長野県立歴史館で11月23日(火)まで開催されている、令和三年度秋季企画展「全盛期の縄文土器」ー圧倒する褶曲文ーを息子と見に行きました。キャッチコピーが「人びとはなぜ こんなにも土器を華やかに そして大きくしていったのだろう」というもので、縄文時代の中の約5000年前からの100年間に激しく土器装飾が複雑化した経緯が分かるようになっています。案内パンフレットにあるように、土器は生活の道具であると同時に、アイデンティティーや集団間の関係を映し出す鏡でもあります。非常に感動的で興味深い展示でした。空前の縄文ブームで来場者も大勢でした。写真撮影も可能です。
※アンダーラインのある単語や文をクリックするとリンクに飛びます。右クリックでリンクを新規タブで開く。
「動物装飾付釣手土器」富士見町札沢遺跡(縄文時代中期)。取っ手の上に3匹、縁に一匹、蛇のような動物があしらわれています。底が焦げているのでランプらしいです。藤森栄一氏(考古学者、諏訪考古学研究所所長、元長野県考古学会会長)は『縄文の八ヶ岳』という本の中で、縄文中期一番シンボル的なものはヘビ(マムシ)ではないかと記しています。マムシ(蝮・真虫)は、蛇神として大地母神などの土地の霊性を示す女神であったのではと。
「展示資料の時期と地域」時期の縦軸と地域の横軸をつぶさに観ていくと、変化と相似律が非常に面白い。ミランコビッチ・サイクルという天文学・気象学があります。地球の公転軌道の離心率の周期的変化、自転軸の傾きの周期的変化、自転軸の歳差運動という3つの要因により、日射量が変動する周期のこと。それによると、氷期と間氷期といった気候変動には2.3万年、4.1万年、10万年の周期変動が認められており、地球の公転軌道の揺らぎに伴った日射量の変化が原因とされています。現在は、温暖化の時代にあり(温暖化はCO2が原因ではないという学者もいます)、これからゆっくりと寒冷化に向かうとされています。
縄文時代は、7000年前から温暖化が始まり、縄文海進が始まって関東平野に住んでいた縄文人は、現在の甲州街道を遡って諏訪湖周辺に移り住んだといわれています。諏訪の近くの和田峠には、本州最大の黒曜石の産地があったため、各地からそれを求めて人が集まったはずです。土器の流通もあったと思われます。5000年前は1000年周期の温暖化のピークだったそうで、現在より2度ぐらい高かったようです。そのため、食料が豊富で文明も栄えたのでしょうか。縄文土器の複雑化や進化にその理由があるのかも知れません。
中期の繁栄では、青森の三内丸山遺跡が有名です。狩猟と採集が主といわれていましたが、栗やヒョウタン、ゴボウ、豆などを栽培していたことも分かっています。漆塗りの器も見つかっています。長さ32m、幅10mの大きな住居跡も見つかっています。これはアマゾンのヤノマミ族の共同住宅を思わせます。アマゾンの先住民は縄文人の子孫達なのでしょうか。その三内丸山遺跡は4200年前に消滅します。海底の堆積物から、突然の地球規模の寒冷期で消滅したと判明しました。同時期の長江周辺やメソポタミアでも文明が衰退しています。縄文晩期の人口減少も、小氷河期の襲来がいわれています。
■縄文時代の人口動向「人口から読む日本の歴史」鬼頭宏著
草創期 約12,000~9,500年前(2,500年)
早 期 約9,500~6,000年前(3,500年) 人口2万人
前 期 約6,000~5,000年前(1,000年) 人口11万人
中 期 約5,000~4,000年前(1,000年) 人口26万人
後 期 約4,000~3,000年前(1,000年) 人口16万人
晩 期 約3,000~2,300年前(700年) 人口8万人(弥生時代になると、春秋戦国時代で敗れた呉や越の人びとが渡来し、人口は59万人にまで増えました。古墳時代にかけて大規模な移入が続きます)
