~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

初女さんの原点を感じる~おむすびの祈り

2018-04-30 16:46:51 | 日記

4月も今日で終わりです~

森のイスキアは、いつもゴールデンウイーク辺りに

オープンしていたので、この季節になると恋しく

なります。

木更津のKさんからも、今頃イスキアに

行ったねと、メールが来ました。

みんな、森のイスキアに思いを馳せているんだな~

そんなことを思いながら、今日は朝から初女さんの

「おむすびの祈り」を手にして、今読み終えました。

何度、この本を読んだことでしょう。

読むたびに、新たなる気づきがあり、

この初女さんとの交流に新鮮な思いを感じます。

初女さんは、「動の祈り」が示すように

行動の人でした。

初女さんを思うとき、いつも働いているお姿が

浮かびます。

「おむすびの祈り」を読むと、行動する初女さんの

原点を感じることができるような気がします。

初女さんは、私自身が自分を信じられない時も

信じて待っていて下さった方です。

神を信じ、自分を信じ、他者を信じ

どこまでも信じる方だったと思います。

「おむすびの祈り」の中にそのことが記されて

いました。

 『人はひとりでは生きられません。

 誰かと一緒なら生きられます。

 その誰かというのは、実はひとりひとりの中に

 宿る神様なんです。

 神様は私たちの目にはみえませんし、

 声もきこえてこないのですが、生身の人間

 肉体を通して、私たちに働きかけて下さいます。

 そのようにして神様から招かれている私たちが

 お互いの関りによって癒され、成長していくこと

 それが私たちの生涯にかけられた使命だと

 思うのです。

            佐藤 初女 』


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有り難い

2018-04-28 11:13:23 | 日記

連休が始まりました。

子どもが小さい時は、親の義務の様に出掛けた

けれど…

今は、全くの自由です。

新緑の季節は何もしなくても心が

晴れ渡ってきます。自然の力でしょうか

風が吹くと、森のイスキアを吹く風が思い出され

恋しくなりますが…

心はイスキアを旅しています。

田口ランディさんがTwitterに書いていた言葉が

深く心に降りて来ました。

すごい試練がきたなら、

それだけ人生(自覚できていない自分・真我)に

期待されているってことだよ。

すべての出来事は自分の成長のために起きる

(個の成長は魂全体の成長に関与する)。

ありがたいと思ったら終わる

確かに、そうですね。

「ありがたい」と思ったら終わるのか…

試練は、有り難いと思い、受け入れられるまでに

葛藤があり、魂が磨かれていくのですね。

有り難いって、「難」が有るって書くものね。

人は「難」によって成長出来るんですね。

有難いです!

新緑の中で、深呼吸をしてみよう

今に感謝して…

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「ゆっくりゆっくり」~初女さん

2018-04-27 21:59:54 | 日記

気がつけばゴールデンウイークに突入!

もう5月?

何て時の進みが早いのでしょう。

少し前から、朝に坐禅をしています。と言っても

あぐらが組めないので、正坐をして20分間

座っているというものですが、その20分が実に

ゆっくり感じられるのです。

同じ時の刻みが、どうしてこんなにも違うの

でしょうか…

初女さんと居る時は、どんな時も静かで

ゆったりした雰囲気に包まれていました。

だから森のイスキアは、いつもイスキア時間が

流れていました。

一日、二十四時間が充分な時間に思えるのです。

 『私はなんでもゆっくりで

  急いでするこができません。

  ご飯を食べ終わったあと

  サッと立って食器を洗うというのも

  せわしくなくて好きでないの。

  始終言ってますよ。

  ゆっくりゆっくりねって。

          佐藤 初女』

画像に含まれている可能性があるもの:空、屋外、自然、水

4月24日の弘前城の夜桜(山田スイッチさん撮影)

