~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

食べることの意味

2013-10-31 23:06:22 | 日記
初女先生の本の中に、ポスピスに入院している30代の女性が

イスキアを訪ねて来て「ここに来て初女さんに会いと思ったのは、

自分にとって食べることの意味をもう一度確認したかったんです。」

と言われ、「食べることの意味」その言葉が、心に重く響きました。

と書かれていたのを読み、はっとしました。

子どもに「お母さんは、ご飯労働者」と言われるくらい作っては

いますが、毎日のことだと、どこか流されているような気がするの

です。

忙しくなると、余計そうなります。

初女先生は「ひたすら食が大事だと思い、そのことだけに集中

してきました。おいしいものをつくり、人と分かち合って食べる

という毎回の食事を、一日一日積み重ねてきた結果が、

いまにつながっているのです。

だから、今日のこの日もまた、食との出会いを大事にして

います。」と書かれています。

そして、「おいしいものを食べるのではなく

おいしく食べることが大事。」と言われています。

忙しくなると、つい食事の支度を楽にしたいと思って

しまいますが、先生のお言葉に姿勢を正されました。

「食はいのち」なんですものね。

心を育てるのも「食」だと、最近感じるようになりました。

子育てで、悩みを抱えている人がいても、その人が

ちゃんと食事を作っていたら、大丈夫って自信を持って

言えるようになりました」。

やっぱり、食事は作った人の愛情も頂くものだから…

食べることの意味と、私も向き合ってみようと思います。

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盛りだくさんの一日

2013-10-30 23:57:22 | 日記
今日は、山もりの一日でした。

朝、5時に起きて食事を作り、7時半から養護施設の仕事に行って

10時半に宿へ打ち合わせに…

やっぱり、宿へ行って打ち合わせをすると、講演会が近づいて

来たと、何だかそれだけで緊張するのです。

すると、宿から駅に向かう短い間に黄色い蝶々が目の前に

飛んできたのです。

「お母さん、大丈夫だよ。僕が付いているから…」と言われた

気がしました。

最近、あの子はよほど私のことを気にかけているのか、

よく黄色い蝶々が飛んで来てくれるのです。

本当に、みんなに支えられて、それは生きている人だけじゃ

なくて、目には見えない魂(いのち)にも支えられて、

初女先生の講演会を、やらせて頂いているんだと思うと

大変だけどしあわせを感じるんです。

今日は、三浦海岸の後は日本橋まで行き、初女先生への

小さな小さな贈り物を買いに、おばちゃん達3人で

デパート巡り…

ささやかな休日を頂いたような楽しいひと時

話す話題も初女先生のことが一番多くて、「やっぱり

出会いは未来をひらく」だよね!と、初女先生に出会えた

こと、そして私達が出会えたことへの感謝が、自然に湧いて

来ました。

帰りに3人であんみつを食べて、大満足!

私はそれで終わらず、次は水道橋へ息子と主人と巨人戦へ

もう、へとへとで観ながら寝てしまいました。

それでも、創が野球が大好きだったから、きっとここにも

あの子がいると6回まで頑張っていたのですが、

もう限界と、一人で先に帰って来ました。

てんこ盛りの一日でしたが、今日は一日創と一緒に

いたような、満たされた一日でした。

有り難う!今日と言う日!
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ある線まで

2013-10-29 21:49:09 | 日記
初女先生のお言葉に「ある線までは誰でもやること。

そこを一歩超えるか超えないかが、人のこころを響かせるものに

なる」というお言葉がありますが、私は、一線を超える

ということの困難さを実感している日々です。

初女先生を見ていると、どの場面においても、一線を超える

行動をなさっています。

先生が、これ以上は出来ないと言われたのを一度だけ

聞いたことがありますが、

その時は、歩けないくらい疲れていました。

92歳になられ、先生の動きは一年一年ゆっくりになって

いますが、それでも先生はある線を超える行動を

やめようとなさいません。

私は、誰でもやれるある線で「ヤッター!」と満足して

しまっています。

時には、その程度でも疲れたと文句を言っています。

初女先生の講演会の準備をしていて、精一杯やっている

つもりですが、やっぱり誰でも出来るある線で

ひいーひいー言っているのです。

「人のこころに響く行動」とは、「動の祈り」とは

どれほど深いものかということが、やっと少しわかって

きました。

講演会の準備をしても、しても足りない気がするのは

誰でもできるところで満足している自分がいるから

なのですね。

初女先生の行動に励まされながら、私も頑張ります!

