三連休の最後は、須坂市の奥深く、根子岳、四阿山、浦倉山が形成する大カルデラの最北部にある米子大瀑布へ向かいました。天気は曇から晴れの予報でしたが、前日が雨で山は雪かなと思っていたのですが、実際その通りでした。仲間を幻のソブ池に案内したのですが、予想以上に感激してくれました。
米子鉱山の起源は古く、江戸初期ともいわれています。日本三大不動尊の一つ米子不動尊(瀧澤山家原院如来寺→米子瀧山威徳院不動寺)は、奈良時代に行基により開山された古刹といわれています。また、奇妙滝のある奇妙山は仏教用語の「帰命」が転訛して奇妙となったもので、木食信仰遺跡があることからも、深山でありながら人の出入りはかなりあったと考えられます。そう思って調べると、8世紀の「続日本紀(しょくにほんぎ)」に、当時信濃国から朝廷へ石硫黄の献上があったことが記されていると分かりました。これは米子鉱山のことと推察されます。
(左)9時15分、駐車場から出発。気温は2度。(中)まず米子鉱山跡地へ30分ほどかけて登ります。(右)社宅があった所に着きました。向こうは分教場と校庭があった場所。
(左・中)樹状地衣類のコナアカミゴケ(粉赤実苔)でしょうか。地衣類は、大部分は子のう菌に属する菌類なんですが、光合成ができないため菌糸で作られた構造の内部に藻類が共生し、藻類が光合成で作り出す合成産物によって生活しています。両者の間には高度な共生関係が成立しているのです。(右)左、権現滝と右に不動滝。拙書でも詳しく紹介しています。滝の上部は冠雪しています。
権現滝は男滝、不動滝は女滝と呼ばれ、合わせて夫婦滝と呼ばれます。不動滝の右にある黒滝は、冬になると氷結し日本でも有数のクライマーが、アイスクライミングに訪れます。この景色は、大河ドラマ『真田丸』でも使われて有名になったので、訪れる人も増えたでしょう。この日も団体が来ていました。ただ、この滝の上に登って根子岳まで行けることを知っている人は少ないと思います。拙書ではこのカルデラを一周するコースも載せています。約23キロ、10時間かかりますが、健脚であれば夏場なら日帰りで周れます。
鉱山跡地の台地からの米子大瀑布。人工的な台地と大自然のコントラストが奇妙です。ここには最盛期なんと1500人もの人が暮らしていたのです。精錬所はもちろん。学校や校庭や保育園、大浴場もありました。鉱山の人達は毎日、大瀑布の音がずっと聞こえるこんな風景の中で暮らしていたのですね。滝の轟音と精錬所の音と、子供たちの歓声や歌声。どんな日常だったのでしょう。
そのまま油絵になりそうな色合いと構図です。錦秋も最高でしたが、この冬枯れの風景も非常に趣があります。
鉱山跡地の南には幻想的な大黒沢。これからこの沢を詰めて左の山へ登ります。右へ登ると滝の上部を経て根子岳や四阿山方面へ。拙書では詳しくその道程を紹介しています。
(左)渓流を渡ります。二人ほど根子岳に向けて先行した様です。(中)一度に一人しか渡れない橋。揺らすなと書いてあります。(右)浦倉山へは登山道崩落のため通り抜け出来ませんと表示が。しかし、ソブ池分岐までは大丈夫だろうと行くことに。氷柱(つらら)。
(左)イワカガミでしょうか。大きな群生地がありました。初夏はそれは見事な花畑になるでしょう。(中)標高を上げるに連れて雪模様。(右)昔の坑道入口。登っていく途中の笹薮には、坑道入口の穴がある場所もあり、立入禁止になっています。
(左)鉱山の中心部があった台地を見下ろせる場所。遠く須坂市街地も見えます。(中)標識もないある場所から浦倉山への登山道を離れてソブ池への道へ。笹があって非常に歩きにくい道です。仲間が駄目だ帰ると言わないか心配しました(笑)。(右)あの落葉松林の向こうまで行きます。距離は短いのですが大変なんです。私も再び訪れるとは思っていませんでした。
森のなかにひっそりと佇むソブ池(野猿田池)に到着。水は強酸性で硫黄味があり飲料には適しません。そのため魚や両生類も一切見当たりません。お風呂のお湯にはなるでしょう。飲料には浦野沢の水を使用していた様です。透明度が高く美しい池です。人や動物の気配を一切感じない音もない静寂の中に沈殿する池。ただ周囲にはニホンカモシカの足跡があったので、彼らは飲用するのでしょうか。
俗名のソブ池ですが、ソブというのは、以前「みすずかる信濃」と「高師小僧(たかしこぞう)」の関係を調べていたときに知った「赤渋(アカシブ・アカソブ・アカソボ・アカシボ)」のことではないかと思ったのです。米子鉱山の産出物は、石硫黄、蝋石、ダイアスポア(藤石)などの他に褐鉄鋼も産出していました。四阿山系の川では、渓流の水が金気が強くて飲めないものがありますし、鉱毒水は現在も米子川に流れ込んで汚染を続けています。
