~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

佐藤初女さんの最期の言葉

2016-12-31 19:39:12 | 日記

大晦日に届いた荷物の中に入っていた手紙に、

初女先生の最後の言葉が書いてありました。

『私がいなくなっても私は皆さんの心の中に

生きています。キリスト教では復活と言います。』

最期の時に先生のお側にいらしたHさんが

私が淋しい淋しいと言うので、教えてくれました。

初女先生は、ちゃんと言葉で伝えていてくれたの

ですね。

新しき年の光の中に、初女先生がいらっしゃる気が

します。

今日、渡辺和子先生が亡くなったとニュースで

知りました。

初女先生の心の友であったシスターも11月1日に

天に召されました。

渡辺和子さんといい、初女先生といい、次々

天に召されるのは、上の方で何か大きなことが

あるのでしょうか…そんなことを息子に話したら

「お母さん、日帰りで天国に行って来たら」と言われ

ました~

2017年は、何か大きな変化が起きるかも…

初女先生のレシピでお節を作りながら、先生と会話

している自分に気がつきました。

先生は一番近くにいらっしゃるんですね。

 

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お餅つきに励まされて…

2016-12-30 23:58:26 | 日記

今日は、熱海にお餅つきに行って来ました。

田口ランディさんが20年以上やっている

恒例のお餅つきに、今年も呼んで頂きました。

今回で3回目。

去年は初女さんがお餅がお好きだから、搗きたてを

送ろうと、張り切ったのですが…

でも、その時はお餅を食べる状態ではなかったようで

一緒に入れた、栗きんとんを食べましたよという

スタッフからのファックスが届きました。

今年も、熱海の山の中で初女さんが大好きなお餅つき

の賑わいとなりました。

初女さんは、何でお餅つきが好きなんですかと

聞かれた時、「景気がいいから」と言われたのが今も

忘れられません。

初女さんが天に召され、長い長い一年でした。

でも、ランディさんのお仲間とお餅つきをしたら

来年は良い年だよ!と言われているような気が

しました。

お餅つきの景気の良さに、心が励まされたのでしょう。

新しき年がもたらす光の中に、初女さんの存在を

予感するのです。

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神事の漬けもの~佐藤初女さん

2016-12-28 23:52:29 | 日記

今日、久し振りでKさんと電話で話したら

「1年が長かった~」と言ってました。「初女さんが

亡くなった2月まで喪だものね」と…

そうか、意識していなくても心は喪に服しているのだ

だから、こんなにも長く感じられるのだ。

Kさんは続けて「充実していたものね」と…

充実した時間は長く感じるものです。

この1年、私は何もしていないような気がしますが

小さな気づきを拠りどころにしながら、初女先生の

ことをいつも考えていました。

先生の本を読み返すと、今まで何を読んでいたの

だろうと思うくらい、大切な処を表面しか読み取って

いなかったのです。

初女先生の「あんたには全部伝えてあるから」という

言葉が聴こえて来た意味が、やっと分かりました。

Kさんはお漬物を漬けていると、初女さんのことが

よく分かると言われていました。

初女先生の原点はおむすびに、お漬物にあるように

思えます。

去年の1月、弘前のご自宅の2階で少し遅い

新年会だねって御馳走を頂いた後、初女先生が

お漬物を漬けるのを見せましょうと言って、きゅうりや

セロリのぬか漬けを漬けて見せて下さいました。

ぬか床に野菜を漬ける、そんなに難しいことでは

ないのに、なぜ?って思いました。

先生の真剣さが、まるで神事のような雰囲気を

かもし出していました。

「じゃあ、やって見て下さい」と促された時、

私も田口ランディさんも山田スイッチさんも思わず

後ずさりをするようでした。

私とスイッチさんの声なき「ランディさん、どうぞ」の

声を受けてランディさんが「私、家でもやってるけど」と

言いながら野菜を漬けました。

凍てつく台所で、真剣に漬けたぬか漬けが

初女先生に教わった最後の母の味となりました。

そのことの意味が少しづつ見えて来そうです。

今日、本当に久し振りに初女先生の

『「いのち」を養う食』を開きました。

