天守閣の囲いを出て、石垣に沿って進む。ここから見ると、実物以上に、見えてしまう。
凌霜隊?残念ながら知らないね。日本中から会津へ集まっているね。
この奥に中庭の様な、小さな松ノ丸がある。行ったのだが、写真は無い。砂利の道を左へ下りて、駐車場へ戻る。 w^x^w
拝殿の正面。と言うより、拝む場所?拝むための門?遙拝所?
左側?南の本殿は少し小さいけど、御祭神は須佐之男命。
北の本殿は、御祭神は天照大御神。三貴紳と言われるけど、月読尊は出番が少ない過ぎないか? w^x^w
大阪最古の文庫?ほんまかいな?と突っ込みを入れたくなるけど?東の壁に沿って北へ。
この門の様な?入って行かなかった。更に左(北)へ。
赤い塀に沿って、これ?北にあって南を向いているよね?伊勢神宮遙拝所?伊勢神宮は東南東の方角だと思うけど?
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天守閣の入り口。外が明るいので、中は真っ暗?
見ての通り、足場は流石にコンクリート。出来るだけ明るく撮ってみた。上には上がらなかった。
暗いので上手く撮れない。白い丸は明かりの反射。城の中は是まで。 w^x^w
神門を再度、正面に捕らえて。普通に、神門かと思ったら、随神門でした。
左右に内側に向いた、随心の像がありました。格子の向こう側は撮るのが大変。
でも、随心の衣装がおひな様と一緒なのですよね。何故かな? w^x^w
この城の本丸は中腹にあるので、この門は、山頂の天守閣を囲む城壁の中への入り口。
近づきすぎると、この様にしか撮れない。この中庭は有るものの、此所には、基本、角櫓と天守閣しか無い。右に入り口がある。
入り口に近づくと、下が見える。新しい兜に見えるが、市の体育館らしい。ドームと言うより鉄兜? w^x^w
神橋越しに寝もを正面に見る。左の?案内図よりも、かなり大きな手水舎?
柱を合せて作った。大きな屋根。柄杓がある。向こう側で工事?
舞殿をずらして、新しい土台を作るらしい。上物はそのまま水平移動? w^x^w
少し奥左に?綺麗だけど、説明が無いと判らない。幟とは違うみたいだし。
更に進むと、また小さな門が?中に行くほど厳重に?では無い様だ。
また、同じ様な社が?でも、今度は説明がある。が「立間社」とまでしか読めない。 w^x^w
石垣のそばまで来て見上げる。これだけ見ると、凄く立派に見えるけど、小さな天守閣なんだよ。岡山とは違う。
海抜353m。眼下の城下町から、129m。本当に綺麗に見える山城。もう少し木を切った方が良いかも?
S08 年小田原城みたいにコンクリートを使わないで良かった。あれは歴史を壊す。 w^x^w
佐太神社の由緒書き。佐太の大神とは「猿田彦」だったのか?「さ(る)た」なのかな?
鳥居の東に田中神社?気がつかなかった。それにしても「田中?」明治以前にもその名があったのか?
神橋?前から右、社務所(黒い屋根)と勅令殿(赤い屋根)を見る。綺麗で新しい。 w^x^w
崖の上?展望できるところから、天守閣を振りかえる。ここからの眺めが、一番良いかな?
その途中に小さな社?中々立派。風雨に曝されてはいるが、大きく傷んではいない。
社の隣から見上げた姿。35mmでもこの様に撮せる。えらく立派な城に見えてしまう? w^x^w
雨の松江の北を、少し西、更に北の奥、山の端に、大きな駐車場と、大きな石の鳥居。字は「佐太大社」のはずだけど?
鹿島の歴史?少し驚いたけど、日本中に「鹿島」という地名があるの?地図の上では、この辺りから北に「鹿島」の名前が多い。
「狭田(さた)の国」「佐陀(さだ)神能(しんのう)」佐太神社の字が出来る以前に、「さた」「さだ」と言う日本の言葉があったのだろうね。
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