「ソブ池」とは、褐鉄鋼により底が赤く染まった「赤渋池」のことではと思ったのです。金気水は飲料水にはなりません。さらに調べると、そもそも「赤渋」というのはアイヌ語で、水の箱(底が岩盤の池)を意味する「ワァカウォプ」が転訛したものという説がありました。確認のために須坂市に問い合わせたことがありますが、やはり「ソブ池」の水は強酸性で飲めないとのこと。飲料水はウラノ沢からひいていたということです。さらに地名を調べるとカルデラ内は池ノ平といい、「ソブ池」のある場所の小字名は野猿田(やえんだ)ということが分かりました。「ソブ池」は「野猿田池」ともいうらしいのです。「ソブ池」は俗称で、「野猿田池」が本来の池名なのでしょう。自然地名には日本人の歩んだ足跡を知る手がかりが隠されているのですね。
(左)拙書には載せていますが、標識もなく、私の様な案内人がいないとまず来ることはできないでしょう。皆感激していました。(中)戻ります。泥濘状態の場所や湿地帯もあります。(右)分岐からの入り口はこんなです。まず普通は入りませんね。入る時に「こりゃあ駄目だ」と言われましたが無理もありません。私が少し入って確かめて大丈夫だと言って連れて行きましたが、普通は撤退すると思います。
(左)晩秋と初冬が混在する風景。(中)地衣類のハナゴケの一種だろうと思います。(右)大きいのでオオバヤシャブシ(夜叉五倍子、カバノキ科ハンノキ属)の球果でしょうか。同行のK氏がこれを採取して染め物に使うと集めていました。色止めに塩と、媒染剤はミョウバンを使います。私は武蔵野美術大学の造形学部工芸工業デザイン学科テキスタイル専攻だったので、染色の知識はありますが、草木染めはなかなか奥が深いのです(そちら方面には行かずエディトリアル・アートディレクターになりましたが)。
(左)日が差してきて雪も溶け始めました。下りは滑って転倒しない様に注意が必要です。(中)途中で見つけた神社の様な遺構。小さな社があった様です。山の神を祀っていたのでしょうか。(右)手水鉢。奉納と書かれていますが、中央の文様がもうひとつはっきり分かりません。
(左)落葉松の枯れ葉が光る登山道を戻ります。(中)鉱山跡の台地にある山の神。(右)四阿に戻って昼餉。私は天然ハタケシメジの卵焼きと自家製柿酢の酢ゴボウを。A氏のウィンナーの炒め物や、N氏のアヒージョにラーメン。アヒージョは仲間内でブームなのですが、鰯、ワカサギ、甘エビ、貝柱、エリンギと盛りだくさん。自家製パンも。ナッツにチーズと、いつも多すぎるのが悩みのタネですが、今回も美味しゅうございました。
(左)気がつけば晴れて四阿山が見えました。右には根子岳も。(中・右)記念撮影。
(左)帰りは米子大瀑布へ。石硫黄の交じる岩石。鉱山跡なら硫黄の原石が拾えますが有毒なので絶対に持ち帰ってはいけません。(中)米子不動尊。拙書でも記していますが、上杉謙信の念持仏でした。(右)太刀がいくつも奉納されています。
まず不動滝へ。この季節としては異例なほど水量が多かったですね。いつもは枯れている右の黒滝も流れ落ちていました。轟音がもの凄く、風も巻き起こっています。真夏に訪れると、この滝に打たれて修行する人の姿も見られます。
(左)最後は権現滝へ。落葉しているので全貌が見られました。(中)帰路に就き、お風呂に入って、慰労会は屋代の「智屋」へ。(右)こんなレトロな看板が飾ってあります。色々なよもやま話を肴に呑み、最後は「正田食堂」でラーメンと餃子とビールで締めて帰路に就きましたとさ。長く素晴らしい1日でした。
◉錦秋の米子大瀑布へ。幻のソブ池探索も(妻女山里山通信)2015年、錦秋の米子大瀑布。
米子大瀑布の動画です。専用のビデオカメラではないので、クオリティはそれなりですが、雰囲気は感じていただけるかと。
◉米子大瀑布 2017.11.5
◉米子大瀑布 不動滝 2017.11.5
◉米子大瀑布の上にある幻のソブ池(野猿田池)2017.11.5
【信州の山】四阿山カルデラ一周 2010 Mt.Azumaya from The Yonako falls in Nagano
:米子大瀑布から滝上に登り根子岳へ。四阿山に登り、長い尾根を浦倉山へ。一部不明瞭な道を下り戻る23キロのロングコース。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