その中にも、「ぬか漬け」は生物多様性と書いて

有りました。

初女先生が晩年一番伝えたかったのは、このこと

だったのかもしれません。

ランディさんに「生物多様性のその先を書いてほしいの」と

ご自分の著書を何冊か渡されていました。

Kさんは漬けものを漬けていると、初女さんのことが

よく分かって来ると言われていました。

毎日漬け物の味が変わってくるからと…

新年から、心新たにしてお漬物をやってみようと

思います。

あの凍てつく台所の神事の漬けものを思い出し

ながら…

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「苦しみ」に向き合う時

2016-12-26 22:49:37 | 日記

今年もあと僅かとなりました。

2月に初女先生が亡くなってから、長い長い一年でした。

田口ランディさんの講演会「いのちのエール」も

遙か昔のことのようです。

初女先生の存在が大きかった人は、長い一年だったと

言っています。

大切な人を亡くした後は、時の刻みが違って

感じられるのでしょうか…

志村ふくみさんの本に「ひとりの人間の切実な生き方に

どうむき合うか…」という文章があり、この言葉を

目にした時、初女先生が浮かんできました。

本当に、ひとり一人の切実な人生に向き合って

下さいました。

深い苦しみも悲しみも知っているから、出来たことだと

思います。

「おむすびの祈り」の本に書いてあったでしょうか

イスキアに鐘を送った修道院の院長様が、訪ねて

来られ、初女先生に交わした言葉が

「あなたは苦しみましたね」でした。

私は、この言葉が忘れられません。

先生の抱えて来た苦しみが、この一言で

全て受けとめて貰えたんだなと、心が震える思いで

読みました。

私の息子の写真を見て「まだ、お若いのに」と言われ

初女先生の頬を一筋の涙か流れて行くのを見た時

私もまた、これまでの苦しみ悲しみを全て受けとめて

頂いたと、心の底から思ったのです。

人間は、たった一人でいい、自分を受けとめて

くれる人がいたら生きていけるものなのですね。

初女先生に出会ってなかったら、今頃どうなって

いたでしょう…

本当に一人ひとりの切実な生き方に寄り添って

下さいました。

 『すんなり、するすると幸福になることはなくて

 生きていれば、何度でも繰り返し苦しみが

 やってきます。

 けれども苦しみは決して苦しみだけに

 終わることなく

 いつか喜びに変わります。

 苦しみなくして刷新ははかれません。

 真の幸福は、苦しみの中にあってこそ実感できる

 ものです。

                    佐藤 初女   』

この言葉も、私の一生を支えてくれる言葉です。

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円空と初女さん

2016-12-25 23:45:53 | 日記

今朝の「日曜美術館」で円空をやってました

自分がなぜ円空にこんなに魅かれるのか、分かった気が

しました。

円空は母親を長良川の洪水で失っているのです。

災害があると、その地に行き仏像を彫って奉納した

そうです。その数は12万体とも言われています。

円空仏の優しい微笑みの向こうには、円空が体験した

深い悲しみがあったのですね…

今、円空が生きていたら12万体を超える仏像を

作らなければならなかったかもしれません。

今日の朝刊に、東日本大震災で行方不明に

なっていた7歳に娘さんの骨の一部が9日に

見つかり、DNA鑑定で木村ゆうなさんだと判明したと

載っていました。

発見したお父さんは、長野県の白馬から福島に

通い捜索していたそうです。

父親と妻も津波で亡くし、立ち入り許可を得て

自主捜索をしていたそうです。

お父さんは「娘からのクリスマスプレゼントを

受け取った気がする」と言われていました。

そして、「まだ一部が見つかっただけ。これからも探し

続ける」と語っていました。

この記事を前にして、言葉がみつかりません。

円空さんなら、きっと飛んで行って仏さまを彫り

お父さんに黙って差し出されたことでしょう…

深い悲しみに寄り添うには、言葉はあまりにも

無力ですから…

初女さんは、黙して聴いていました。

円空はひたすら仏像を彫り、初女さんは一心に

耳を傾ける

円空と初女さんが、このように繋がっていたとは…

円空仏の頬笑みが、より深いものとなって

私の心に響いています。 

 

