~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

母の心

2009-11-30 19:24:35 | 日記
初女先生と二人でいた時に、先生が静かに「母と言う字は
何度書いても難しいの。お母さんになるって難しいのね。」
と言われ、私は初女先生がお母さんになるのが難しなんて…
と返事も出来ずに聞いていました。
お母さんと言えば、今でも悔いが残る思い出があります。
 長男は、エネルギーの塊の様な子で、私の想像をはるかに
超える行動をするので、どうしたら良いのか分からず悩む
ことがあったので、私は思わず小二の彼に「お母さんは、
あなたを生んで初めてお母さんになったんだから、どうして
いいか分からない!」と言ったことがあります。
その時子供が、目をまんまるにして、ひどく驚いた顔をしたのが
今も忘れられません。
子供にとっては、お母さんはずーっとずーっと昔からお母さんで
「お母さんがいるから大丈夫!」と思える存在なのに…
それを私は、まだお母さんになりたてだから分からない!と
言ってしまったのです。その時の子供の不安と驚きはどんなに
大きなものだったでしょう。
なんとも愚かな母でした。
あれから14年がたちました。
あの時の後悔を胸に秘めながらも、ちっとも成長でない
母親でいます。                                   
そんな私を、あの子が今一生懸命育ててくれようとしています。
もしかしたら、あの子は命をかけて私をお母さんにしようと
してくれているのかしら…
 昨日、何気なく開いたページに母の心が…

  耐えがたきを耐え
  忍びがたきを忍び
  許しがたきを許し
  あたたかい太陽を思わせるやさしい言葉
  冬のきびしい寒さにも値する愛情ある助言
  慈しみの雨のように涙を流して共感する
  なごやかな風を思わせる雰囲気
  それが母の心
            佐藤 初女
           
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再びのコブクロそして夢

2009-11-29 12:17:04 | 日記
昨日、家族3人でコブクロのツアーのファイナルコンサートに
行ってきました。
ファイナルはやはり、特別な雰囲気があり、ファイナルを
観ようと全国からファンが集まってきていました。
隣の席の40代の女性は、コブクロの路上時代の拠点である
和歌山から来たとのこと。和歌山での無名時代、彼らは
声がかかれば何処へでも行ったそうです。
個人の家の仏壇の前でも、結婚式場でも、歌える処なら
何処でも歌った、その彼らの行動力と熱き思いが、今の
コブクロの原動力になっているようです。
 昨日、黒田さんが歌った一曲が、会場にいた全ての人の
心に響き、コンサートの途中にも関わらず、観客全員が立ち上がり
鳴りやまぬ拍手となりました。
歌のもつ力というものを1万人が感じた時でした。
路上から生まれたコブクロの今の姿は、うちの息子の夢の
後押しをしているようです。
「夢は諦めない!」このことをコブクロが息子の心に
深く刻んでくれているようです。
 昨夜、寝るときに息子が「お母さん、このコブクロの曲
いいよ。」とヘッドホンを持ってきてくれました。
コブクロを聴きながら寝たら、久しぶりに子供の夢をみました。
天然パーマでクルクルだった小さいころの、あの子の写真を
見ている夢でした。
そう言えば、あの子が亡くなってから一度もアルバムを開いて
いません。「もうそろそろ、弟にアルバムの僕を見せてあげて」
と言うあの子からのメッセージでしょうか。
 いつの間にか、夢見るおばちゃんになった私の夢は
「天国のあの子に会うこと!」
でも、これは絶対に叶えられる夢ですものね。
だからもう暫く、あなたの弟の夢の伴走者でいさせて下さい。
また会えるその時まで待っててね!
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民話の心

2009-11-28 09:16:10 | 日記
試験が近づくと、うちの息子は「勉強しなくっちゃ!」
と言いながら、まるで冬眠に入ったようによく寝るのです。
仮眠してからやろう!と9時ぐらいからベッドに入り、
そのまま朝を迎えてしまうのです。
ベッドがいけない!と、机の上にうつ伏して仮眠をとったら、
気がついたら朝4時で、引き続きベッドで寝たと…
その息子の姿をイライラしながら見ていた私は、ふと気がついた
のです。
「三年寝太郎と言う民話は、寝太郎がすごいのでなく、寝ている
寝太郎を見守っていた親が偉いのだ。」と…
そうやって考えると、民話の奥の深さが見えてきます。
私の知人が、老人ホームで「さる かに」を語った時、
さるが木の上から、熟した柿を自分が食べ、渋柿をかにに
ぶつける場面に来た時、一人のおばあさんが、
「あった。あった。そいう時もあった!」と言ったそうです。
おばあさんは、このさるに自分の人生を重ねていたのです。
そういえば、私にもありました。
自分の人生は自分のものだからと、突っ走っていた時どれほどの
渋柿を親にぶつけたことか…
民話とは、働いて働いて働いてきた民衆の中から生まれ、
語り継がれてきたお話です。そこに生きた人々のいろいろな
思いが詰まっているのでしょう。
民話を採集し、今に甦らそうとしていた私の父は、よく
「民話の心」と言ってました。
「お父さん!うちの寝太郎のお陰で貴方が伝えたかった民話の心が
ほんの少し解った気がしました。」
 試験が終わり、うちの寝太郎が目覚める時がやってきました。
寝太郎の親になり切れない私には、まだまだこの修行が続きそうです。
 親の心とは民話の心なのでしょうか お父さん!
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最も尊いのは…

