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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

「七度の飢饉より一度の戦」戦国時代の凄まじい実態 (妻女山里山通信)

2011-11-18 | 歴史・地理・雑学
「七度の飢饉より一度の戦」とは、戦国時代の古文書で、庶民の気持ちを綴ったものの中にある言葉です。戦国時代は、ちょうど地球の寒冷期にあたり飢饉が多かった時代なのですが、その飢饉よりも戦の方がいやだと言っているわけです。『飢餓と戦争の戦国を行く』藤木久志著の中に「七度の餓死に遇うとも、一度の戦いに遇うな」という言葉が出てきます。飢饉も餓死者が大量に出て凄まじいものだが、一度の戦争は七度の飢饉に相当するほど惨禍や被害が凄まじいということです。

 戦国時代の合戦においては、濫妨狼藉(らんぼうろうぜき)による「乱獲り」が当然のこととして行われました。掠奪、放火、強姦、拉致などです。その主人公は主に百姓達で、犠牲者もまた百姓達でした。上杉謙信は、冬が来ると関東に攻め込み、春に帰還することを何度も繰り返していましたが、それは足軽のさらに下の地家人と呼ばれる百姓達を食べさせるための掠奪の戦でもあったのです。いわゆる公共事業の側面があったのです。謙信や信玄といえども絶対的な権力があったわけでもなく、民を飢えさせれば即崩壊する危険性を抱えていたのです。宣教師が記していますが、戦が終わるとすぐに泥棒市や奴隷市がたち、商人で溢れかえったということです。遊女も現れました。戦はまた最大の稼ぐ場でもあったのです。その宣教師こそが奴隷商人だったことは知られていません。戦国時代の日本は世界有数の奴隷輸出国であったという事実は、学校の歴史では絶対に教えません。その首謀者は実はイエズス会の宣教師でした。約50万人もの日本人を海外へ売り払ったのです。東南アジアやスペインなどには、その子孫がいます。

紀州本 川中島合戦図屏風』には、上杉方中条越前の小荷駄隊が百姓たちに襲撃されるシーンが屏風絵に残されています。襲いかかる百姓たちは手に手に弓や槍を持っています。彼らは、信州の篠ノ井は塩崎辺りの百姓たちで、武田方という訳でもないのです。とりあえず名だたる武将の首を打ち取れば大手柄なのですが、無手勝流の百姓達がそう簡単に武将の首を打ち取れたわけもないと思われます。それでも多勢に無勢。うまく首を打ち取れば手柄になる他、武具を売り払って金に換えることもできます。まさに下克上の乱世。戦が終わると地家人や百姓による略奪が始まり、泥棒市、奴隷市がたち、女子供が売られました。豪農が大金を払って家族を買い戻したという話も残っています。

 我が一族最も古い墓は、旧長野電鉄屋代線の土口トンネルの上にあります。最も古い墓は天正10年3月10日没の林采女というもの。采女(うねめ)は官職ですが、戦国当時の侍が好んで付けたものです。そういう習わしがありました。佐久間象山は修理です。采女は皇室の女官を束ねる職です。しかし、残る墓のスタイルは戦国時代のものではなく幕末のものです。おそらく名主を務めた先祖が古文書を元に作ったものでしょう。この地の松代や清野、岩野、土口などの旧家は、戦国時代以降に住み着いたものがほとんどです。我が一族も松本の林城麓の林集落の出とか、小笠原長時の家来だったとか、その後松代藩に仕えたとか、残っています。まさに混沌の歴史です。

 前記したように寒冷期だったため、戦場はいつも飢餓ぎりぎりの状態であったようで、腹が減っては戦はできぬという通り、戦に参加したものには一日白米6合、塩10人で1合、味噌10人に2合という記述があります。(雑兵物語)そのほか兵糧丸(ひょうろうがん)という携行保存食がありました。これは穀物や豆類の粉に魚粉や薬草を混ぜ、蜂蜜、酒類、油で練り固めたもので、主に間者・忍者達が携行しました。今のカロリーメイトのようなものでしょう。その他には、野生の動物や山菜、キノコ、蛙や蛇なども手当たり次第食べた様です。松の木の皮の食べ方などもあるほど。モミジガサは、別名トウキチロウとも言いますが、豊臣秀吉の好物だったそうです。無関係ですが、突然「とよ、とみ、ひで、よし四姉妹」というギャグを思い出しました。司馬遼太郎の小説の様な英雄史観では、真実は決して見えてきません。