こんな風に、形象学的な分類方で展示されています。パネルでの説明も多くて非常に分かりやすい。櫛形文土器。
「動物文突起付人体文深鉢」岡谷市目切遺跡(縄文時代中期)。中央に蛇が立ち上がっています。頭の下に太い背骨があり、その下の眼文は骨盤?下に二本の脚みたいなものが見えます。蛇の仮面をかぶった人でしょうか。両脇には両手両足を広げた崇めるような人体文が。縄文人の豊かな呪術性を感じます。
「箱状突起付深鉢」原村居沢尾根遺跡(縄文時代中期)。箱状中空の突起が4つ。カエルを表しているようです。中空の造形は難しそうです。
「文様のいろいろ」人や動物などをシンプルな線で描くことを「便化(便宜的転化:文様史で使われてきた用語)」といいますが、旧石器時代の人も縄文人も現代人も、表現はそう変わらないのです。歌舞伎の背景画とか、子供の絵とか、洗練されてはいますがピクトグラムなどもそうですね。ある種の普遍性を持っているものなのでしょう。形而下における形象心理学で説明できるのでしょうか。
褶曲文。特に渦巻(スパイラル)というのは、自然界で度々見られる現象であり、植物や動物にも見られます。 多くの古代文明で、冥界や死と再生、輪廻転生の循環の象徴とみなされ、縄文土器や古墳などにもしばしば描かれました。生命の持つ力動的な回転の象徴なんでしょうね。渦巻が三次元に展開すると螺旋(ヘリックス)となり、これも自然界や建築や彫刻などの造形で見られます。台風や竜巻や螺旋階段など。宇宙も渦巻銀河といいますし、分子レベルでもあります。存在の本質なんでしょうか。
「褶曲文深鉢」塩尻市剣ノ宮(つるのみや)遺跡(縄文時代中期)長野県宝。現代人の私の感想ですが、現代人の感性にも通じるお洒落な造形ですね。繊細且つ伸びやかで緻密です。驚きました。どんな人が作ったのでしょうか。想像が膨らみます。下方に穴がありますが、欠損ではなく空いていたものだとか。なぜでしょう。
「水煙文土器の隆盛」。前述の藤森栄一氏が「雲龍というか、水煙といおうか、くねりながらせり上がっていく曲線の持つ無限の量感」と讃えた水煙文土器。
【直線のない時代】現代は、建築、道路、道具などほぼ全てに直線が用いられています。しかし、縄文時代に直線はありません。バルセロナのサグラダ・ファミリアの設計で有名なアントニ・ガウディに、「自然界には直線は存在しない」という名言があります。縄文時代がまさにそれです(道や溝などに一部直線はあります)。直線は、技術が進歩し効率と合理性を求めて生まれたものです。そして新たな美意識が生まれました。現在JAPANDIという北欧と日本を融合した建築やインテリアが隆盛しています。しかし、失われたものもあるのです。縄文土器から感じる情動やエネルギーは、かなり失われたと思います。現代人が縄文土器に惹かれるのは、その内なる根源的なものを呼び覚まさせられるからではないでしょうか。
「水煙文土器(ドーム型)」甲州市安堂寺遺跡。ダイナミックな装飾のかなり大型の土器。なぜか取っ手を破壊する儀礼があったようで、100年後に千曲市屋代でも発掘されています。こんな土器を作れるなんて、縄文人の生活はかなりゆとりがあったのではないでしょうか。ギリギリカツカツだったら、絶対にこんな面倒くさい土器なんか作れませんから。ただ、縄文人の平均寿命は30歳ぐらいといわれています。成人男性の平均身長は162センチぐらい。乳幼児の死亡率も高かったと思います。縄文土器が破壊されて発見されることが多いのは、自然と一体化して生きる縄文人の死生観の現れでしょうか。生と死、誕生(再生)と破壊がセットになっていたのではないでしょうか。本能的に輪廻(食物連鎖)、自然との共生関係を知っていたのではと思います。
