妻女山里山デザイン・プロジェクトが保護活動をしている妻女山奥の陣場平。翌日は、ノイバラが貝母の繁殖地に侵入してきたので、その除去に向かいました。道具を運ぶため車で登る途中で、千葉から来た男性と邂逅。どちらまでと聞くと陣場平と。では先に行って待っていますと。陣場平へご案内し、歴史や貝母の説明を。その後、堂平大塚古墳へ。地元で謙信の陣用水と伝わる蟹沢(がんざわ)へもご案内。郷土史研究家で地元ならではのガイドです。拙書の愛読者とも度々出会います。それが楽しいのです。本とかブログとかでは書けない裏情報とか冗談も言えますし。
陣場平の貝母(編笠百合)。昨日に続いて最高気温が10度ぐらいと低いため、開花は進んでいません。私が発見した2009年の初夏には、四畳半ぐらいだった群生地が、私が2年かけて行った除伐や妻女山里山デザイン・プロジェクトの保護活動でこれだけ増えました。感慨深いものがあります。左に見える空き地には、ヨシとノイバラが侵入して来ましたが、昨年妻女山SDPの仲間と除去作業をし、貝母の種や球根を蒔きました。ここにも発芽しています。いずれ現在の二倍以上の群生地になると思われます。楽しみです。しかし、際限なく増えるわけではなく、昔畑だったところだけです。周囲とは土質が異なるのです。
日当たりのいいところは、ほぼ満開ですが、日陰はまだ蕾ですし、芽生えたばかりのものもあります。完全に満開になるのは20日頃でしょうか。花冷えの北風の微風に揺れています。じっと観ていると心が安らぎます。
前回の記事で撮影した花。ややハイキーだったので撮影し直してみました。和名は編笠百合ですが、花の中を覗くと意味が理解できます。4月の茶花なので、お茶を嗜む方には馴染み深い花です。薬草ですが、かなり強い毒草です。誤って食べると死亡する可能性もあるので、持ち帰りは厳禁です。
◉「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集)
これが貝母のことであるという説があります。薬用に持ち込まれたのが江戸時代なのでしょうか。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
意味は、季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)。防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。
堂平大塚古墳に咲いていたスミレ。花の後ろの天狗の鼻の様な距(きょ)まで白かったらシロバナタチツボスミレなのですが、そうではないのでオトメスミレ(乙女菫)の様です。しかも赤い斑入りで繊毛が見えます。アカフケオトメスミレでいいのでしょうか。スミレの同定は本当に難しい。
陣場平から1キロほど先にあるカタクリの群生地に向かう途中に咲いていたキブシ。キブシの簾(すだれ)が山を彩ると、春真っ盛りだなと思います。
カタクリは咲き始めでした。1万株ぐらいあるでしょうか。しかし、登山道からも外れているので、この群生地を知っている人はごく僅かです。千曲市のサイトでも紹介されていません。カタクリの花は温度により開閉します。花びらの温度が17-20度で開花し、25度では完全に反り返るといいます。気温はそれほどなくても、直射日光に当たると温度が上昇するようです。種にアリが食料とするエライオソームという物質がついているため、アリによって運ばれるアリ散布植物の一種で、日本には200種以上あります。
◉「もののふの 八十娘(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花」(万葉集/大伴家持)
当維持29歳の大伴家持が、赴任先の越中国府の伏木(現在の富山県高岡市伏木に5年間赴任)で、寺井の井戸(井泉の跡と歌碑がある)の周りにたくさん咲くカタクリを宮中の乙女になぞらえ、都を懐かしんで詠んだ歌だといいます。カタクリが、美しい乙女に見えてきます。
カタクリは別名を初百合ともいいます。片栗粉で名前だけ残っていますが、江戸時代の、『茅窓漫録』に「病人飲食進みがたく、至りて危篤の症になると、かたくりといふ葛粉のごとくなるものを湯にたてて飲ましむ」とあるように、薬草として用いられました。ちなみに花言葉は「初恋、嫉妬、寂しさに耐える」。
妻女山展望台から見る斎場山(旧妻女山)。山頂は古代科野国の古墳(円墳)です。地元で第四次川中島合戦の上杉謙信の本陣と伝わるのはここです。現在の妻女山(旧赤坂山)ではありません。花見客がたくさん訪れていました。時間が許す限り歴史ガイドをしました。花冷えでさすがにバーベキューをするグループはいませんでした。
展望台から見る東に戸隠連峰、右に飯縄山。飯縄山の歴史については、拙書で詳しく書いています。謙信も信玄も尊崇した山です。飯縄権現は、白狐に乗った烏天狗、謙信の兜の前立てです。
三枚の望遠カットをフォトショップで合成してみました。千曲川河川敷の桃も咲き始めました。15日の長野マラソンの頃には満開になり、土手の菜の花も咲いているかもしれません。レンギョウに続いてユキヤナギも咲いています。速すぎる春の進行に体がついていけません。杉は終わりましたが、檜の花粉と激しい気温差での自律神経失調症で絶不調です。「木の芽時」はご用心。体が壊れると精神にも影響しますからね。わが家の山のタラの芽がもう開いていました。さっそく天ぷらで堪能。これからハリギリ、コシアブラと続きます。
11日現在、梅、杏は散りました。ソメイヨシノも散り始めています。桃はもう満開のところも。カスミザクラやオオヤマザクラはこれからです。