2009-11-27 19:17:22 | 日記
「いつも最も尊いのは、
 目立つことをして認められることでも
 名声を残すことでもなく、
 自分のかけがえのないものを
 他人のために差し出すこころ。」佐藤 初女
朝の静かな時間の中で、初女先生のこの言葉を何度も読んで
みました。                        
そこには、尊いと言う言葉を久しく忘れていた自分がいました。
初女先生の言葉は、どれも先生の体験から生まれてきた言葉です。
先生の生活を見てますと、自分のためにと言うことは一つもなく、
すべてを他者の為に差し出されています。
それが当たり前のことのように…
先生は「差し出すこと」と言わず、「差し出すこころ」と言われて
います。「差し出すこと」 であると、そのやったことに囚われて
しまうからでしょう
初女先生に初めてお会いした時、人間とはここまで高められる
ものなのかと、胸が一杯になりました。
私は、尊いという言葉が心の基軸にありませんでした。
今朝、先生の言葉から大きな気づきを頂きました。
「 最も尊いのは、自分のかけがえのないものを
 他人のために差し出すこころ」




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2009-11-26 19:37:47 | 日記
小学校の時から、嫌いな授業は体育と習字でした。
走るのが遅く、運動会はいつも雨乞いをしてました。
習字は子供の目からも一目で下手と分かる字になるので、
いつも習字の時間は墨をすって終わっていました。
その私が数年前から、いきなり「書」を習いだしました。
きっかけは、やはり息子でした。
亡くなった子供の名前を書くと、どうしても涙がでてしまう、
この名前ともきっちり向き合わなくてはと思い、それが
「書」に繋がったのです。
子供の名前が書けたら辞めてもいいや!と思って習い始めた
「書」でしたが、書は私の知ってる習字とは違い、もっと
もっと奥が深く、筆と自分と墨との関係の中にこれほど
深い世界があるとは…
臨書でひたすら、一を書いていたら先生に、「山崎さん
もう違う字を書いていいのよ。」と言われ、気がついた時には
一年近くも一を書いてました。
子供の名前を書いた時は、書けば涙が出て、涙を拭いて又書く、
その繰り返しで、何も考えられなくなった時、ようやく作品と
なりました。
子供の担任の先生が「この字山ちゃん!っいう感じね」と言って
くれました。
字を見ると、どこまでも明るいあの子が浮かんできます。
今は、「人」と言う字に取り組んでいます。
野太くずぼっと生きている、そして暖かい「人」が書けたらなー
と、これまた半年以上「人」を書き続けてます。
器用ではない私に「書」は合ってるように思います。
習字アレルギーになる前に、もっと早く書に出会いたかった。
後悔を殆どしない私が、珍しくちょっとプチ後悔をしてます。
でも、今の私に書ける字を精一杯書いていこうと思っています。
 
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マザー初女

2009-11-25 10:12:11 | 日記
いよいよ、五月の講演会に向けて準備を始めました。
市町村の後援を頂く為に、書類を整えています。
後援を取ると、補助金が出ると思われてる人もいますが、
そんなことは全くなく、公共施設にチラシを置いて
貰いやすいので…
前回、申請書類を出しに近隣の市町村を回りましたが、
職員が誰ひとりとして佐藤 初女さん知らなかったのには
驚きました。
講師の説明を求められ、「ガイアシンフォニーに出演されてる
方です。」と言っても、その映画自体を知らないのです。
私が、しどろもどろしていると、「エッセーストですか?」
「カウンセラーですか?」と次々聞かれるが、どれも違う…
おむすびの話、イスキアのことを話しても通じない…
最後の手段で私が言ったのは、「日本のマザーテレサのような方」
すると相手は、どこをどう分かったのか、納得したような顔で
申請書類を受け取ってくれました。
 
 「母の心はすべてに」と言われてる初女先生は、裾野が広い
岩木山のように、大きく優しく、誰もの母のようです。
今度、役所の人に佐藤 初女さんって?と聞かれたら
「すべての人のマザー! マザー初女!」と答えようかしら…
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片山 右京さん

