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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

中尾山ハイキング2017 里山のリンゴ畑と史跡めぐり(妻女山里山通信)

2017-11-04 | 歴史・地理・雑学
 毎年行われている中尾山ハイキングですが、今年は趣向を変えて茶臼山登山ではなく、中腹の古刹や古墳をめぐる歴史ハイキングとなりました。今回も私はインストラクターをしました。長雨だったり台風が二度も来たりと不安定な天候が続きましたが、当日は雲一つない晴天に恵まれました。

(左)妻女山展望台から。正面がこれから向かう茶臼山と中尾山です。駐車場にキノコ狩りの車が入っていましたが、まず採れないと思います。(中)コースの概要や注意点などを聞いて、インストラクターの挨拶。私が軽い動的ストレッチを皆さんとしてから出発です。(右)まず向かったのは嘉元元年(1303)広阿大喜和尚の創立と伝わる浄土宗の亀見山光林寺。阿弥陀如来像は武田信玄が寄進したと伝えられています。

(左)天保年間の建立とされる薬医門。(中)5本爪一本角の珍しい龍の木彫。江戸後期の大隅流や諏訪立川流の完成されたものと比べると造形がやはり甘いですが、時代を考えるとやはり最高レベルのものだと思います。しかし、宮彫りは神社にあるものと思っていましたが、寺院にもあるんですね。唐彫りというそうです。(右)樹齢300年を越えるといわれる枝垂れ桜。春に是非。

 本堂の木彫。左右2m80cmあるという真ん中の大きな鳳凰像が圧倒的。両側にある獅子と貘の彫り物は、どこか諏訪立川流を思わせるのですが、再建が文政年間(1818〜1830)とあるので、諏訪立川流が全盛期を迎える前の時代のものですね。左の貘は象の場合もあるのですが、見分け方は両者とも鼻は長いのですが、象は大きな耳が垂れています。貘は毛が荒ぶっています。山布施にある布施神社の象は、山嵜儀作(やまざきぎさく)のものですが、それは立派なものです。

(左)経蔵の中の輪蔵。「龍王蔵」と書かれた倉の中にあり、今回特別に開示していただきました。高さ5m。非常に立派なものです。(中)経典類が収められています。現在は壊れていて回すことはできませんが、修復を考えておられるそうです。(右)ここからリンゴ畑の道を歩いて岡田観音へと向かいます。正面に茶臼山、左手前に修那羅山。いずれも布施氏の山城です。

(左)真っ赤なリンゴが美味しそう。1日一個のリンゴは医者いらずといいます。(中)常光寺。別名岡田観音。信濃二十一番札所です。驚いたことにこれは個人の所有なんです。元々は、中山道木曽路の入口である、本山宿の小沢山常光寺だったそうですが廃寺に。(右)観音像。明治政府の愚挙である廃仏毀釈で一時紛失した観音像を岡沢彦治郎が見つけ買い戻したそうです。廃仏毀釈の際に、長野市には400のお堂がありましたが、残ったのはわずか16。現在再建されたのはたった40。偽物の天皇を神格化するために行われた廃仏毀釈はそれほど酷い文化破壊だったわけです。その凄まじさと戦った民衆の話は下記の記事をお読みください。
岩野村の伊勢講と仏恩講(ぶっとんこう)。戌の満水と廃仏毀釈。明治政府の愚挙(妻女山里山通信)

(左)曹洞宗の雪厳山玄峰院。今回のハイライトとも言っていいでしょう。この地を治めた布施氏の菩提寺です。正安年間(1299~1302)に、布施冠者頼直によって創建され、大興山長禅寺と称したと伝わっています。(中)飲酒して入るべからず。(右}紅葉を映す池。この向こうは段差があり、善光寺地震でできたものともいわれています。茶臼山の山沿いに活断層があります。

 まるで京都の古刹の様な趣です。微風で滲む池に映る紅葉が儚げで美しい。

(左)山門。本来は三門といい三解脱門(さんげだつもん)とも呼びます(三門は空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門)。これは寺院の多くが山林にあり山号を持つからといわれています。(中)山門の形式には色々あるそうで、これは…歴史会の方に聞いたのですが失念しました。(右)魚籃(ぎょらん)観世音菩薩。この地には行基作という仏像が数多く残るのですが、その時代に行基が東国に来たという記述はありません。しかし、弟子の伴 国道(ともの くにみち)を鎮東按察使として陸奥・出羽の東国へ赴任させている〔天長5年(828年)頃か〕のです。それが伝承として残っているのかも知れません。

(左)獅子の木彫。これも諏訪立川流の匂いを感じますが、友人の宮堀研究家に聞いてみましょう。(中)鐘楼。柱が内側に傾いています。何気ないですが、建築技法としてはかなり高度なものです。これは建築の構造計算の専門家である次男に聞いてみましょう。(右)寛政6年(1794)に諸堂全てを焼失し、弘化4年の震災にも遭い、嘉永6年(1853)十八世僧仁応が再建したそうですが、これは元禄12年に布施氏の末裔が再建した旨が書かれている石碑。その前に何があったのかは不明です。もう少し調べてみたいと思います。

(左)玄峰院の紅葉。(中)次に伊勢社へ。元々は400mほど下にあったそうです。千曲川流域には伊勢社や伊勢宮が各地にありますが、皆水難避け、洪水避けの神様として祀られています。ここもそうだった様ですが、元の場所が度々水害に遭いここに移された様です。(右)そこから植物園・恐竜公園の方へ。オオムラサキの保護地。私も仲間と妻女山山系でオオムラサキの保護活動をしています。

 リンゴ畑と川中島(善光寺平)。左に根子岳と四阿山。中央手前は妻女山と斎場山。右奥は鏡台山。あちこちで剪定したえだや草木を燃やす煙が立ち上っています。気温は20度を越えたでしょうか。暑さを感じるほどの穏やかな晩秋の1日です。

(左)宴ノ城跡。といってもリンゴ畑なんですが。(中)新田横穴式古墳。古墳時代の後期のもので、リユースができるのです。この古墳は覆われていた土が取り除かれていますね。同じ形式の古墳は、土口の堂平大塚古墳で見られます。(右)交流会の会場でお昼です。美味しいきのこ汁や長野牛乳が配られました。出発時にはシナノゴールドも。

(左)篠ノ井歴史の会と私のミニ講演がありました。川辺書林の方がいらして拙書の販売もありました。ゆるゆると時は過ぎて行きます。(中)全行程は10キロぐらいあったのですが、こんな可愛いちびっこも歩き通しました。お昼の後大きなリンゴにかぶりついていました。頼もしい。うちの息子たちも保育園時代に飯縄山にも登りましたが、幼児の登山には気をつけないといけないことがあります。これは絶対に守ってください。
「キッズ・トレッキング」のアドバイス。(信州妻女山里山通信)
(右)食後は歌の時間。今回ハンドベルをたくさん配って皆で演奏するというイベントがありました。私もひとつ渡されましたが、これは面白い。動画もアップしたのでご覧ください。


(左・中)これは前日に取材した篠ノ井駅近くの鼻顔稲荷です。一説には、布施氏の居館がここにあったといわれているのです。(右)篠ノ井駅西口のロータリーにある第一次川中島合戦の布施の戦いの石碑。これは地元でも意外に知らない人が多いのです。布施氏に関しては、このブログの右上の検索に「布施氏」と入れて、ウェブではなくプルダウンして、このブログ内でを選ぶと当該記事がズラッと出てきます。

中尾山ハイキング 2017


『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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