「橋状把手付深鉢」新潟県十日町市笹山遺跡(縄文時代中期)国宝。解説に、非常に洗練されているとあります。縁の四方にある造形はどうやって作るのだろうと思います。十日町市博物館では、レプリカを触れるコーナーが有って、触ると穴に人差し指がピッタリ入ったりして、ああこうやって作ったのかなと想像できます。
「王冠型土器」新潟県十日町市笹山遺跡(縄文時代中期)国宝。4つ飛び出た平らな波頭部の下につけられた眼鏡状突起から伸びた隆帯が、口唇部に沿って弧を描く構成は、水煙文土器(円環型)に共通すると解説にあります。胴部のS字文も美しい。縄文土器は、情熱だけでなくかなり緻密に計算された知的なものだとも思われます。三内丸山遺跡の木柱列は巨大な日時計だったとか、秋田大湯の環状列石もそういう説があります。
「火焔型土器・王冠型土器からの文様伝達」。鋸歯文を伴って鶏頭冠が生まれたわけです。火焔型とか鶏頭とかいわれていますが、実際これを作った縄文人達は、何を表現していたのでしょう。この時代にニワトリはいなかったそうで、魚とか動物とかいわれています。私には猪に見えるのですが。
「火焔型土器」新潟県十日町市笹山遺跡(縄文時代中期)国宝。十日町市博物館でも見た国宝です。岡本太郎が絶賛したのはこれではないでしょうか。火焔部は何に見えるでしょうか。口唇部の鋸歯文は、レプリカを指で触ると人差し指で形作ったのかなと思います。縄文といいますが、縄で模様をつけたのではなく、紐状のものを貼り付けています。
「南限の火焔型土器」。火焔型土器は、信濃川を遡って千曲川沿いへ。川と共にあった縄文人の暮らし。
「全盛期の終わり 唐草文系土器の誕生」。流行が伝播したのか、人の移住があったのか。我々には馴染み深い唐草文様が、すでに縄文時代にあったというのは感慨深いですね。
「大型突起付深鉢」新潟県十日町市笹山遺跡(縄文時代中期)。口縁部の透かし彫り状の隆帯装飾が特徴。突起側面が飛び出す形態は、その後屋代遺跡群などで盛行する双翼状突起の原型となったそうです。
その隆帯装飾のアップですが、中が空洞で非常に複雑な形です。非常に技術レベルの高い造形です。これを作りなさいと言われてもできませんね。穴は指と細く丸い棒で作られたものと思われます。縄文土器は、粘土だけでなく鉱物や繊維を混ぜて強度を高めています。また、外や内部に焦げ跡があることから、実際に煮炊きにも使われたようです。私はこんな鍋使うの嫌ですね(笑)。それだけ余裕も時間もないということでしょう。
「今回の展示の時期」隆盛を極めた140年間を扱っています。実は我々が縄文時代と認識しているのは、縄文時代中期の100〜300年ぐらいの間なのです。
縄文時代は、今から約1万5000年前。日本列島の温暖化が始まった旧石器時代終盤から弥生文化の直前まで、1万3000年ほど続きました。縄文土器は、800〜1000度の低温で野焼きし、粘土が溶けることで硬くなるという化学変化を利用した土器です。人類最古の土器といわれる「微隆起線文土器出土」は、須坂市博物館にあり、このブログでも紹介しています。
昼は東福寺にある自家製粉のそば処「安心(あんじん)」を予約しておきました。この日から新蕎麦ということで、人気の店なので予約を入れたのです。安心そば(十割そば)の中盛りをいただきました。本返しのつゆと、ごまくるみタレが付きます。最初は蕎麦だけで、次につゆで、そしてごまくるみタレ。十割そばにはコクのあるこのタレがとても合います。香り高く味のある新蕎麦に充分満足しました。午後は、リニューアルした松代文武学校へ。火縄銃と大砲をぶっ放しました。