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また一歩

2013-10-28 18:50:57 | 日記
私の1年の初めは、1月1日ではなく、10月28日なのです。

10月27日の息子の命日が終わると、また一歩ここから始まると

思えるのです。

昨日は快晴でした。

息子の葬儀の日もみごとな快晴でした。

前日は雷鳴とどろく土砂降りでした。誰かが帰ろうとするたびに

帰らないでと言うように雷が鳴り、姉が「創君、明日も来るから…」

と天に向かって言いながら帰って行ったのを今でも覚えています。

そして、葬儀の日はあの子の明るさが、空の青さになったように

晴れ渡っていました。

昨日は、12年も経つのに同級生が集まってくれ、きっと

この輪の中には創がいるなと思え、こんなに経っても命日に

来てくれるお友達に感謝で一杯になりました。

帰る時に、初女先生の「いのちの森の台所」を、「この本に

創のことが書いてあるから読んで」と言って渡すと

そのページを見た子が「やべえ、思い出すよ。ここで

読めないよ」と、慌てて鞄にしまっていました。

12年経っても、悲しみは消えるものではないけれど

思い出すあの子の顔は、いつも笑顔です。

命日の前日、探し物をしていたら偶然チラシの裏に描いた

息子の絵と割り算が見つかりました。

小学校3年ぐらいの時のでしょうか。

ニコニコ笑った男の子の絵が描いてありました。

あの子が、届けてくれた笑顔のようでした。

今日、10月28日、新しい朝を迎え、また一歩歩きだして

行こうと思いました。

見上げた空は抜けるような青空で、あの子の笑顔が

見えるようでした。
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「母の愛」との出会い

2013-10-26 21:30:17 | 日記
「食はいのち」と分かっていても、毎日毎日食事を作っていると

疲れている時などは、「あーあ、たまには休みたいよー」と

思ってしまいます。

そんな気持ちが顔を出した時、初女先生を思うと、姿勢を正される

思いがします。

今日、先生のお言葉にハッとしました。


『「おいしい」と言った時、人々は、その料理に込められた

母の愛(母性)に出会うのだと思います。

母性に出会うと、人間は自ら神様の方向に向かいます。

女性でも男性でも、母性を養うこと、それが大事だと思います。

「食」を通じて、多くの人が母の愛に出会えることを

願っています。』


先生のところに、コンビニのおむすびしか食べたことがない

と、言われる方がおむすびを食べたいと来られるそうです。

その方たちは、きっと母の愛との出会いを求めている

のですね。

魂に届く料理は、母の愛を感じる料理なんですね。

一生に一度でいいから、そんな料理作ってみたいな…
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心貧しい人は幸いである

2013-10-24 22:11:25 | 日記
「心の貧しい人は幸いである」

マタイによる福音書のこの聖句は、初女先生もお好きだと

度々、先生の著書の中に出てきます。

先生は、どうして「心の貧しい人」が幸いなのか、「心の豊かな人」

が幸いなのではないかと思っていたそうです。

私も、ずっとこの「心貧しい」が理解できませんでした。

初女先生が、シスターにそのことを質問すると

「それは「いま」を満足することですよ」と言われたそうです。

先生は、「どんなに病気であったとしても、体に障害があったと

しても、その現実を神様からのプレゼントとして、素直に

受け入れることの出来る心を持っている人は幸いであると、

言われています。

そして、「『いま』というのは、人それぞれの『いま』のこと。

幸せになるためには、いまの状態に満足すればいいだけなのです」

と、言われています。

私が、息子の「生」も「死」も与えられたものだと思えたのは

このことだったんですね。

深い深い御言葉です。

幸せになることは、そんなに難しいことじゃなくて

今に満足出来るか、なのですね。

不幸と思われることも、天からのプレゼントって思えたら

目の前の景色が変わってくるはず…



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立ち上がる

2013-10-23 22:17:50 | 日記
毎年、この時期沈んでしまう私ですが、昨日職場の人の運転する

車に乗っていた時、道路の真ん中でいきなり黄色い蝶々が

車の前を横切ったのです。

息子が黄色い蝶々になって、時折私のところに飛んで来て

くれるのですが、命日が近づき、悲しくて仕方なかった時

やっぱり、黄色い蝶々が飛んで来てくれたのです。

10月に入って、私の気持ちを察するように、1週間に2回も

黄色い蝶々を見ました。

講演会の準備をしていても、ふっと息子のことが思い出され

涙があふれてしまいましたが、昨日黄色い蝶々を見た後で

気が付いたのです。

私は、初女先生の講演会を息子と一緒にやっているのだと

思えば、息子の食べた最後の食べ物がおむすびで、

そのおむすびが、私と初女先生を結びつけてくれたのです。

そして、今度の講演会の演題が「おむすびの祈り」です。

どこまでも神様の計らいを感じます。

子どもを亡くした時、「神様は背負いきれない重荷は

背負わさない」と言われ、そのことさえも辛かったのですが

今、私の周りの様々な困難を抱えた人達が、困難な中で

立ち上がっていく姿をみると、背負いきれない重荷は

背負わさないというのは、真実なんだと思えるのです。

息子と結ぶ「おむすびの祈り」が、また結ばれていく

これが「おむすびの祈り」

辛くて仕方ないことも、感謝にかわっていく日が来るん

ですね。

ありがとう つくる






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沈む季節に…

2013-10-21 11:39:43 | 日記
息子の命日が近づいて来たので、祭壇に飾ってある

野球のアンダーシャツや、3回忌の時に同級生が贈ってくれた

「YAMASAI」のネームが入ったヤンキーズ(松井のファンだったので)