 

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糸魚川…

2016-12-24 00:22:00 | 日記

冬至から暖かい日が続いているので、この時だ!と

網戸を洗いました。

洗いながら、去年のてつを踏んではならないと思って

いたのに…

去年は夕方4時から網戸を洗い出し、それでも

充分遅いのに、網戸を運んでいるうちに雑草が気になり

草むしりになってしまったのです。

今年は午前中から取りかかりましたが、気がつけば

草むしりと枝を下ろしたり…どうして毎年こうなるの

だろう。まるで、頭の中で網戸洗いと草むしりがセットに

なっているような…

気ままに伸びている紫陽花を切ろうとしたら、もう芽が

出ているのです。

寒さに向かう中で、ちゃんと春の準備をしているの

ですね。

なるべく芽のでてないところを切って、仕方なく

芽がある枝を切る時は、ごめんね。切らせてね。

と言って切りました。

ヒーヒー言って大掃除をしている時、ふと糸魚川の

人は、この年末に火事で家を失ってしまったんだ

と思ったら、もしも自分だったらが、想像出来ません

でした。

初女さんは、人の話を聴く時に自分の事と思って

聴くようにおばあさんから言われて育ったと

言っていました。

だから、あのように人の心に寄り添う聴き方が

出来るのですね。

火事ですべてを失うって…

糸魚川の全焼した歴史ある造り酒屋さんは、

何もかも焼けてしまったのに、お客様に何とかお酒を

お届けする方法を考えたいと言ってました。

失った物の大きさに立ちあがれないのが

当たり前なのに…

寒さの中で春の準備をしている、木々や植物のような

力が人間の中にも宿っているのでしょうか

困難の中でも生きようとする力が…

生きていると、想像もできない苦難がやってきます。

頭で考えていたら、生きていけないって思える

ことでさえ、体は生きようとする。

今日と言う一日だけでも、生きようとする。

その一日、一日が積み重なって行くと、頭も

もしかしたら生きられるかもしれないって思う

人生は、想像出来ない過酷さが与えられる時が

あります。

でも、それでも生きていく

そういう力が私たちの体の中にはあるのです。

なぜなら、いのちを繋いでいく生命体だから…

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幸せとは

2016-12-22 23:45:40 | 日記

冬至の翌日は暖かく、夜になると春を思わせる雨が

降って来ました。

年末になると、再びの初女ロスが来ています。

息子が亡くなった年もそうでしたが、クリスマス・年末年始

世の中が賑やかになる時に、居ないことの淋しさが

押し寄せて来るんです。

携帯の留守電に残っている初女先生の声を聴くことも

できません。

初女ロスで、元気がでなくなっている今の自分に

先生の『幸せになるためには、いまの

状態に満足すればいいだけのなのです。』という

お言葉が心に甦ってきました。

そうか、先生は「すべて伝えてあるよ」と言って

くださった…

私の中には、先生の言葉や行動が刻まれている。

いまの状態に満足し、感謝することなんだ…

その感謝の中に、初女先生がいらっしゃると

いうことなんだ…

先生は「等身大の自分を受け入れて

今日を満足することが、明日の希望に繋がります」

と言われていました。

淋しくても、今の状態に満足することなんだ…

 

 

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雪の中に佇む「森のイスキア」

2016-12-21 23:44:18 | 日記

今日は冬至

明日から日照時間が伸び、春に向かっていくのですね。

昔の人は、ポジティブな思考をしていたんだな~

夕方、田口ランディさんのご主人から、お餅つきの

メールを頂きました。

2年前から、初女先生に搗きたてのお餅を送りたくて

ランディさん達のお餅つきに参加させてもらっています。

お餅を送る初女先生はいなくなりましたが、声を

掛けて頂き、今年もあの楽しい餅つきに行くことに

なりました。嬉しいです!