最近の博物館は、撮影可能であることが多くなっています。長野県立歴史館の企画展は、国宝の土偶展とかキャッチーで展示も洗練されているのでおすすめです。十日町市博物館、糸魚川市のフォッサマグナミュージアム、信州大鹿村の中央構造線博物館、富山県魚津市の埋没林博物館などは、非常に秀逸です。当ブログでも紹介しているのでブログ内検索でぜひ御覧ください。行きたくなるでしょう。左のカテゴリーから、展覧会・イベント・コンサートをクリックすると該当する記事が表示されます。
●縄文時代(ウィキペディア):非常に高度な技術や豊かな精神性を持った成熟した社会。
●縄文時代の画像検索結果
●なぜ1万年も平和が続いた? 今注目される「縄文時代」のナゾ:小学生でも分かる縄文時代の解説
●縄文 その魅力の根源:2018年夏、東京国立博物館で開かれた展覧会には、35万人が訪れました。俳優、京都橘大客員教授・苅谷俊介氏・考古学者・大島直行氏・「土偶女子」・譽田亜紀子さんの縄文への想い
●日本考古学史上最大の謎「土偶の正体」がついに解明ー「土偶は女性モチーフ」の認識が覆った!驚きの新説ー:斬新だが非常に興味深い考察。読み物としては面白い
●「誰のタネかなんてどうでもいい」縄文時代は性的パートナーも平等に分配してた?縄文人vs弥生人、文化を徹底比較!:無茶苦茶面白い考察です。でもあながち間違いではない。弥生の戦争は農耕文化故とありますが、春秋戦国時代に敵同士の呉と越が来訪したからと私は考察します。魏志倭人伝の倭国大乱がそれです。また一説には、高句麗の侵入が原因とするものもあります。その高句麗は滅亡するのですが、関東に多くが移住します。東京の狛江市などはその名残り。狛は高句麗の別名です。また、長野市篠ノ井の地名は、高句麗の豪族が朝廷から篠井性を賜り、それが篠ノ井の地名の元となったといわれています。高句麗はツングース系の騎馬民族で、日本に馬産を伝えました。魏志倭人伝には日本には馬がいないと記されていますが、5世紀になると古墳から馬具がたくさん出土してきます。春秋戦国時代に滅亡した呉、その後滅亡した越、古代ユダヤの一族といわれる徐福一族の来日と定着。『中国正史 倭人・倭国伝全釈』鳥越憲三郎著をオススメします。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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「動物装飾付釣手土器」富士見町札沢遺跡(縄文時代中期)。取っ手の上に3匹、縁に一匹、蛇のような動物があしらわれています。底が焦げているのでランプらしいです。藤森栄一氏(考古学者、諏訪考古学研究所所長、元長野県考古学会会長)は『縄文の八ヶ岳』という本の中で、縄文中期一番シンボル的なものはヘビ(マムシ)ではないかと記しています。マムシ(蝮・真虫)は、蛇神として大地母神などの土地の霊性を示す女神であったのではと。
「展示資料の時期と地域」時期の縦軸と地域の横軸をつぶさに観ていくと、変化と相似律が非常に面白い。ミランコビッチ・サイクルという天文学・気象学があります。地球の公転軌道の離心率の周期的変化、自転軸の傾きの周期的変化、自転軸の歳差運動という3つの要因により、日射量が変動する周期のこと。それによると、氷期と間氷期といった気候変動には2.3万年、4.1万年、10万年の周期変動が認められており、地球の公転軌道の揺らぎに伴った日射量の変化が原因とされています。現在は、温暖化の時代にあり(温暖化はCO2が原因ではないという学者もいます)、これからゆっくりと寒冷化に向かうとされています。
縄文時代は、7000年前から温暖化が始まり、縄文海進が始まって関東平野に住んでいた縄文人は、現在の甲州街道を遡って諏訪湖周辺に移り住んだといわれています。諏訪の近くの和田峠には、本州最大の黒曜石の産地があったため、各地からそれを求めて人が集まったはずです。土器の流通もあったと思われます。5000年前は1000年周期の温暖化のピークだったそうで、現在より2度ぐらい高かったようです。そのため、食料が豊富で文明も栄えたのでしょうか。縄文土器の複雑化や進化にその理由があるのかも知れません。