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ガンジーの言葉

2018-04-25 23:24:33 | 日記

福知山線脱線事故から13年が経ちました。

新聞に高校一年の時に兄を亡くした人が、

安置所から帰宅した時に「兄ちゃん、僕は

人の命を助ける職業に就く」と決意し、

救命医療の看護師になったことが載っていました。

「18歳で死んで、無念だったはず。

だから、兄の分まで自分が頑張らないといけない。

胸を張って兄に報告できるようになりたい」と、

生死を分かつ最前線に身を置き続けている

そうです。

「一人っ子」と嘘をつき、周囲に兄の死について

話すことを避けた時期もあったそうですが、

4年前の追悼慰霊式で、初めて遺族代表として

言葉を述べ、「少しでも心にとどめてくれる人が

いればうれしい」と仕事の合間を縫って

お兄さんのことや事故のことを語っている

そうです。

うちの息子も、友達を家に呼ぶ時に「祭壇の

お兄ちゃんの写真をしまって」と言ったことが

ありました。

その頃は、自分は一人っ子だ言っていたのでしょう

でも、職業を選択する年齢になった時、

中学校の先生になりたいと言ったのです。

中二で亡くなった兄と同じ年齢の子ども達と

向き合うことは、きついことだと思いましたが

いのちの大切さを伝えたいという思いが

強かったようです。

そして赴任した学校で、亡くなった兄が

「中三になってもK先生の担任がいい」

言っていたその先生と巡り合えたのです。

この不思議は、お兄ちゃんの力が働いたような

気がします。

何だか、試練の中を生き抜いたガンジーの言葉を

贈りたくなりました。

『不幸は私たちに与えられた試練である。

この試練を乗り越えたとき、

すべてはきっと好転する。

そう信じて、辛抱強く耐え抜こう。

耐え抜いたとき、あなたはとてつもない力を

手にしていることだろう。』

『人は何度でも立ち上がる。

立ち上がっては倒れ、立ち上がっては倒れ、

その足元はおぼつかないかもしれない。

けれども、立ち上がったことは、

一生忘れることのない、かけがえのない

記憶となる。

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息子と観た「カンタ!ティモール」

2018-04-24 18:22:57 | 日記

22日の日曜日に、ぶつぶつ言っている息子を

引っ張り出して、「カンタ!ティモール」を観に

行きました。

どんな映画なのかも話さず、とにかく観て欲しいと

言って…

「そんなのTSUTAYAで借りればいいだろう」

「自主上映の映画だから、レンタルビデオなんて

ないの」と、親子喧嘩しながら…

会場に着くと、コンサートの後に映画上映だと

わかり、息子は「駐車場代だけでもいくら

かかると思うんだ」と、マックスの不機嫌さ

私は諦め「今日は帰ろう」と言うと

別の駐車場にとめて来ると言い、何とか

映画を観るところまで漕ぎつけました。

でも、「カンタ!ティモール」が始まると

真剣に見入っているのです。

終わったと「教科書には、東ティモール独立の

一行しか書いてないんだよ」と、呟いて

いました。(彼は社会科の教師をしています)