のユニフォームや、クラスTシャツを手洗いしました。

野球部にいた時は、汚れがひどく手洗いしないと落ちなかった

ことがふと思い出され、そうしたら訳もなく涙が

溢れてしまいました。

何年たってもこの時期はダメになります。

今年で13年目に入ります。

あの子を育てた年数と、あの子が逝ってしまった年数が同じに

なってしまいました。

13年、長いのか短いのかも分かりません。

ただ、深い深い時間でした。

たくさんの出会いを息子は、与えてくれました。

今、こうして初女先生の講演会の準備をしていることも

息子からのプレゼントだと思います。

亡くなった者は、生きてる人を励まし、生き続けてほしいと

心から願っていると言います。

姜尚中さんの息子さんが遺した「生きとし生けるもの

末永く元気で」という言葉は、先に逝った者たちの魂の言葉

なのかもしれません。

悲しみは、何年たっても歴然とあります。

ただ、悲しみが悲しみで終わっていないことも確かです。

私の中にある沈む季節…

悲しみの中で息子と対峙する…これもまた生きているって

ことかもしれません。





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崖っぷちにチカラ

2013-10-20 22:06:45 | 日記
昨日は、息子の大学の学園祭に「スガ シカオ」が来るというので

行って来ました

あのスガ・シカオが学園祭で歌うなんて、せいぜい2~3曲

だろうと思っていましたが…

それでも、ど真ん中に前から4列目をゲットしたという息子の

努力に、夫と2時間半かけて出掛けて来ました。

スガ・シカオの事務所主催の「キャンプオーガスタ」は毎年家族で

行ってましたが、去年はスガシカオだけバックバンドもつかず

パソコンで音源を作って一人で2曲ぐらい歌って、帰って

しまったのでガッカリしたら、スガシカオが事務所を辞めたと

分かりました。

あれから1年振りです。

1500円のチケットの学園祭にしては、バンドもバッチリついていて

何より、スガシカオが燃えに燃えていたのです。

スガシカオは「オレ、事務所も大手レコード会社も辞めちゃって

インディーズでやってるんだよ。崖っぷちなんだ」と言って

ました。

そして、「椅子のあるホールでやるのは久し振りだよ。

折角、椅子があるからちょっと座って聴いてよ…

椅子に座る時のこのザワザワする感じいいなー」なんて、

ことあるごとに感激しているのです。

ある意味、頂点見た人がインディーズから始めるなんて、本当に

びっくりしました。

でも、ステージで歌う熱い思いが、ビンビン伝わってきました。

崖っぷちのチカラを見せられた気がしました。

新曲は、CDではなくインターネットで配信しているそうです。

アンコールの最後は、NHKのプロフェッショナルの

テーマソング。

「皆もこれから就活とか、大変な事は一杯あるだろうけれど

目の前の階段を一段づつ昇っていけば、いつかはさ、

辿りつくから、諦めないで!この歌は、俺とみんなへの

応援歌」と言って、歌ってくれたこの曲に息子も感激して

いました。

生きてるって、いろんなことがあるんだよ!

という、スガシカオの崖っぷちの底チカラを感じさせられ、

パワフルで、実に清々しいコンサートでした。

その日の、スガシカオのツイッターには、「久々のホール

です。」と書かれ、客入れ前の椅子だけが並ぶホールの写真が

載っていました。

スガシカオ、がんばれー!



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なんで

2013-10-17 22:07:47 | 日記
すごい台風でした。

伊豆大島では甚大な被害が出ています。

学校に、秋休みというお休みが出来た時に家族3人で大島に行き

裏砂漠や樹海に感動したのを今でも覚えています。

島にはほとんど信号がなく、初めてレンタカーを運転した私は

なぜか私の後ろに渋滞を作ってしまったのです。

あの長閑な島が…と思うと「なんで!」と叫びたくなります。

人生とは、答えの出ない「なんで」の連続かもしれません。

是枝監督の「そして父になる」の映画の中で、子どもが

福山雅治の発する言葉に、すべて「なんで」と言うシーンが

ありました。

「今日からおじさんが、君のお父さんだ」

「なんで」

この「なんで」に明確に答えられない父親…

そして、また何か言うと、子どもは表情も変えず、

真っ直ぐ福山雅治なる父親を見て「なんで」を繰り返すのです。

それを観ていて、私もどれほど「なんで」を発してきたことか

と、思いました。

答えのでない「なんで」を自分自身に問いかけ、立ちどまり

どうにもならない「なんで」を呑みこんで、また歩きだし…

息子を亡くした時は、この「なんで」に押しつぶされそうに

なりました。

初女先生は「なんで」とは、おしゃらず「人に起こることは

自分にも起こる」と言われます。

答えのでない「なんで」に苦しむより、この腹のくくり方は

見事だと思いました。

人に起こることを、他人事だと思わず、自分にも

起こることだと思うと、心の有り様がかわってきます。

初女先生の深い思いは、こういうところからも来ているの

ですね。

私はどれだけ「なんで」を言ってきたことでしょう…

「なんで?」「なんで!」「なんで…」

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