中期の繁栄では、青森の三内丸山遺跡が有名です。狩猟と採集が主といわれていましたが、栗やヒョウタン、ゴボウ、豆などを栽培していたことも分かっています。漆塗りの器も見つかっています。長さ32m、幅10mの大きな住居跡も見つかっています。これはアマゾンのヤノマミ族の共同住宅を思わせます。アマゾンの先住民は縄文人の子孫達なのでしょうか。その三内丸山遺跡は4200年前に消滅します。海底の堆積物から、突然の地球規模の寒冷期で消滅したと判明しました。同時期の長江周辺やメソポタミアでも文明が衰退しています。縄文晩期の人口減少も、小氷河期の襲来がいわれています。
■縄文時代の人口動向「人口から読む日本の歴史」鬼頭宏著
草創期 約12,000~9,500年前(2,500年)
早 期 約9,500~6,000年前(3,500年) 人口2万人
前 期 約6,000~5,000年前(1,000年) 人口11万人
中 期 約5,000~4,000年前(1,000年) 人口26万人
後 期 約4,000~3,000年前(1,000年) 人口16万人
晩 期 約3,000~2,300年前(700年) 人口8万人(弥生時代になると、春秋戦国時代で敗れた呉や越の人びとが渡来し、人口は59万人にまで増えました。古墳時代にかけて大規模な移入が続きます)
こんな風に、形象学的な分類方で展示されています。パネルでの説明も多くて非常に分かりやすい。櫛形文土器。
「動物文突起付人体文深鉢」岡谷市目切遺跡(縄文時代中期)。中央に蛇が立ち上がっています。頭の下に太い背骨があり、その下の眼文は骨盤?下に二本の脚みたいなものが見えます。蛇の仮面をかぶった人でしょうか。両脇には両手両足を広げた崇めるような人体文が。縄文人の豊かな呪術性を感じます。
「箱状突起付深鉢」原村居沢尾根遺跡(縄文時代中期)。箱状中空の突起が4つ。カエルを表しているようです。中空の造形は難しそうです。
「文様のいろいろ」人や動物などをシンプルな線で描くことを「便化(便宜的転化:文様史で使われてきた用語)」といいますが、旧石器時代の人も縄文人も現代人も、表現はそう変わらないのです。歌舞伎の背景画とか、子供の絵とか、洗練されてはいますがピクトグラムなどもそうですね。ある種の普遍性を持っているものなのでしょう。形而下における形象心理学で説明できるのでしょうか。
褶曲文。特に渦巻(スパイラル)というのは、自然界で度々見られる現象であり、植物や動物にも見られます。 多くの古代文明で、冥界や死と再生、輪廻転生の循環の象徴とみなされ、縄文土器や古墳などにもしばしば描かれました。生命の持つ力動的な回転の象徴なんでしょうね。渦巻が三次元に展開すると螺旋(ヘリックス)となり、これも自然界や建築や彫刻などの造形で見られます。台風や竜巻や螺旋階段など。宇宙も渦巻銀河といいますし、分子レベルでもあります。存在の本質なんでしょうか。
「褶曲文深鉢」塩尻市剣ノ宮(つるのみや)遺跡(縄文時代中期)長野県宝。現代人の私の感想ですが、現代人の感性にも通じるお洒落な造形ですね。繊細且つ伸びやかで緻密です。驚きました。どんな人が作ったのでしょうか。想像が膨らみます。下方に穴がありますが、欠損ではなく空いていたものだとか。なぜでしょう。
「水煙文土器の隆盛」。前述の藤森栄一氏が「雲龍というか、水煙といおうか、くねりながらせり上がっていく曲線の持つ無限の量感」と讃えた水煙文土器。