去年の大晦日に、初女先生にお餅を送りましたが

先生は、お餅を食べる力がなかったのかな~

スタッフから荷物に一緒に入れた栗きんとんを

先生が召しあがりましたよ。というファックスを

頂きました。

今日、イスキアのスタッフと電話で話したら

気になっていた畑は、学校がやってくれることに

なったとのこと、良かったです。

初女先生が、どんなにかホッとしていることでしょう。

スタッフの方から、先生がおむすびを丸く結べなく

なっても、おむすびを結んでいたのよと、聞いた時

初女先生のおむすびの祈りの深さに、胸が熱く

なりました。

今年もお供え餅を作って、初女先生に送ろうかな…

森のイスキアは、雪に覆われ自然の中に帰って

行く、そんな季節になったのですね。

主のいない「森のイスキア」の淋しさが、

私のところにも届いてくるようです…

 

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火のある暮らし

2016-12-20 22:42:20 | 日記

いつも、夜に臨書をしようと思うと疲れて出来ないので、

それじゃあ朝だ!と思い今朝は4時半に起きて5時から

筆を持ち書きました。

6時半から朝食とお弁当を作り、洗濯・掃除・風呂掃除

あっという間に時間が経ち、自分が朝食を食べてない

ことに気がつき、慌てて食べようとした時、ふと

こんなにバタバタしていてはいけない、と思い

キャンドルを灯したのです。

すると、その途端に時の刻みがゆっくりとなり

心が落ち着いてきたのです。

人間は火を見ているだけで、心が穏やかになるの

ですね。

火の持つ力でしょうか。

昔の人は、かまどの火が生活の中心にありました。

でも、私たちはいつの間にか火から離れた生活を

しています、それが不自然とも思わずに…

オール電化の生活だったら、家の中で火をみることは

なくなります。

火があったから、人類を生きのびて来られたはずなのに

21世紀は、火のない生活が当たり前になっていくので

しょうか…

キャンドルに灯した火を見ていると、心に火を灯す

ということが、何となくわかってきます。

初女先生も火がお好きでした。

森のイスキアの小さな森の中に、調理が出来る

ストーブを置かれたのですから

それは、長い間の初女さんの憧れだったようです。

初女さんに焚き火をしましょうと言われ、

夜のイスキアの庭で、何も語らずみんなで火を

見ていたこともありました。

火はそれだけで心を温めてくれました…

キャンドルの小さな火も、灯すだけで時の刻みが

ゆっくりとなります。

火を見ているだけで、心が回復していきます。

火が、こんなにも心と結び付くものとは

今の今まで知りませんでした。

時々、キャンドルの火を唯見つめる

そういう時間を作りたいと思いました。

 

 

 

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心が休まる喫茶店「ミンカ」

2016-12-19 23:20:00 | 日記

世の中がせわしくなって来たら、街から喫茶店が消えて

行った気がします。

昔は、気に行った喫茶店で何時間も過ごすなんて事は

珍しいことではなかったのに…

喫茶店も、店主の個性でそれぞれの特徴があり、

喫茶店巡りも楽しいものでした。

中野にあった「クラッシック」という喫茶店は、店主の

おじさんの趣味がそのままお店になっていました。

いつもクラッシックが流れていました。

コーヒーに添えられたミルクの入れ物が、記憶違いで

なければ、歯磨きのキャップだったような…

それすらも懐かしい思い出です。

今は、コーヒーショップはみんな同じ顔をして

メニューも殆んど一緒

ゆっくり落ち着いて、お店の雰囲気を楽しむなんて

ことはなくなりました。

聞いた話ですが、電気をLEDにしたら客の回転が

早くなったそうです。明るくて落ち着かないので

長居をしなくなった為とか…

そんな今のご時世に、実に素敵な喫茶店を知りました

キャンドルのワークショップがそこのお店であったのです

古民家を改造した喫茶店で、お店の名前も「ミンカ」

店内に本も置いてあり、一日中本を読みに行きたいな

と、思ってしまいました。

ほっと出来る場所が、こんなにも少なくなった今

時々、ミンカさんに行って心を休めたいなと

そんな思いにかられました。

小さなイスキアのようです…

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