最高気温が10度を超えてやっと春めいた土曜日。千曲市戸倉にある水上布奈山神社(みずかみふなやまじんじゃ)を訪れました。きっかけは、友人の宮彫研究家のブログ「北信濃寺社彫刻と宮彫師ー天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいたー」の2017年1月30日の記事を見たことにあります。ぜひ現物をこの目で見たいと思ったわけです。買い物ついでに車を走らせました。本殿は国の重要文化財であり、諏訪大隅流柴宮長左衛門矩重 (しばみやちょうざえもんのりしげ)の見事な木彫が施されています。
正午ちょうどに神社へ。朱塗りの鳥居越しに見る本殿が収納された覆屋。鳥居との間に神橋があります。
その歴史ですが、1603年(慶長8年)北国街道の整備により下戸倉宿が置かれた。これに伴い、諏訪大社から建御名方神(たけみなかたのかみ:大国主命の子)を勧請し、諏訪社として創建された。1789年(寛政元年)現在の本殿が建立。1835年(天保6年)水上布奈山神社に改称。1839年(天保10年)境内に飯盛女52名による燈籠が奉納される。(by wikipedia)布奈山は、万葉仮名で現在は船山で残っており、戦国時代に名を馳せた舟山氏(船山氏)と深い関係にあります。以前、妻女山展望台で福島の船山氏と知り合ったことがありますが、先祖を調べていったら信州の船山と布奈山神社に辿り着いたと言っていました。
(左)本殿への右手、稲荷大明神の前にある燈籠は、下戸倉宿に働く飯盛女52名と旅籠屋主人が奉納したもので、台座に名前が刻まれています。飯盛女(食売女)とは宿場の宿で給仕や雑用をすると共に私娼として売春をも行っていた女性たち。(中)拝殿に参拝して裏の本殿へ向かいます。本殿は覆屋の中にあり、普段は施錠されていますが、隙間から見ることはできます。(右)本殿から拝殿方向。朱塗りの塀に囲まれています。
覆屋の中に鎮座する一間社流造の本殿。見事な木彫が目を惹きます。
両脇障子の上の見事な龍。(左)左の『下り龍』。(右)右の『上り龍』。諏訪立川流と比べると、堀が深く鋭く豪壮な感じで、写実性や具象性を残した立川流よりデザイン化されている意匠です。どちらも私は好きです。しかし、このインカ文明の遺物にも似たデザイン化、便化はどこでどうやって会得。あるいは創造したのでしょう。非常に興味があります。
左右にある『海老虹梁』。非常にダイナミックな造形です。
木鼻『獅子と獏』。獏は象だと思っていたのですが、最近これらには明確な違いがあることを知りました。鼻は双方とも長いのですが、目は象は三日月形で貘は丸く、象には体毛がなく貘にはカールした体毛があります。象の耳は垂れて大きく貘の耳は小さい。ただ当時ではどちらもほぼ想像の動物でしかなく、確実に分かって作り分けていたかは微妙なところです。
本殿の正面。上には鳳凰。その下に二羽の鶴。
(左)左扉脇羽目の『拾得』。(右)右扉脇羽目の『寒山』。中国,唐代の隠者,詩人である寒山と拾得(じっとく)のことで、中国江蘇省蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の寺・寒山寺に伝わる。
◉松岡正剛の千夜千冊『寒山拾得』久須本文雄寒山拾得は、日本人の琴線に触れるものがあるのでしょう。様々な絵師が描いています。
一たび寒山に住みて 万事休す
更に雑念の心頭に掛かることなし
閑(しず)かに石壁に於いて詩句を題し
任運なること還(ま)た 繋がざる舟に同じ(寒山)
暖かな日で、境内では幼女が遊んでいました。二本の御柱が目を惹きます。後ろ髪を引かれつつ境内をあとにしました。
翌日曜日は待ちに待った啓蟄(けいちつ)。土中や木の中の虫たちが這い出してくる季節の到来です。貝母の様子を見るために妻女山と天城山の中間にある陣馬平へ。(左)陣馬平の残雪もみな消えていました。(中)貝母(編笠百合)は平年並みの成長。昨年は2週間も早くゴールデン・ウィーク前に散ってしまいましたが、今年は4月20日頃に満開になると思います。(右)蕗もやっと出てきました。スギヨのビタミン竹輪とかき揚げにしましょう。
(左)陣馬平から下ろうとすると前方にニホンカモシカのシロがいました。拙書の85ページに彼女の夏毛の写真を載せていますが、まだ冬毛のままですね。最高気温が10度を越えるようになると冬毛がゴソッと抜けるので、今年は中旬頃でしょうか。(右)妻女山松代招魂社。ソメイヨシノの花芽がずいぶんと膨らんできました。黄色いダンコウバイが咲き始めると本格的な春の始まりです。
妻女山展望台から望む善光寺平。曇っているのではなく春霞です。
