前日親友N氏から、尼厳山の登山道整備に関わっている話を聞き、急に登ってみたくなりました。尼厳山は、旧字では尼巖山・尼巌山、別名では、尼飾山・雨飾山とも書くそうです。標高は780.9m。頂上には尼厳城跡があります。尼厳城は、雨飾城・東条城ともいい、村上義清に属する東条氏が造った詰めの城といわれています。
尼厳城は、北の支尾根に谷街道の要所、可候(そろべく)峠を持ち、北には真田へ抜ける地蔵峠があり、松代の防御の要の詰城であったと思われます。第四次川中島合戦に至る8年前、村上義清が越後に逃れた直後の天文22年(1553)8月、武田晴信は真田幸隆に尼厳城攻略を督促しています。城主東条遠江守信広は、真田幸隆の攻略に敗れ越後に逃れます。加賀井にはその時に東条氏達が泣きながら駆け下ったという泣き坂という伝説の地名が残ります。
落城後、武田晴信は、西条治部少輔に城の普請を行わせ、永禄元年(1558)4月の越後軍進攻の際に、「東条籠城衆」として真田幸隆と小山田備中守昌行をあてています。武田氏滅亡後、天正10年(1582)に上杉景勝が川中島周辺を征圧すると、東条氏が城主に復帰しますが、慶長3年(1598)豊臣秀吉の命により景勝の会津移封によって北信濃の武士達は、妻子を連れて会津に移ったため廃城となったといわれています。
また、手力男命が天の岩戸をあけた際、二度と閉じられないよう岩戸を隠してしまおうと、 隠し場所を探していてひと休みした場所が尼厳山であり、岩戸を隠したところが戸隠であるという神話の山でもあります。城跡ばかりが有名ですが、周辺には古墳がたくさんあります。また、至る所でお地蔵さんが迎えてくれる信仰の山でもあります。
低山ですが岩頭からのバーズアイビューが素晴らしく、人気の山のようです。登山コースもいくつもあるようですが、今回は玉依比売命神社から天王山の尾根に乗り頂上へ、帰路は奇妙山へ続く鞍部に下り、岩沢集落へ下りて神社に戻るコースを選びました。比高420mほどの低山ですが、急登や岩場もあり、なかなか侮れない魅力的な山で、他の季節にもぜひ訪れてみたいと思いました。
なんといってもそそり立つ岸壁の上からのバーズアイビューが見事。うららかな畳一枚ほどの広さもない岩頭の上で30分近くも過ごしてしまいました。頂上も、落葉しているため360度そこそこの展望があり、ここでも昼食を食べながら30分ものんびりとしてしまいました。
写真は岩頭上からの眺め。眼下に延びる尾根が天王山で、左の先に登山口の玉依比売命神社があり、道路脇に数台駐車スペースがあります。
★このトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップしました。ご高覧ください。