自分の知らなかった事実に衝撃を受けて

いる様子が伝わって来ました。

息子もまた私と同様に、戦争というものを

突き付けられた思いで観ていたのだと思います。

そして、人間の崇高さと子ども達の明るい笑顔に

心揺さぶられたようです。

CDを買った時に付ていたポストカードを

パウチ加工して、私にくれました。

アレックスの遺言となってしまった言葉が

息子の心にも響いているようです。

人から人へ伝わり繋いで行く、

「カンタ!ティモール」の映画と出会って下さい。

映画『カンタ!ティモール』予告編

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初女さんと石牟礼さんの「食はいのち」

2018-04-23 17:56:57 | 日記

生活クラブの「生活と自治」に、作家で写真家の

藤原新也さんが石牟礼道子さんのことを

書いていました。

藤原さんは、石牟礼さんとお会いするまで、彼女は

水俣病の闘争に参加されているので、社会問題と

闘う作家というイメージを持っていたそうですが

お会いすると、自分の存在を消すかのような優柔な

佇まいをされ、お声は包み込むような優しさがあり

お顔は、常にほのかな微笑みを絶やさなかった

石牟礼さんに、彼女は多くの艱難(かんなん)と

怒りをご自身の中で消化されたに違いないと

感じたそうです。

対談が長丁場となり、お体がご不自由な

石牟礼さんにご負担をかけてはいけないと、

昼食をとりに出ようとすると、「お食事は

ここでされて下さい」と、台所に立たれ暫くして

「名物のサバの無塩(ぶえん)寿司をと思ったの

ですが、新鮮なサバがなかったもので」と

言われて、桜エビとチリメンジャコの混ぜご飯を

出してくれたそうで、それが何か母親が作る

”おまんま”の風情があり、その味がまたこよなく

優しく、口に含んだとき、明媚な自然に接した

ように五感が満たされたのだった。と藤原さんが

記していました。

この文章を読んで、初女さんの優しい味の

お料理が思い出され、恋しくなりました。

味の記憶というのは、ダイレクトにその人と

繋がる気がします。

初女さんは「食ほどストレートに心を伝える

ものはないと思っています」と言われてました。

きっと、石牟礼さんもそのことを十分わかって

いたのだと思います。

石牟礼さんの本を読んでいると、書かれている

お料理が食べたくなってしまいます。

無塩寿司もそうです。

私は、無塩寿司というのは食べたことがないの

ですが、無塩サバを見つけた時には、

石牟礼さんの本にあったサバだ!と迷わず

買いました。

石牟礼さんのお父さんも料理が上手な方だった

ようです。

初女さんは、おばあさんから教わったことも

多かったと聞いています。

食は、教えなくても舌によって受け継がれて

行くのでしょうか…

初女さんは「食べることほど、力になることは

ないのではないかと、思っています。

食材は体に入り、わたしたちのいのちと一緒に

生涯生き続けていくことになるからだと

思います。

食こそいのち、食はいちばん伝わりやすく

深いもの。

苦しみを抱えていた人が一食ごとに元気に

なって行く姿を見るたびに、私はそう感じるの

です。」と、書かれています。

亡くなった人を思うとき、料理の味が

リアルに、その人を感じさせてくれます。

そして、その味に近づきたいと調理する時に

その人と一体になるような気がします。

初女さんの本をひらいたら

「食はいのち 生活の基本

       佐藤 初女」と書かれた

サインが目に飛び込んで来ました。

「食はいのち」

初女さんは実践を持って、そのことを生涯

伝え続けていました。



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人は自らの気づきでないと変われない

2018-04-21 22:55:20 | 日記

随分前に「人は自らの気づきがなければ

変われない」という言葉を聴き、納得しました。

初女さんも同じようなことを言っています。

「気づくというのは、自ら発見することだと

思います。

悩みごとを抱えている人がいるとき、

まわりの人は何かいいアドバイスをしようと

やっきにになりがちですが、本人が自ら気づこうと

していないときは、どんな名言も耳には

入りません。

自ら気づくことが大事です。

本人が自ら変わろうとしなければ、周りの人が

変えることはできないのです。。

そして、自ら気づくことができたなら、

次は実践です。

そのために必要なのは素直な心です。」と…

大人になって、ある程度年齢がいってしまうと

自分はこういう人間だと決めつけて、

変われないと思い込んでいる人が、結構います。

それは本当に勿体ないことです。

初女さんは、人は最後の一息まで成長できると

言われてました。

心の成長は、どこまでもなのだと思います。

初女さんは「実践には”失敗するんじゃないか”