展望台から東の松代方面。確かひな祭りの人形の展示が街のあちこちで行われているはずです。あとひと月もすれば正面の奇妙山山麓の杏が咲き出します。そしてゴールデン・ウィーク頃にはあっという間に初夏へ。信州の春は短く駆け足で通り過ぎていきます。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
正午ちょうどに神社へ。朱塗りの鳥居越しに見る本殿が収納された覆屋。鳥居との間に神橋があります。
その歴史ですが、1603年(慶長8年)北国街道の整備により下戸倉宿が置かれた。これに伴い、諏訪大社から建御名方神(たけみなかたのかみ:大国主命の子)を勧請し、諏訪社として創建された。1789年(寛政元年)現在の本殿が建立。1835年(天保6年)水上布奈山神社に改称。1839年(天保10年)境内に飯盛女52名による燈籠が奉納される。(by wikipedia)布奈山は、万葉仮名で現在は船山で残っており、戦国時代に名を馳せた舟山氏(船山氏)と深い関係にあります。以前、妻女山展望台で福島の船山氏と知り合ったことがありますが、先祖を調べていったら信州の船山と布奈山神社に辿り着いたと言っていました。
(左)本殿への右手、稲荷大明神の前にある燈籠は、下戸倉宿に働く飯盛女52名と旅籠屋主人が奉納したもので、台座に名前が刻まれています。飯盛女(食売女)とは宿場の宿で給仕や雑用をすると共に私娼として売春をも行っていた女性たち。(中)拝殿に参拝して裏の本殿へ向かいます。本殿は覆屋の中にあり、普段は施錠されていますが、隙間から見ることはできます。(右)本殿から拝殿方向。朱塗りの塀に囲まれています。
覆屋の中に鎮座する一間社流造の本殿。見事な木彫が目を惹きます。
両脇障子の上の見事な龍。(左)左の『下り龍』。(右)右の『上り龍』。諏訪立川流と比べると、堀が深く鋭く豪壮な感じで、写実性や具象性を残した立川流よりデザイン化されている意匠です。どちらも私は好きです。しかし、このインカ文明の遺物にも似たデザイン化、便化はどこでどうやって会得。あるいは創造したのでしょう。非常に興味があります。
左右にある『海老虹梁』。非常にダイナミックな造形です。
木鼻『獅子と獏』。獏は象だと思っていたのですが、最近これらには明確な違いがあることを知りました。鼻は双方とも長いのですが、目は象は三日月形で貘は丸く、象には体毛がなく貘にはカールした体毛があります。象の耳は垂れて大きく貘の耳は小さい。ただ当時ではどちらもほぼ想像の動物でしかなく、確実に分かって作り分けていたかは微妙なところです。
本殿の正面。上には鳳凰。その下に二羽の鶴。
(左)左扉脇羽目の『拾得』。(右)右扉脇羽目の『寒山』。中国,唐代の隠者,詩人である寒山と拾得(じっとく)のことで、中国江蘇省蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の寺・寒山寺に伝わる。
◉松岡正剛の千夜千冊『寒山拾得』久須本文雄寒山拾得は、日本人の琴線に触れるものがあるのでしょう。様々な絵師が描いています。
一たび寒山に住みて 万事休す
更に雑念の心頭に掛かることなし
閑(しず)かに石壁に於いて詩句を題し
任運なること還(ま)た 繋がざる舟に同じ(寒山)
暖かな日で、境内では幼女が遊んでいました。二本の御柱が目を惹きます。後ろ髪を引かれつつ境内をあとにしました。
翌日曜日は待ちに待った啓蟄(けいちつ)。土中や木の中の虫たちが這い出してくる季節の到来です。貝母の様子を見るために妻女山と天城山の中間にある陣馬平へ。(左)陣馬平の残雪もみな消えていました。(中)貝母(編笠百合)は平年並みの成長。昨年は2週間も早くゴールデン・ウィーク前に散ってしまいましたが、今年は4月20日頃に満開になると思います。(右)蕗もやっと出てきました。スギヨのビタミン竹輪とかき揚げにしましょう。
(左)陣馬平から下ろうとすると前方にニホンカモシカのシロがいました。拙書の85ページに彼女の夏毛の写真を載せていますが、まだ冬毛のままですね。最高気温が10度を越えるようになると冬毛がゴソッと抜けるので、今年は中旬頃でしょうか。(右)妻女山松代招魂社。ソメイヨシノの花芽がずいぶんと膨らんできました。黄色いダンコウバイが咲き始めると本格的な春の始まりです。
妻女山展望台から望む善光寺平。曇っているのではなく春霞です。
展望台から東の松代方面。確かひな祭りの人形の展示が街のあちこちで行われているはずです。あとひと月もすれば正面の奇妙山山麓の杏が咲き出します。そしてゴールデン・ウィーク頃にはあっという間に初夏へ。信州の春は短く駆け足で通り過ぎていきます。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。