2009-11-24 18:10:54 | 日記
運転免許の更新に行くと見せられるビデオがあります。
早く終わらないかなーと思って見ていると、安全運転の
説明をしている、片山右京さんに引き付けられてしまいました。
運転の説明をしているだけなのに、右京さんという人の
誠実さが伝わって来るのです。
レーサーという華やかな職業からは、想像出来ない程の誠実さが…
この誠実さはどこからくるのだろう?と思っていたら、友人が
右京さんのことをメールに送ってくれました。
右京さんは、人生の転機をもたらした少年との出会いがあったそうです。
その少年は白血病で、右京さんは難病の子供の夢を叶えるという団体、
メイク・ア・ウイッシュからの依頼で、その少年に会ったそうです。
高校生のその少年の夢は、F1のドライバーになることでした。
右京さんは少年に「頑張れよ!奇跡がおこることもあるし、
自然治癒力もあるから」と月並みな言葉で励ましたそうです。
それから二ヶ月後、少年の母親から昨日亡くなったと連絡があり、
少年は「僕は病気で死ぬのではなく、痛さや辛さに負けて
生きることを諦めたから死んでいく。頑張ると約束したのに
その約束を果たせない。そのことを片山さんに謝っておいて。」と
言い残していったそうです。
右京さんは、自分がたやすく「頑張れ」と言った事を深く悔んだそうです。
少年との出会いと死が、右京さんになんの為に生きるのかを
考えさせてくれたそうです。
このことが、右京さんの人生を大きく変えたそうです。
何でもないような映像から、右京さんの誠実さが伝わってきた
源はそこにあったのですね。
その人のどこを切り取っても、その人の生き方が見えてくる!
それはすごいことだと思いました。

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ⅩJAPAN  ヨシキさん

2009-11-23 18:49:58 | 日記
今年の3月XJAPANのヨシキさんが、10歳の時に
亡くなったお父さんが、自死であることを公表しました。
それは、子供達に自分と同じ傷を負って欲しくないという
思いからだそうです。
ヨシキさんは、時と共に忘れていく記憶と、そのままの
厳粛さを保って当時のまま変わらない記憶があると言ってます。
それを読んだ時、10歳のヨシキさんもそうだったのかと、
思いました。
息子の死は私にとって、照射した記憶となって今も私の中にあります。
9歳で兄を亡くした、下の子にとっても、あの日の記憶は
止まったまま心の中にあるのでしょうか…
ヨシキさんも、消えない傷として父の自死があるそうです。
でも、少しでも自殺防止の力になればと、自分の体験を話し
親を亡くした子供を支援する基金をつくろうとしているそうです。
 初女先生は、「行動してください」とよく言われます。
ヨシキさんがこうやって動き出したことで、心の傷はかたちを
変えていくことと思います。
私たちの国では、11年連続年間3万人以上の人が自殺している
と言います。1日88人になるそうです。
残された家族の思いを受け止めてくれる人は、どれ程いるでしょうか?
初女先生は、「話をしたい人はいるけど、聴いてくれる人がいないの。
誰もが、自らの中に答えを持っているの」と言われます。
初女先生のように、聴いて下さる方に出会ったら、
どんなに苦しくても、自分の答えを見つけられ、立ち上がれるのに…
話を聴いて頂き、歩き出せた私は初女先生を、遙か彼方に見ながら
いつの日か、聴ける人になりたいと思うのです…



   
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寅さん

2009-11-22 16:51:56 | 日記
地方の大学に行っている息子の友達が、連休で帰って
来たのでと、お線香をあげに来てくれました。
一緒に来てくれた同級生の女の子は、かつて息子が
好きだった子でした。
今どき珍しい清楚な感じのお嬢さんに、成長してました。
こんな素敵な子になるなんて!うちの子も見る目が、
あったんだなー。と胸の奥がキュンとなりました。
教師を目指す二人の眼差しに、希望が感じられ、そのことが
とても嬉しく思えました。
うちの子は与えられた短い時間の中で、たくさんの片思いを
してました。
「お母さん、オレって寅さんみたいだ!
好きになってはふられるもの…」と言ったあの子の言葉が、
私の中で今も鮮明に残ってます。
 仲良く帰って行く二人を見送りながら、うちの寅さんの
恋も一つぐらいは、実らせてあげたかった。と切ない親心が
顔を出してしまいました。
貴重なデートの時間に寄ってくれた二人に感謝して…
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幸せ

2009-11-21 10:43:57 | 日記
新聞に一青窈さんのお話が載っていました。
彼女の歌は、通り過ぎる歌でなく、心に留まる歌です。
それは、どこから来るのだろうと思ってましたが、
一青さんは、小二でお父さんを中三でお母さんを、亡くされて
いるそうです。
この方も又、深い悲しみの中から生きるということを
見つめ続けてきた人のようです。
彼女は「日々の暮らしの中で、幸せと感じられるような
いくつかの「タネ」があって、それに気づいて行くことが
生きていくことに、つながるのではないか。
「幸せ」になることが、生きる事ではなく「幸せ」に
気づいていくことが生きていくことなのだと思った。」
と言っていました。
多くの人は、幸せになる為に、その条件を整えることに
必死になっています。
でも、幸せに気づいていくことが生きることとは…
なんと目前の景色が変わってくることでしょう!
悲しみの中から一青さんが見つけたものは、神様が下さった
真理そのものの様に思えました。
新聞の一青さんの記事が、私に幸せを与えてくれました。
 一青さんは、「人の気持ちは繋がってると信じて歌っています。」
と言っています。
彼女の歌が心に響き留まるのは、その思いがあるからなのですね。
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