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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

信州千曲市森のあんずが開花しました。見頃は今週末。妻女山の貝母もすくすくと成長(妻女山里山通信)

2018-04-01 | アウトドア・ネイチャーフォト
 3月31日に信州千曲市森のあんずの開花宣言が出ました。冬から急激な暖かさで自律神経失調症に苦しむ毎日ですが、意を決して撮影にでかけました。タイトルに、満開は週末と書きましたが、この暖かさで早まりそうです。木、金の雨が、花散らしの雨にならないといいのですが。その後、雨は土曜日の曇一時雨に変わった様ですね。日曜日まで大丈夫でしょう。10日までは楽しめそうです。ソメイヨシノも里では咲き始めました。レンギョウの黄色い花も賑やかです。あんず畑の下では、スイセンやタンポポ、スミレ、カキドウシ、オオイヌノフグリ、トウダイグサ、ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、ハコベ、タネツケバナなどが咲いています。探してみてください。

 拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林の大峯山の97ページでもほぼ同じアングルでのカットを紹介していますが、まだ咲き始めです。本では満開のカットを載せています。

 樹齢が250年以上というあんずの巨樹。森のアンズは、天和年間(1681~1683年)元禄時代、伊予宇和島藩主伊達宗利侯の息女豊姫が、松代藩主真田幸道侯に興し入れの際、故郷の春を忘れじとして国許よりアンズの苗木を取り寄せ、松代東条地区に植え付けたのが始まりとされるのですが、それ以前にも少しはあった可能性はあります。安永年間(1772~1780年)松代藩は、森村・倉科村・生萱村・石川村などへ苗木を配布し、栽培を奨励しました。そのため松代藩の領地の家々にはあんずの木が普通にありました。

(左)そのあんずの巨樹の花のアップ。現在はピンク色の花が主流で、それが杏の花の色と思っている人が多いと思いますが、在来種は白っぽく遠目で見ると雄しべの黄色と合わさって、コーラルピンクに見えるのです。高校時代に校舎の窓から見えた森の杏の景色はそれでした。(中)その巨樹の上にあるテントの売店。篠ノ井塩崎の岡村さんの売店です。(右)買い求めた天日干しのあんず。炊き込みご飯にしても美味です。姫杏の焼酎漬け。これも今や希少です。丸茄子の粕漬け。食品会社のものと違って手作りなのでおすすめです。帰宅後は、昨年作った杏の焼酎漬けの焼酎をお湯割りでいただきました。子供の頃、祖母が紫蘇巻杏のシロップ漬けを作ってくれて好きだったのですが、それも今は見られないですね。

(左)毎年撮影する某所の在来種の花。拙書にも93ページに載せています。(中)廃屋と杏の花。(右)母方の祖母が眠る興正寺へ。枝垂れ桜が咲き始めていました。

 その山門の「子持龍」は、天才・立川和四郎富昌の作。一見の価値があります。和四郎富昌は八幡の武水別神社の再建中でした。そこで、森出身の弟子・宮尾八百重を案内役に住職、世話人、名主らが建築現場に赴き建築を依頼。引き受けた富昌は三月頃から、父富棟が寛政二年(1789)に建築した善光寺大勧進の表御門形式を参考に絵図面を制作。四月には八百重の家に投宿し近くの薬師山に登って酒宴を催し、満開の杏花を愛でたといわれています。夜は篝火の下で鼓を鳴らし謡曲の「鞍馬天狗」を吟じ、見事な龍を描き上げ、村人や近郷近在の話題をさらい、村では日本一の宮大工が来たと喜んだそうです。興正寺は、浄土宗西京大谷知恩院の末派で、創立年は不詳。
 彼の木彫は、京都御所の建春門の「蟇股(かえるまた)の龍」、遠州の「秋葉神社」、諏訪の「諏訪大社下社拝殿」、善光寺大勧進御用門「江梁の龍」、松代町西条の白鳥神社の「神馬」などがあります。また、同市屋代の須々岐水神社、土口の古大穴神社にも富昌の作があります。左右にある波の彫刻は、葛飾北斎の影響を受けたものともいわれていますが見事です。

(左)花見客もあまり来ないはずれの小道。樹下にはカキドウシやタンポポ、スイセンやヒメオドリコソウ。(中)日向ぼっこするヒオドシチョウ。(右)杏畑の脇にひっそりと咲くスミレ。カタクリなどと同じアリ散布植物です。