【直線のない時代】現代は、建築、道路、道具などほぼ全てに直線が用いられています。しかし、縄文時代に直線はありません。バルセロナのサグラダ・ファミリアの設計で有名なアントニ・ガウディに、「自然界には直線は存在しない」という名言があります。縄文時代がまさにそれです(道や溝などに一部直線はあります)。直線は、技術が進歩し効率と合理性を求めて生まれたものです。そして新たな美意識が生まれました。現在JAPANDIという北欧と日本を融合した建築やインテリアが隆盛しています。しかし、失われたものもあるのです。縄文土器から感じる情動やエネルギーは、かなり失われたと思います。現代人が縄文土器に惹かれるのは、その内なる根源的なものを呼び覚まさせられるからではないでしょうか。
「水煙文土器(ドーム型)」甲州市安堂寺遺跡。ダイナミックな装飾のかなり大型の土器。なぜか取っ手を破壊する儀礼があったようで、100年後に千曲市屋代でも発掘されています。こんな土器を作れるなんて、縄文人の生活はかなりゆとりがあったのではないでしょうか。ギリギリカツカツだったら、絶対にこんな面倒くさい土器なんか作れませんから。ただ、縄文人の平均寿命は30歳ぐらいといわれています。成人男性の平均身長は162センチぐらい。乳幼児の死亡率も高かったと思います。縄文土器が破壊されて発見されることが多いのは、自然と一体化して生きる縄文人の死生観の現れでしょうか。生と死、誕生(再生)と破壊がセットになっていたのではないでしょうか。本能的に輪廻(食物連鎖)、自然との共生関係を知っていたのではと思います。
「橋状把手付深鉢」新潟県十日町市笹山遺跡(縄文時代中期)国宝。解説に、非常に洗練されているとあります。縁の四方にある造形はどうやって作るのだろうと思います。十日町市博物館では、レプリカを触れるコーナーが有って、触ると穴に人差し指がピッタリ入ったりして、ああこうやって作ったのかなと想像できます。
「王冠型土器」新潟県十日町市笹山遺跡(縄文時代中期)国宝。4つ飛び出た平らな波頭部の下につけられた眼鏡状突起から伸びた隆帯が、口唇部に沿って弧を描く構成は、水煙文土器(円環型)に共通すると解説にあります。胴部のS字文も美しい。縄文土器は、情熱だけでなくかなり緻密に計算された知的なものだとも思われます。三内丸山遺跡の木柱列は巨大な日時計だったとか、秋田大湯の環状列石もそういう説があります。
「火焔型土器・王冠型土器からの文様伝達」。鋸歯文を伴って鶏頭冠が生まれたわけです。火焔型とか鶏頭とかいわれていますが、実際これを作った縄文人達は、何を表現していたのでしょう。この時代にニワトリはいなかったそうで、魚とか動物とかいわれています。私には猪に見えるのですが。
「火焔型土器」新潟県十日町市笹山遺跡(縄文時代中期)国宝。十日町市博物館でも見た国宝です。岡本太郎が絶賛したのはこれではないでしょうか。火焔部は何に見えるでしょうか。口唇部の鋸歯文は、レプリカを指で触ると人差し指で形作ったのかなと思います。縄文といいますが、縄で模様をつけたのではなく、紐状のものを貼り付けています。
「南限の火焔型土器」。火焔型土器は、信濃川を遡って千曲川沿いへ。川と共にあった縄文人の暮らし。
「全盛期の終わり 唐草文系土器の誕生」。流行が伝播したのか、人の移住があったのか。我々には馴染み深い唐草文様が、すでに縄文時代にあったというのは感慨深いですね。
「大型突起付深鉢」新潟県十日町市笹山遺跡(縄文時代中期)。口縁部の透かし彫り状の隆帯装飾が特徴。突起側面が飛び出す形態は、その後屋代遺跡群などで盛行する双翼状突起の原型となったそうです。
その隆帯装飾のアップですが、中が空洞で非常に複雑な形です。非常に技術レベルの高い造形です。これを作りなさいと言われてもできませんね。穴は指と細く丸い棒で作られたものと思われます。縄文土器は、粘土だけでなく鉱物や繊維を混ぜて強度を高めています。また、外や内部に焦げ跡があることから、実際に煮炊きにも使われたようです。私はこんな鍋使うの嫌ですね(笑)。それだけ余裕も時間もないということでしょう。