米子鉱山の起源は古く、江戸初期ともいわれています。日本三大不動尊の一つ米子不動尊(瀧澤山家原院如来寺→米子瀧山威徳院不動寺)は、奈良時代に行基により開山された古刹といわれています。また、奇妙滝のある奇妙山は仏教用語の「帰命」が転訛して奇妙となったもので、木食信仰遺跡があることからも、深山でありながら人の出入りはかなりあったと考えられます。そう思って調べると、8世紀の「続日本紀(しょくにほんぎ)」に、当時信濃国から朝廷へ石硫黄の献上があったことが記されていると分かりました。これは米子鉱山のことと推察されます。
(左)9時15分、駐車場から出発。気温は2度。(中)まず米子鉱山跡地へ30分ほどかけて登ります。(右)社宅があった所に着きました。向こうは分教場と校庭があった場所。
(左・中)樹状地衣類のコナアカミゴケ(粉赤実苔)でしょうか。地衣類は、大部分は子のう菌に属する菌類なんですが、光合成ができないため菌糸で作られた構造の内部に藻類が共生し、藻類が光合成で作り出す合成産物によって生活しています。両者の間には高度な共生関係が成立しているのです。(右)左、権現滝と右に不動滝。拙書でも詳しく紹介しています。滝の上部は冠雪しています。
権現滝は男滝、不動滝は女滝と呼ばれ、合わせて夫婦滝と呼ばれます。不動滝の右にある黒滝は、冬になると氷結し日本でも有数のクライマーが、アイスクライミングに訪れます。この景色は、大河ドラマ『真田丸』でも使われて有名になったので、訪れる人も増えたでしょう。この日も団体が来ていました。ただ、この滝の上に登って根子岳まで行けることを知っている人は少ないと思います。拙書ではこのカルデラを一周するコースも載せています。約23キロ、10時間かかりますが、健脚であれば夏場なら日帰りで周れます。
鉱山跡地の台地からの米子大瀑布。人工的な台地と大自然のコントラストが奇妙です。ここには最盛期なんと1500人もの人が暮らしていたのです。精錬所はもちろん。学校や校庭や保育園、大浴場もありました。鉱山の人達は毎日、大瀑布の音がずっと聞こえるこんな風景の中で暮らしていたのですね。滝の轟音と精錬所の音と、子供たちの歓声や歌声。どんな日常だったのでしょう。
そのまま油絵になりそうな色合いと構図です。錦秋も最高でしたが、この冬枯れの風景も非常に趣があります。
鉱山跡地の南には幻想的な大黒沢。これからこの沢を詰めて左の山へ登ります。右へ登ると滝の上部を経て根子岳や四阿山方面へ。拙書では詳しくその道程を紹介しています。
(左)渓流を渡ります。二人ほど根子岳に向けて先行した様です。(中)一度に一人しか渡れない橋。揺らすなと書いてあります。(右)浦倉山へは登山道崩落のため通り抜け出来ませんと表示が。しかし、ソブ池分岐までは大丈夫だろうと行くことに。氷柱(つらら)。
(左)イワカガミでしょうか。大きな群生地がありました。初夏はそれは見事な花畑になるでしょう。(中)標高を上げるに連れて雪模様。(右)昔の坑道入口。登っていく途中の笹薮には、坑道入口の穴がある場所もあり、立入禁止になっています。
(左)鉱山の中心部があった台地を見下ろせる場所。遠く須坂市街地も見えます。(中)標識もないある場所から浦倉山への登山道を離れてソブ池への道へ。笹があって非常に歩きにくい道です。仲間が駄目だ帰ると言わないか心配しました(笑)。(右)あの落葉松林の向こうまで行きます。距離は短いのですが大変なんです。私も再び訪れるとは思っていませんでした。
森のなかにひっそりと佇むソブ池(野猿田池)に到着。水は強酸性で硫黄味があり飲料には適しません。そのため魚や両生類も一切見当たりません。お風呂のお湯にはなるでしょう。飲料には浦野沢の水を使用していた様です。透明度が高く美しい池です。人や動物の気配を一切感じない音もない静寂の中に沈殿する池。ただ周囲にはニホンカモシカの足跡があったので、彼らは飲用するのでしょうか。
俗名のソブ池ですが、ソブというのは、以前「みすずかる信濃」と「高師小僧(たかしこぞう)」の関係を調べていたときに知った「赤渋(アカシブ・アカソブ・アカソボ・アカシボ)」のことではないかと思ったのです。米子鉱山の産出物は、石硫黄、蝋石、ダイアスポア(藤石)などの他に褐鉄鋼も産出していました。四阿山系の川では、渓流の水が金気が強くて飲めないものがありますし、鉱毒水は現在も米子川に流れ込んで汚染を続けています。