”不可能じゃないか”という不安や迷いは

つきものです。

でも、何かを大きく変えたいと思うなら

時にはすべてを委ねる気持ちで大きく一歩を

踏み出さなければなりません。

必要なものは必要なときに与えられる、と

信じて一歩を踏み出したとき、きっと何かが

変わって行くと思います。」と…

今日は一日新緑の中にいたら、木々の成長しようと

いう勢いの凄さを感じて、私も!と思いました。




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苦しみを通って来た方~初女さん

2018-04-20 22:02:43 | 日記

昨日、初女さんの講演会を支えてくれた仲間と

会っていた時、初女さんは何歳で弘前イスキアを

始めたのだろうという話になりました。

今日、調べてみたら62歳で寄付で二階を増築し

”弘前イスキア”と命名したとありました。

そして、71歳で森のイスキアをつくられたと…

71歳という年齢を聴いた時はびっくりしました。

誰もが自分の老後のことで精一杯になる時にです。

このエネルギーと思いの深さはどこから

来たのでしょうか…

17歳で大喀血をおこした結核が完治したのが

35歳の時だそうです。

17年余りにわたる闘病生活だったそうです。

士族の家に生まれたけれど、父親の事業の失敗

長きにわたる闘病生活

そして、81歳で息子さんに先立たれる

深い苦しみを通って来た方です。

だから、人の心に寄り添えるんですね。

私の息子の写真を見て、初女さんが流してた涙を、

私は一生忘れないと思います。

初女さんの言葉は魂に響く言葉です。

 『すんなりと、するすると幸福になることはなく

  生きていれば、何度でも繰り返し苦しみが

  やってきます。

  けれども苦しみは決して苦しみだけに

  終わることなく、いつか喜びに変わります。

  苦しみなくして刷新ははかれません。

  真の幸福は、苦しみの中にあってこそ

  実感できるものです。

              佐藤 初女』


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佐藤初女・マザーテレサ・ダライ・ラマの言葉

2018-04-18 11:22:32 | 日記

タイトルを打ち込んで、自分で凄すぎると

思ってしまいました。

でも、2013年11月22日に

「世界の平和を祈る祭典㏌日本平」という場で

実現されたのです。

勿論、マザーテレサはお亡くなりになっていたので

いませんが、マザーのお言葉を初女さんが朗読され

マザー、ダライ・ラマ、佐藤初女さんの心は

一つになったのだと思います。

随分前に読んだ本に、ダライ・ラマが「平和は

ひとり一人の心の平安から」と書いてありました。

マザーは、世界平和の為に何が出来るかという

質問に「家に帰ってあなたの家族を愛しなさい」と

言われています。

マザーの「大きいことをしようとする人は

たくさんいますが、小さいことをしようと

する人はわずかしかいません」というという言葉に

初女さんの

「生きる上で小さいと思われることも大切に

ひとりひとりの出会いも大切に

小さいと思っているところに

大きなものがあります」この言葉が重なって

きます。

少し長くなりますが、マザーのお言葉を載せたいと

思います。



私達は
この世では
大きいことはできません
小さなことを 大きな愛でするだけです

まず知り合う事
知り合えば お互いに
愛し合うようになるでしょう

互いに愛し合えば
支えあうようになるでしょう

もし本当に
愛したいと願うなら
許すことを 知らなければなりません

多くの人は 病んでいます

自分がまったく 愛されていない
関心を持ってもらえない
いなくてもいい 人間なのだと・・・

人間にとって 一番ひどい病気は
誰からも 必要とされていないと 感じる事です

大きなことを 出来る人は たくさんいますが
小さなことを しようとする人は
ごくわずかしかいません

神に お仕えするためには
ごくありきたりな 仕事を 出来るだけ
楽しく喜んで 実行することです

親切で 慈しみ深くありなさい

あなたに出会った人が だれでも
前よりもっと気持ち良く 明るくなって
帰るようになさい

親切があなたの表情に まなざしに ほほえみに
温かく声をかける言葉に あらわれるように
子供にも貧しい人にも
苦しんでいる孤独な人すべてに
いつでもよろこびにあふれた
笑顔をむけなさい

