル機関車が主流だった。電化による動力分散を計画していた日本にとっては、米国製SLもディーゼル機関車もありがた迷惑であったが、電化計画と新幹線計画は主権回復後を待たざるを得ず、それまでの期間はSLで場をつないでやり過ごすことにした。
                  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 これ以上書くことはないでしょう。
 日本を潰そう、二度と立ち上がれないようにしようという画策があったのは事実だと思います。
 しかし同時に、良かれと思って画策されたことがあったことも事実なんじゃないでしょうか。
 ローマ字化計画は完璧に読み違えですね。
 で、狼狽えてどうしようとなった時、言語学者の柴田武の捏造協力拒否により、いとも簡単に横車押しを諦めた。これ、例の或る意味潔いこととつながっているんじゃないでしょうか。
 そして、鉄道の電化禁止。
 これは国力が付くのを恐れたためではなく、
 「そんなことできる筈がない。夢物語だ。アメリカだってできないのに」
 という、思い込みによる「親切の押し売り」ではないですか?

 こうやって見ると、
 「日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。」
 、の「失望」というのが、宗主国として、属国の日本に言っているのか、それとも「大きなお世話」に発しているのか見えてくるのではないでしょうか。 
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身から出た錆

2020年11月10日 | 日々の暮らし
 10月22日

 昨日は散々だった。
 吉日ではなかった、ということは関係ない。自分のしたことだから。

 生協に行って、資源ごみを出して、クリーニングに出していた物を受け取って、続けて15キロほど離れたところにあるジーンズショップに行ってみて・・・・。
 いや、待てよ、資源ゴミとなると屋上の駐車場から一階の収集場所まで持って降りるのは大仰だ。と言って館外の駐車場はいつも一杯だし。
 じゃ、今日は資源ごみはやめて、クリーニングに出していた物だけ受け取ってジーンズショップへ行くか、と予定を立てた。

 屋上に行く前に、ダメで元々のつもりで入った生協館外の駐車場が、珍しく空いていたので、そこに駐め、紙袋を持ってクリーニング店のある二階へ行く。
 カウンターのところで店員に預かり券を渡し、待っていると、しばらくして戻ってきて、 
 「これ、27日に仕上がることになってますので」。

 え?火曜日にできるっていうから、水曜日に来たのに?? 
 そこでやっと気が付いた。
 預けた時に出来上がりの日付を言われ、曜日で問い直したら「火曜日です」と言われたから、日付を確かめもせず水曜日に行ったわけだ。
 27日は一週間先だった!
 もう、これで最初にすべってしまったから帰ろうか、とも思ったが折角出てきたのだし。ジーンズショップまで往復三十キロあまりのドライブに行こう、と気を取り直す。
 
 目的地に着いた。ネットで調べていて、店はこの辺り、というところまでは分かったが車を停める所がない。なので見に行くことができない。
 結局、今日は何の収穫もないまま帰ってきた。

 というわけで、ちゃんと調べていたら(調べる以前の問題、か)、或いは、クルマでなくカブで出ていたらそれなりに何とかなることもあったわけだ。
 文句の持って行くところがない。ただの身から出た錆。
 

 
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どこまで続く泥濘ぞ partⅡ

2020年11月09日 | 日々の暮らし
 10月20日

 今日は歯の治療は2時から。これまでの分の最終確認。
 だからそれまでの時間は、これといった用はない。
 と言って、ちょっと出掛けてくる、というわけにはいかない。時間が中途半端過ぎる。

 2時少し前に歯科医院に着くが、2時きっかりまで始まらない。当たり前か。
 一週間たったので、微調整をして、後、残りの歯の歯石を取りつつ虫歯の有無を検査。
 被せ物をした三本は、ほとんど問題がなく、とにかく今回の治療は終了。

 しかし、後が大変だった。
 歯石取りは、予定通り左下と右上顎部の全部が意外に短い時間で終了したし、その間、特に痛みを感じることもなかったのだが、見つかった虫歯は、なんと上下合わせて8本。
 11月いっぱいかかるかもと思っていたが、現時点で間違いなく予想外の12月まで食い込むことが判明した。年を越す可能性も十分にある。
 費用の方も、これまでの三本で既に2万5千円以上かかっているから、更に8本、となると5万以上掛かりそうな気配。

 以前に直してもらっていたところが、隙間からまた虫歯になっていたようで、点検中に被せ物が外れてしまった。取り敢えずの仮止め、ということで留めてもらって、次回は11月初め。以降、週一回のペースで治療が続き、現在のところで12月の一週目までが予定に入った。

 腰痛がほぼ収まったものの、そういうことで、今年中は泊りがけでの外出は、やはり無理、ということになる。(治療の途中で旅行に出かけ、美味しいものを食べていたら被せ物が取れた、または、治療中の歯が痛み出した、ということになったら、もう目も当てられない)

 まだまだ続く泥濘ぞ。
 
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