「ソブ池」とは、褐鉄鋼により底が赤く染まった「赤渋池」のことではと思ったのです。金気水は飲料水にはなりません。さらに調べると、そもそも「赤渋」というのはアイヌ語で、水の箱(底が岩盤の池)を意味する「ワァカウォプ」が転訛したものという説がありました。確認のために須坂市に問い合わせたことがありますが、やはり「ソブ池」の水は強酸性で飲めないとのこと。飲料水はウラノ沢からひいていたということです。さらに地名を調べるとカルデラ内は池ノ平といい、「ソブ池」のある場所の小字名は野猿田(やえんだ)ということが分かりました。「ソブ池」は「野猿田池」ともいうらしいのです。「ソブ池」は俗称で、「野猿田池」が本来の池名なのでしょう。自然地名には日本人の歩んだ足跡を知る手がかりが隠されているのですね。
(左)拙書には載せていますが、標識もなく、私の様な案内人がいないとまず来ることはできないでしょう。皆感激していました。(中)戻ります。泥濘状態の場所や湿地帯もあります。(右)分岐からの入り口はこんなです。まず普通は入りませんね。入る時に「こりゃあ駄目だ」と言われましたが無理もありません。私が少し入って確かめて大丈夫だと言って連れて行きましたが、普通は撤退すると思います。
(左)晩秋と初冬が混在する風景。(中)地衣類のハナゴケの一種だろうと思います。(右)大きいのでオオバヤシャブシ(夜叉五倍子、カバノキ科ハンノキ属)の球果でしょうか。同行のK氏がこれを採取して染め物に使うと集めていました。色止めに塩と、媒染剤はミョウバンを使います。私は武蔵野美術大学の造形学部工芸工業デザイン学科テキスタイル専攻だったので、染色の知識はありますが、草木染めはなかなか奥が深いのです(そちら方面には行かずエディトリアル・アートディレクターになりましたが)。
(左)日が差してきて雪も溶け始めました。下りは滑って転倒しない様に注意が必要です。(中)途中で見つけた神社の様な遺構。小さな社があった様です。山の神を祀っていたのでしょうか。(右)手水鉢。奉納と書かれていますが、中央の文様がもうひとつはっきり分かりません。
(左)落葉松の枯れ葉が光る登山道を戻ります。(中)鉱山跡の台地にある山の神。(右)四阿に戻って昼餉。私は天然ハタケシメジの卵焼きと自家製柿酢の酢ゴボウを。A氏のウィンナーの炒め物や、N氏のアヒージョにラーメン。アヒージョは仲間内でブームなのですが、鰯、ワカサギ、甘エビ、貝柱、エリンギと盛りだくさん。自家製パンも。ナッツにチーズと、いつも多すぎるのが悩みのタネですが、今回も美味しゅうございました。
(左)気がつけば晴れて四阿山が見えました。右には根子岳も。(中・右)記念撮影。
(左)帰りは米子大瀑布へ。石硫黄の交じる岩石。鉱山跡なら硫黄の原石が拾えますが有毒なので絶対に持ち帰ってはいけません。(中)米子不動尊。拙書でも記していますが、上杉謙信の念持仏でした。(右)太刀がいくつも奉納されています。
まず不動滝へ。この季節としては異例なほど水量が多かったですね。いつもは枯れている右の黒滝も流れ落ちていました。轟音がもの凄く、風も巻き起こっています。真夏に訪れると、この滝に打たれて修行する人の姿も見られます。
(左)最後は権現滝へ。落葉しているので全貌が見られました。(中)帰路に就き、お風呂に入って、慰労会は屋代の「智屋」へ。(右)こんなレトロな看板が飾ってあります。色々なよもやま話を肴に呑み、最後は「正田食堂」でラーメンと餃子とビールで締めて帰路に就きましたとさ。長く素晴らしい1日でした。
◉錦秋の米子大瀑布へ。幻のソブ池探索も(妻女山里山通信)2015年、錦秋の米子大瀑布。
米子大瀑布の動画です。専用のビデオカメラではないので、クオリティはそれなりですが、雰囲気は感じていただけるかと。
◉米子大瀑布 2017.11.5
◉米子大瀑布 不動滝 2017.11.5
◉米子大瀑布の上にある幻のソブ池(野猿田池)2017.11.5
【信州の山】四阿山カルデラ一周 2010 Mt.Azumaya from The Yonako falls in Nagano
:米子大瀑布から滝上に登り根子岳へ。四阿山に登り、長い尾根を浦倉山へ。一部不明瞭な道を下り戻る23キロのロングコース。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
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