 戦国時代は、応仁の乱から120年ぐらいをいいますが、本当に厳しい時代だったのだと思います。しかし、現在の地球が放射能で汚染されてしまった時代が、戦国時代よりましだとは、とても言えない状況になってきました。東京の汚染度は、ウクライナのキエフとほぼ同等です。その現実を受け止めなければならない時が、やがて来ます。しかも、その東京で汚染されている瓦礫を燃やし始めています。都が1億、東電の子会社の東京臨界リサイクルパワーが140億もらう仕組み。泥鰌総理がいくらもうビジネスも大丈夫ですよと言っても決めるのは海外の人々。自国民も守れない国にだれが来るでしょうか。
これから子供達に起きる事:コンスタンチン・ロガノフスキー(キエフと同程度の汚染の東京圏)
被爆 500ベクレルの食品で国民が突然死する国
『子どもだけでも避難を』 いまだ下がらない放射線量 福島市渡利地区(住民の声を全く聞き入れない国と自治体)完全に棄民政策。
【一日も早く原発国民投票を。】署名できます。
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●戦国時代参考図書(英雄史観ではなく、実証歴史主義の書籍を読むことをお勧めします)
『絵解き 雑兵足軽たちの戦い』東郷 隆(講談社文庫)イラスト付きで、食・排泄・医療・博打・盗み・掠奪・女と商売人など面白く読める。
『百姓から見た戦国大名』黒田基樹(ちくま新書)乱世のパワーバランス。視点を変えると、こうも見方が変わるものか。
『戦国の村を行く』 『 【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』 『飢餓と戦争の戦国を行く』藤木久志(朝日選書)藤木三部作。雑兵たちから見る戦国の乱世。

●ウクライナ・キエフから
『誕生前の死』二神淑子 (「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク)
---抜粋---
「チェルノブイリから4年後、キエフは本当に変わってしまったのです。昔と同じように花が咲き、河は流れ、自然は豊かで美しく見えたのですが、人々に会って話を聞けば聞くほど、事態の深刻さを知らされ心は重くなるばかりでした。」
「キエフはチェルノブイリから約100キロ離れていますが、今も汚染地域には指定されていないのです。人口約250万人のこの首都を汚染地域にすると、経済的破綻を招きかねません。市民は脱出したくても、自由に居住地を定める事ができないのです」
「毎日の食事が苦痛に変わった。飲み水も最小限しか利用しません。食べ物に関してもあらゆる情報を参考にしていました。とにかく目に見えない放射能汚染におびえて暮らす毎日なのです。新生児の数が減った、病気の子供が増えた、死亡する人が増えた。」
「そういったことが口コミで広がっていきます。あの陽気だったキエフの人達がまったく変わってしまったことにショックを受けました。住民の精神的苦痛は非常に大きい。皆自分の娘達のために移住を希望していました。明日の命の保障がないからです。」

 まさに今は平成の乱世。
★内部被曝を外部被曝と同じ様にとらえてはいませんか? 
内部被曝について:「体内の0.2マイクロシーベルトは100ミリシーベルトの外部被曝に相当する」という情報を、以前、文部科学省自体が作成しています。50万倍のリスクがあるのにマスコミはどこも伝えませんね。内部被曝の方が遥かに危険です。暫定基準値の500ベクレル/kgは、数年で致死量になる値。恐ろしいのは癌だけではなく、セシウムが心筋に直接作用すること。免疫力が落ち。ありとあらゆる疾病にかかり易くなり悪化し易いこと。そして原発事故が原因と推定はできても科学的に証明はできないこと。米国も自国の軍隊の被曝さえ認めていません。であるからこそ、何か症状が出たらまず被曝を疑ってみる必要があるのです。
★原発推進派は、自然界にも放射線はあると言っていますが、問題は「自然放射線と人工放射線の違い」ではなく「自然放射線核種と人工放射線核種の違い。詳しくはこちらのサイトを。さらに、広島長崎以降、2053回に及ぶ核実験が行われ、大量の放射性物質が地球上にすでにまき散らされていることも忘れてはなりません。
放射性セシウムの除去が困難な理由 大規模に安価に除染する実用的技術は、まだひとつもない。高圧洗浄機での除染は拡散して危険。
★最新の原発事故関連情報・放射能関連情報は、ツイッターで呟いています。ページ上部のTwitterアイコンをクリック! Twilogでも見られます。

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★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌や森のあんずのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。「キノコの汚染と除染」をアップしました。
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