ブログをやり始めた時、パソコンの前に座ると、自分の思いと
キーボードを打つという行為が繋がらず、下書きを書いてから
打ち込んでいました。私のブログを読んだ出版社の方に、
「直さん、下書きをしているでしょ」と、見事に見破られて
しまいました。
でも、いつの間にか下書きなしで打ち込めるようになり、時間の
短縮になったと喜んでいました。
それが、パソコンが使えなくなり、FAXで文章を送るのに、
久し振りに下書きをしてみると、自分の思いをパソコンで
打つのとは、全く違う感覚があることに気がついたのです。
言葉と自分との間に、いい距離があるのです。
自分の考えや思いを見つめ、反芻する時間があり距離があるのです。
私は、これが好きだったのです。
大好きな手紙がメールに替わり、速く便利になったのに、
何か大切なものを置き忘れている気がしたのは、自分の紡ぐ言葉を
見つめる時間だったのですね。
便利さを追求した生活が潤いを失っていくのは、無駄と思える行為の
中にある豊かな時間を忘れているからなのかもしれません。
初女先生のあの美味しい、深い優しい味は、決して手を抜くことのない
どこまでも丁寧な調理にあるのです。
パソコンの故障が大切な気づきを私に与えてくれました。
梅雨空に見つけた青空のような、嬉しい気づきとなりました。
キーボードを打つという行為が繋がらず、下書きを書いてから
打ち込んでいました。私のブログを読んだ出版社の方に、
「直さん、下書きをしているでしょ」と、見事に見破られて
しまいました。
でも、いつの間にか下書きなしで打ち込めるようになり、時間の
短縮になったと喜んでいました。
それが、パソコンが使えなくなり、FAXで文章を送るのに、
久し振りに下書きをしてみると、自分の思いをパソコンで
打つのとは、全く違う感覚があることに気がついたのです。
言葉と自分との間に、いい距離があるのです。
自分の考えや思いを見つめ、反芻する時間があり距離があるのです。
私は、これが好きだったのです。
大好きな手紙がメールに替わり、速く便利になったのに、
何か大切なものを置き忘れている気がしたのは、自分の紡ぐ言葉を
見つめる時間だったのですね。
便利さを追求した生活が潤いを失っていくのは、無駄と思える行為の
中にある豊かな時間を忘れているからなのかもしれません。
初女先生のあの美味しい、深い優しい味は、決して手を抜くことのない
どこまでも丁寧な調理にあるのです。
パソコンの故障が大切な気づきを私に与えてくれました。
梅雨空に見つけた青空のような、嬉しい気づきとなりました。