(左)標高の高い山際はまだ蕾か三分咲き。今週末は満開でしょう。(中)レンギョウと杏の花。大きな木は欅。(右)杏の花と少女は似合います。伊予宇和島藩主伊達宗利侯の息女豊姫のイメージが、そう思わせるのでしょうか。

(左)禅透院のサンシュユ(山茱萸)。(中)その鐘楼と杏の花。在来種はまだ蕾でした。(右)興正寺近くの古民家の在来種の杏の花。

 薬師山から見るあんずの里。昔は家々の屋根が藁葺きで、全く異なる趣がありました。

(左)花見客がだれも訪れない岡地へ。菅原道真を祀る岡地天満宮。この神社には、菅原道真の木像と、法華経妙荘蔵王品一基が所蔵されていますが、菅丞相書『法華経並びに親作木像記』によると、どちらも菅原道真自作のものと伝えられています。 岡地に安置されるようになった経緯は非常に複雑です。もともとの所有者は、江戸城を築城した太田道灌(「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ哀しき」の逸話で有名)が足利学校で学んだ折りにもらい受けたとされています。ただし、道真公からどういう経緯を辿って足利学校に所蔵されるようになったかは不明です。
 第四次川中島合戦の折に、ここ岡地には観音堂の大伽藍があったそうですが、戦火のために焼失したと縁起には記されています。その後、湯島天満宮に納めようとしたのですが、不慮の変があり果たせず、徳川家康の手に渡り、三代将軍家光へ、さらに幕府の官医であった土岐長庵の手に渡ります。土岐長庵は松代藩の真田家と懇意だったようで、真田家の菩提寺の松代長国寺(曹洞宗)に遺贈されました。更にその後しばらくは、松代の長国寺にあり、長国寺十七世千丈寛厳和尚が千曲市森の岡地に華厳寺を開いて隠住したとき(1785年)に森の岡地に天満宮を造って安置したのが始まりということです。
 現在では華厳寺は檀家も途絶えて廃寺となり(母はここで演芸会をしたそうです)、天満宮だけがあります。天満宮には、かの米山一政氏が驚嘆したという平安末期-鎌倉初期の作といわれる一刀彫の像があります。さらには、幻の善光寺五重塔建立のための試作品とされる名工・立川和四郎富棟作の「惣金厨子」があります。
 またここ岡地には、正和2年(1313)3月に焼失した善光寺、金堂以下の諸堂再建工事の折、用材を伐採、「長さ十丈ばかり材木が空中を飛翔して、その工事を助けた、という「飛柱の異」という言い伝えがあります。(中)幻の善光寺五重塔建立のための試作品とされる名工・立川和四郎富棟作の「惣金厨子」(右)かの米山一政氏が驚嘆したという平安末期-鎌倉初期の作といわれる一刀彫の像。

(左)妻女山奥の陣場平の貝母(編笠百合)の生育状況です。2016年ほどではありませんが、かなり早いです。
(中)この分だと20日頃には満開になると思われます。信毎でも何度か紹介されたので、今年も大勢の人が訪れるでしょう。私が仲間と作る「妻女山里山デザイン・プロジェクト」のメンバーで、保護活動をしています。蕾もたくさんできています。侵入してきたヨシとノイバラを除去した場所に、種や球根を蒔いたところにも発芽してきました。(右)ヤブカンゾウ。ニッコウキスゲの仲間で美味しい山菜です。

(左)江戸時代にオランダから伝わったという野良坊菜。甘みがあってたいへん美味しいナバナです。これのアサリと作るボンゴレビアンコは最高です。(中)仲間とやっている椎茸の原木栽培。どんこが大量発生。干し椎茸にします。(右)髻山で採取した山蕗をその生椎茸とでイカスミパスタにしました。絶品です。

 妻女山展望台から望む右手に茶臼山と北アルプスの白馬三山。千曲川河川敷のハリエンジュやドロヤナギの緑も鮮やかです。

(左)妻女山展望台のソメイヨシノの蕾。開花も間近です。(中)梅の花はほぼ満開。(右)庭のヒマラヤユキノシタも咲きました。

 妻女山展望台から北の眺め。右に飯縄山、左に戸隠連峰と別名戸隠富士の高妻山。

 妻女山展望台から東の眺め。松代方面です。左に拙書でも載せている奇妙山。奥に菅平の根子岳と四阿山。奇妙山の麓の斜面は杏の産地です。松代城址や象山、妻女山の桜が咲くのも間近です。信州の春は、猛スピードで駆け抜けて行きます。

毎年撮影に行っています。左のバックナンバーから毎年の4月をご覧になってください。またYouTubeにはスライドショーをアップしています。アカウント名は、saijouzanです。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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