世話をするだけでなく あなたの心を
あたえなさい

貧しい人たちに 生命だって
あげることはできる

しかし 微笑みを浮かべて それをしなければ
何も与えることには
ならない

大切なのは どれだけ たくさんのことを
したかではなく
どれだけ 心をこめたかです

楽しみとはなんでしょうか?
楽しみとは祈りです
楽しみとは力です
楽しみとは愛です
神様は喜んで他人に捧げる人を
愛します
神様は
他人に楽しみを与える人に
もっとも多くの楽しみを与えます

神様に対して
もっとも感謝しようと思えば
すべてのものを
喜んで受け入れることです

愛情深い心をもてば 人生が楽しくなります
悲しみで心を 満たしてはいけません

平和は 微笑みから 始まります

1日5回
あなたが本当は 笑顔を 見せたくない人に
微笑みかけなさい

それを 平和のために するのです

豊かそうに見える この日本で
心の飢えはないでしょうか

 だれからも 必要とされず
だれからも 愛されていないという 心の貧しさ

 物質的な貧しさに比べ 心の貧しさは深刻です

心の貧しさこそ 一切れのパンの飢えよりも
もっともっと 貧しいことだと思います

 日本のみなさん
豊かさの中で 貧しさを 忘れないでください

大切なのは 沢山のことを 成し遂げることでも
何もかもを することではありません

いつでも何に対しても 喜んでする気持ちが
あるかどうかなのです

倒れるまで 一生懸命働くことも
力以上に働くことも してできないことは
ありません

でもそんなに働いても それが愛に基づいて
なされていないなら
神の目には 無益なことでしかないのです

何でもない ほほえみが及ぼす 効果には
計り知れないものが あります

一緒に住んでいたり または
血のつながった 親族といった人たちに
ほほえみかけることは
あまり親しくない 人々に対して
ほほえみかけるより むずかしい時が
あるものです

「愛は近きより」ということを
忘れないようにしましょう

無理な事を どうこう思い悩むのは
無駄な事です
出来ない事は 神様が お望みでないのだと
思いなさい


私たちに 偉大なことは できません
偉大な愛で 小さなことを するだけです


私たちがやっていることは
大海の一滴に すぎないとは
私たち自身 感じています

しかし
大海は その一滴分は 少なくなっているのです


あなたは
この世に望まれて 生まれてきた 大切な人

あなたがなんであり
どこの国の人であろうと
金持ちであろうと 貧乏であろうと
それは 問題ではありません

あなたは
同じ神様がお作りになった
同じ神様の子供です


人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、
あなたを

傷つけるでしょう

気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを

受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世界に

与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、
結局は、全てあなたと内なる神との間の

ことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは

一度もなかったのです。

~ マザー・テレサ



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初女さんの「自然にまかせましょう」

2018-04-17 21:40:43 | 日記

私は、自分で決断して進んで行くことが

自分の人生を生きることだと、長い間思って

いました。

でも、初女さんに出会いその考えが変わりました。

初女さんは、よく「自然に任せましょう」と

言われてました。

初女さんは『私の生き方は、自然に任せる

直観で決めるということが多いのですが、

何も不安に思わずそのように出来るのは、

きっと私が何も持っていないからだと思います。

それこそが、私の最大の強みではないかと

思っています。

何も持っていない、失うものが何もないおかげで

何も怖くありません。

人間の知識や計画など、はかないものです。

たとえ、自分の力では及ばないことでも、

必要なことなら、きっと神さまが準備してくださる

だろうと思っています。

そう信じられれば、身も心も軽やかに

生きられるのではないでしょうか。』と、書かれて

います。

そんな初女さんの生き方を見てきた私も、

いつの間にか「自然にまかせましょう」と

言っています。

自然は、決して焦ることなく良い方に導いて

くれます。

「自然に任せましょう」

穏やかな初女さんの声が聞こえて来るようです。



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