妻女山の陣場平(上杉謙信の陣城跡)の貝母(編笠百合) YouTubeのページでは、ハイビジョン(720p)でご覧いただけます。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
陣場平の貝母(編笠百合)。昨日に続いて最高気温が10度ぐらいと低いため、開花は進んでいません。私が発見した2009年の初夏には、四畳半ぐらいだった群生地が、私が2年かけて行った除伐や妻女山里山デザイン・プロジェクトの保護活動でこれだけ増えました。感慨深いものがあります。左に見える空き地には、ヨシとノイバラが侵入して来ましたが、昨年妻女山SDPの仲間と除去作業をし、貝母の種や球根を蒔きました。ここにも発芽しています。いずれ現在の二倍以上の群生地になると思われます。楽しみです。しかし、際限なく増えるわけではなく、昔畑だったところだけです。周囲とは土質が異なるのです。
日当たりのいいところは、ほぼ満開ですが、日陰はまだ蕾ですし、芽生えたばかりのものもあります。完全に満開になるのは20日頃でしょうか。花冷えの北風の微風に揺れています。じっと観ていると心が安らぎます。
前回の記事で撮影した花。ややハイキーだったので撮影し直してみました。和名は編笠百合ですが、花の中を覗くと意味が理解できます。4月の茶花なので、お茶を嗜む方には馴染み深い花です。薬草ですが、かなり強い毒草です。誤って食べると死亡する可能性もあるので、持ち帰りは厳禁です。
◉「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集)
これが貝母のことであるという説があります。薬用に持ち込まれたのが江戸時代なのでしょうか。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。
意味は、季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか(咲くのだったら摘み取って共に行くのに)。防人というのは、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。
堂平大塚古墳に咲いていたスミレ。花の後ろの天狗の鼻の様な距(きょ)まで白かったらシロバナタチツボスミレなのですが、そうではないのでオトメスミレ(乙女菫)の様です。しかも赤い斑入りで繊毛が見えます。アカフケオトメスミレでいいのでしょうか。スミレの同定は本当に難しい。
陣場平から1キロほど先にあるカタクリの群生地に向かう途中に咲いていたキブシ。キブシの簾(すだれ)が山を彩ると、春真っ盛りだなと思います。
カタクリは咲き始めでした。1万株ぐらいあるでしょうか。しかし、登山道からも外れているので、この群生地を知っている人はごく僅かです。千曲市のサイトでも紹介されていません。カタクリの花は温度により開閉します。花びらの温度が17-20度で開花し、25度では完全に反り返るといいます。気温はそれほどなくても、直射日光に当たると温度が上昇するようです。種にアリが食料とするエライオソームという物質がついているため、アリによって運ばれるアリ散布植物の一種で、日本には200種以上あります。
◉「もののふの 八十娘(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花」(万葉集/大伴家持)
当維持29歳の大伴家持が、赴任先の越中国府の伏木(現在の富山県高岡市伏木に5年間赴任)で、寺井の井戸(井泉の跡と歌碑がある)の周りにたくさん咲くカタクリを宮中の乙女になぞらえ、都を懐かしんで詠んだ歌だといいます。カタクリが、美しい乙女に見えてきます。
カタクリは別名を初百合ともいいます。片栗粉で名前だけ残っていますが、江戸時代の、『茅窓漫録』に「病人飲食進みがたく、至りて危篤の症になると、かたくりといふ葛粉のごとくなるものを湯にたてて飲ましむ」とあるように、薬草として用いられました。ちなみに花言葉は「初恋、嫉妬、寂しさに耐える」。
妻女山展望台から見る斎場山(旧妻女山)。山頂は古代科野国の古墳(円墳)です。地元で第四次川中島合戦の上杉謙信の本陣と伝わるのはここです。現在の妻女山(旧赤坂山)ではありません。花見客がたくさん訪れていました。時間が許す限り歴史ガイドをしました。花冷えでさすがにバーベキューをするグループはいませんでした。
展望台から見る東に戸隠連峰、右に飯縄山。飯縄山の歴史については、拙書で詳しく書いています。謙信も信玄も尊崇した山です。飯縄権現は、白狐に乗った烏天狗、謙信の兜の前立てです。
三枚の望遠カットをフォトショップで合成してみました。千曲川河川敷の桃も咲き始めました。15日の長野マラソンの頃には満開になり、土手の菜の花も咲いているかもしれません。レンギョウに続いてユキヤナギも咲いています。速すぎる春の進行に体がついていけません。杉は終わりましたが、檜の花粉と激しい気温差での自律神経失調症で絶不調です。「木の芽時」はご用心。体が壊れると精神にも影響しますからね。わが家の山のタラの芽がもう開いていました。さっそく天ぷらで堪能。これからハリギリ、コシアブラと続きます。
11日現在、梅、杏は散りました。ソメイヨシノも散り始めています。桃はもう満開のところも。カスミザクラやオオヤマザクラはこれからです。
妻女山の陣場平(上杉謙信の陣城跡)の貝母(編笠百合) YouTubeのページでは、ハイビジョン(720p)でご覧いただけます。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。