新年初の史跡巡りは、国指定史蹟の川柳将軍塚古墳と姫塚古墳へ。長野市の茶臼山の南、石川の山腹にあるこの前方後円墳は、森将軍塚古墳、土口将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳などと並んで古代信濃の国の重要な史蹟です。全長91m、後円部直径42m、高さ8.4mで、四世紀前後後築造といわれています。さらにこの古墳の上部には、姫塚古墳という川柳将軍塚古墳より古いとされる前方後方墳もあります。これらの古墳の下にある四阿からは、善光寺平(川中島)と前記の古墳が一望できます。
また、1561(永禄4)年、上杉謙信と武田信玄による第四次川中島合戦の舞台、上杉謙信が本陣としたといわれる斎場山や、後に上杉景勝、直江兼続が陣取ったと伝わる妻女山(赤坂山)がよく見えます。また、武田別働隊が越えたといわれる鏡台山から延びる戸神山脈や斎場山後背の天城山、謙信が陣城を築いたと伝わる陣場平なども見えます。
戦場となった川中島には、戦争目当ての武器商人や娼婦も集まり、奴隷市場まで開かれたといいます。乱取りの際には、火を放ち、略奪し、女子供を誘拐して売り飛ばしたと記されています。この美しい風景からは、そんな悲惨な過去の光景は想像することもできませんが、惨劇は確かにあったのです。善光寺大地震、戌の満水と悲劇は続きましたが、その度に先人達は雑草のように萌えあがりこの信濃の国を作り上げてきました。
お雑煮もいいのですが、ここは写真に写っている地域、信州でも埴科と更級という古代科野の国といわれる地域でのみ供される辛味大根の絞り汁に味噌をといてつゆとしていただく「おしぼりうどん」でも食べながら息子達と歴史談議でもしようかと思います。
川中島合戦と古代科野の国の重要な史蹟としての斎場山については、私の研究ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をご覧ください。
この川柳将軍塚古墳巡りは、MORI MORI KIDSでいずれアップします。写真にある赤坂山(妻女山)から鞍骨山(鞍掛山)へのトレッキング・フォトドキュメントは、「鞍骨城トレッキングルポ」をご覧ください。上杉景勝と直江兼続が見たかも知れない壮大な風景がご覧いただけます。また、現在年末の鞍骨山トレッキングルポを制作中です。
新信州郷土料理は、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)をご覧ください。山菜・キノコ料理、内臓料理、ブラジル料理、エスニック、中華の込み入った料理などの「男の料理レシピ集」です。特に本格的なアンチョビーの作り方を載せているのは、当サイトだけだと思います。手作りオイルサーディン、手作りベーコンもお薦めです。