「今回の展示の時期」隆盛を極めた140年間を扱っています。実は我々が縄文時代と認識しているのは、縄文時代中期の100〜300年ぐらいの間なのです。
縄文時代は、今から約1万5000年前。日本列島の温暖化が始まった旧石器時代終盤から弥生文化の直前まで、1万3000年ほど続きました。縄文土器は、800〜1000度の低温で野焼きし、粘土が溶けることで硬くなるという化学変化を利用した土器です。人類最古の土器といわれる「微隆起線文土器出土」は、須坂市博物館にあり、このブログでも紹介しています。
昼は東福寺にある自家製粉のそば処「安心(あんじん)」を予約しておきました。この日から新蕎麦ということで、人気の店なので予約を入れたのです。安心そば(十割そば)の中盛りをいただきました。本返しのつゆと、ごまくるみタレが付きます。最初は蕎麦だけで、次につゆで、そしてごまくるみタレ。十割そばにはコクのあるこのタレがとても合います。香り高く味のある新蕎麦に充分満足しました。午後は、リニューアルした松代文武学校へ。火縄銃と大砲をぶっ放しました。
最近の博物館は、撮影可能であることが多くなっています。長野県立歴史館の企画展は、国宝の土偶展とかキャッチーで展示も洗練されているのでおすすめです。十日町市博物館、糸魚川市のフォッサマグナミュージアム、信州大鹿村の中央構造線博物館、富山県魚津市の埋没林博物館などは、非常に秀逸です。当ブログでも紹介しているのでブログ内検索でぜひ御覧ください。行きたくなるでしょう。左のカテゴリーから、展覧会・イベント・コンサートをクリックすると該当する記事が表示されます。
●縄文時代(ウィキペディア):非常に高度な技術や豊かな精神性を持った成熟した社会。
●縄文時代の画像検索結果
●なぜ1万年も平和が続いた? 今注目される「縄文時代」のナゾ:小学生でも分かる縄文時代の解説
●縄文 その魅力の根源:2018年夏、東京国立博物館で開かれた展覧会には、35万人が訪れました。俳優、京都橘大客員教授・苅谷俊介氏・考古学者・大島直行氏・「土偶女子」・譽田亜紀子さんの縄文への想い
●日本考古学史上最大の謎「土偶の正体」がついに解明ー「土偶は女性モチーフ」の認識が覆った!驚きの新説ー:斬新だが非常に興味深い考察。読み物としては面白い
●「誰のタネかなんてどうでもいい」縄文時代は性的パートナーも平等に分配してた?縄文人vs弥生人、文化を徹底比較!:無茶苦茶面白い考察です。でもあながち間違いではない。弥生の戦争は農耕文化故とありますが、春秋戦国時代に敵同士の呉と越が来訪したからと私は考察します。魏志倭人伝の倭国大乱がそれです。また一説には、高句麗の侵入が原因とするものもあります。その高句麗は滅亡するのですが、関東に多くが移住します。東京の狛江市などはその名残り。狛は高句麗の別名です。また、長野市篠ノ井の地名は、高句麗の豪族が朝廷から篠井性を賜り、それが篠ノ井の地名の元となったといわれています。高句麗はツングース系の騎馬民族で、日本に馬産を伝えました。魏志倭人伝には日本には馬がいないと記されていますが、5世紀になると古墳から馬具がたくさん出土してきます。春秋戦国時代に滅亡した呉、その後滅亡した越、古代ユダヤの一族といわれる徐福一族の来日と定着。『中国正史 倭人・倭国伝全釈』鳥越憲三郎著をオススメします。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
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